「校本源氏物語」の底本とは? わかりやすく解説

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「校本源氏物語」の底本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/28 16:11 UTC 版)

天理河内本源氏物語」の記事における「「校本源氏物語」の底本」の解説

1926年大正15年4月から1942年昭和17年)にかけて池田亀鑑によって行われた源氏物語校本作成作業について、当初河内本底本として作業行っていたとされており、1931年昭和6年)に「校本源氏物語」と呼ばれた最終的な稿本完成したとして1932年昭和7年11月19日および20日東京帝国大学文学部国文学科において完成記念展観会が開催された際に発行された『源氏物語に関する展観書目録』には完成した校本底本について、 校本源氏物語底本 河内本禁裏御本転写) (室町時代)写 と説明されている。 この後校本作成作業大きく方針転換され、良質な青表紙本系統の本文持った写本とされた大島本底本とする校本である校異源氏物語及び源氏物語大成として結実することになる。しかしながらその中に対校本として河内本系統の本文持った写本尾州家本を始めいくつか取り上げられていたのも関わらず、「校本源氏物語時代底本とされていたと見られる河内本写本対校本としても採用されはおらず、また池田亀鑑は、この大島本になる前の校本底本どのような写本であったのかについては上記の『源氏物語に関する展観書目録』以外には源氏物語大成研究編において「桃園文庫源氏物語」としてわずかに解説している以外には記録残しておらず、戦争中混乱の中で失われたとしているために、これがどのような写本であったのかについては長く不明である」とされてきた。 しかしながら戦後天理図書館購入しその所蔵となった53からなる河内本本文持っている源氏物語古写本一つに、その写本がかつて池田亀鑑元にあったことを示す「桃園文庫」の所蔵印があり、か池田亀鑑本書学会重宝として貴重すへき希有珍本にしてよろしく校本源氏物語底本として学界弘布へきものなり昭和七年十一月 識之 と記した紙片付されていることから、このときの底本はこの写本であろう考えられるようになった

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「校本源氏物語」の底本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 22:42 UTC 版)

大島河内本源氏物語」の記事における「「校本源氏物語」の底本」の解説

池田亀鑑校異源氏物語源氏物語大成として結実することになる源氏物語校本作成作業において、最終的には(青表紙本の)大島本底本として事業完成させたが、その初期には「校本源氏物語」の名称で河内本写本底本として作業進めていたとされている。この時期底本が何であったのかについては1931年昭和6年)に「校本源氏物語」と呼ばれた最終的な稿本完成したとして1932年昭和7年11月19日および20日東京帝国大学文学部国文学科において完成記念展観会が開催された際に発行された『源氏物語に関する展観書目録』に、 一二二 校本源物語底本 河内本禁裏御本転写) (室町時代)写 とする程度断片的な資料しか残っておらず、不明な点が多い。現在天図書館所蔵されている「天理河内本」と呼ばれている写本がかつて池田亀鑑所蔵であり、池田亀鑑本書学会重宝として貴重すへき希有珍本にしてよろしく校本源氏物語底本として学界弘布へきものなり昭和七年十一月 識之 と記した紙片付されていることから、このときの底本はこの写本であろう考えられるようになったしかしながら池田亀鑑の弟である池田晧は、「底本数回変更された。」と語っており、また『源氏物語大成研究資料編』での「重要諸本解説」の「桃園文庫源氏物語」(現天理河内本)の項に以下のような記述がある。 五十四帖。この本は袋綴小型楮紙。ほぼ同筆書かれてゐる。室町中期写本で、系統大島本一致する河内本虫損甚だしく所々読み得ない文字もあるが、句点声点など河内本特色具へてゐる。大島本出現するまで河内本底本として校異源氏物語採用されたが、戦争中不幸にして佚亡のやむなきに至つたものである。 ここに記されている「大島本一致する河内本」と「大島本出現するまで河内本底本として校異源氏物語採用された」というふたつの「大島本」について、伊藤鉄也最初の「大島本」は「天理河内本に近い本文持っているとのことから「河内本大島本」であることはおそらく間違いないものの、下の「大島本」については最終的に校異源氏物語底本となった青表紙本大島本」であるとする解釈の他にこの「河内本大島本」であるとする解釈成り立つとして、もしそうであるとするとこの「大島河内本」は「天理河内本以後青表紙本)「大島本以前のある時期校本源氏物語底本であったことになるとしている。

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