「根の深いもの」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:38 UTC 版)
1930年(昭和5年)明け、基次郎は病床の中だった。ゴーリキーの『アルタモノフの一家の事業』、ヒルファーディングの『金融資本論』、『安田善次郎伝』などを面白く読み、島崎藤村の『夜明け前』も再読するなどし、レマルクの『西部戦線異状なし』も前年暮に読んでいた 。 そして雑誌『戦旗』で展開されていた安田善次郎に関する調査不足の〈お粗末〉な記事が〈口吻ばかりが「彼奴は」とかいふ風で いかにも力が弱く下らなく思へ〉た基次郎は、自分が〈日本の経済的発展といふものを背景として安田善次郎伝といふやうな小説〉、〈「格闘せるプロレタリヤ」的の小説〉を書きたいと思った。 なにしろ「根の深いもの」が今の文壇には欠けている、芸術派と云はれてゐる人々のものは勿論さうだ、(退いて考へる)とこれらのものは全く努力の方向が畸形化されてゐる、なにしろ「先端」と称されるもののアンチテーゼを力強く提出すべきだ。(この感想は断片的で、よくわからないかもしれぬが 今はこの程度しかかけない) — 梶井基次郎「中谷孝雄宛て書簡」(昭和5年1月25日付) さらに、新聞に出ていた徳冨蘆花全集の広告文「未だ世に知られざる作家がその焦燥と苦悶の中に書いたものほど人の心を動かすものはない」という言葉に励まされ、〈まことに然り、このことを思へば僕達はもつと自らの尊厳を知り、自らに厳格でなくてはならない〉と襟を正す気持になった基次郎は、大阪的な土着の俗っぽさを持つ〈リアリスト〉としての井原西鶴も面白く読み直し、その変化の心境を〈最近小説家の本領が出て来たせい〉と自己分析した。
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