「校本源氏物語」の底本
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「天理河内本源氏物語」の記事における「「校本源氏物語」の底本」の解説
1926年(大正15年)4月から1942年(昭和17年)にかけて池田亀鑑によって行われた源氏物語の校本作成の作業について、当初は河内本を底本として作業を行っていたとされており、1931年(昭和6年)に「校本源氏物語」と呼ばれた最終的な稿本を完成したとして1932年(昭和7年)11月19日および20日に東京帝国大学文学部国文学科において完成記念の展観会が開催された際に発行された『源氏物語に関する展観書目録』には完成した校本の底本について、 校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写) (室町時代)写 と説明されている。 この後校本作成の作業は大きく方針転換され、良質な青表紙本系統の本文を持った写本とされた大島本を底本とする校本である校異源氏物語及び源氏物語大成として結実することになる。しかしながらその中に対校本として河内本系統の本文を持った写本は尾州家本を始めいくつか取り上げられていたのも関わらず、「校本源氏物語」時代に底本とされていたと見られる河内本の写本は対校本としても採用されてはおらず、また池田亀鑑は、この大島本になる前の校本の底本がどのような写本であったのかについては上記の『源氏物語に関する展観書目録』以外には源氏物語大成研究編において「桃園文庫蔵源氏物語」としてわずかに解説している以外には記録を残しておらず、戦争中の混乱の中で失われたとしているために、これがどのような写本であったのかについては長く「不明である」とされてきた。 しかしながら、戦後天理図書館が購入しその所蔵となった53帖からなる河内本の本文を持っている源氏物語の古写本に一つに、その写本がかつて池田亀鑑の元にあったことを示す「桃園文庫」の所蔵印があり、かつ池田亀鑑が 本書は学会の重宝として貴重すへき希有の珍本にしてよろしく校本源氏物語の底本として学界に弘布すへきものなり昭和七年十一月 識之 と記した紙片が付されていることから、このときの底本はこの写本であろうと考えられるようになった。
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「校本源氏物語」の底本
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「大島河内本源氏物語」の記事における「「校本源氏物語」の底本」の解説
池田亀鑑は校異源氏物語や源氏物語大成として結実することになる源氏物語の校本作成の作業において、最終的には(青表紙本の)大島本を底本として事業を完成させたが、その初期には「校本源氏物語」の名称で河内本の写本を底本として作業を進めていたとされている。この時期の底本が何であったのかについては1931年(昭和6年)に「校本源氏物語」と呼ばれた最終的な稿本を完成したとして1932年(昭和7年)11月19日および20日に東京帝国大学文学部国文学科において完成記念の展観会が開催された際に発行された『源氏物語に関する展観書目録』に、 一二二 校本源氏物語底本 河内本(禁裏御本転写) (室町時代)写 とする程度の断片的な資料しか残っておらず、不明な点が多い。現在天理図書館に所蔵されている「天理河内本」と呼ばれている写本がかつて池田亀鑑の所蔵であり、池田亀鑑が 本書は学会の重宝として貴重すへき希有の珍本にしてよろしく校本源氏物語の底本として学界に弘布すへきものなり昭和七年十一月 識之 と記した紙片が付されていることから、このときの底本はこの写本であろうと考えられるようになった。しかしながら、池田亀鑑の弟である池田晧は、「底本は数回変更された。」と語っており、また『源氏物語大成研究資料編』での「重要諸本の解説」の「桃園文庫蔵源氏物語」(現天理河内本)の項に以下のような記述がある。 五十四帖。この本は袋綴、小型の楮紙。ほぼ同筆で書かれてゐる。室町中期の写本で、系統は大島本に一致する河内本。虫損が甚だしく、所々読み得ない文字もあるが、朱の句点・声点など河内本の特色を具へてゐる。大島本が出現するまで河内本の底本として校異源氏物語に採用されたが、戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つたものである。 ここに記されている「大島本に一致する河内本」と「大島本が出現するまで河内本の底本として校異源氏物語に採用された」というふたつの「大島本」について、伊藤鉄也は最初の「大島本」は「天理河内本に近い本文を持っている」とのことから「河内本の大島本」であることはおそらく間違いないものの、下の「大島本」については最終的に校異源氏物語の底本となった「青表紙本の大島本」であるとする解釈の他にこの「河内本の大島本」であるとする解釈も成り立つとして、もしそうであるとするとこの「大島河内本」は「天理河内本」以後(青表紙本)「大島本」以前のある時期に校本源氏物語の底本であったことになるとしている。
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