「格安航空会社」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 16:47 UTC 版)
「格安航空会社」の記事における「「格安航空会社」の誕生」の解説
フレデリック・レイカーによる会社設立以降、長年の間アフィニティ・チャーター便を運航していたレイカー航空が、これまでの「企業本位」ともいえる不自然な状況を打破すべく、既存の大手航空会社の割引運賃を大幅に下回る格安な運賃により、「スカイトレイン」のブランド名で1977年にロンドン(ガトウィック)-ニューヨーク(ニューアーク)線などの大西洋横断路線に参入した。当初の運賃設定は食事などのサービスは含まれていなかったものの、従来型の3分の1の価格で人気を集め、初年度で黒字決算を達成している。 レイカー航空は、格安運賃を求める多くの利用者(その多くは大学生などの若者のバックパッカーを中心とした個人客であった)から支持を受けて、イベリア航空やアリタリア航空、サベナ・ベルギー航空などの、「IATAカルテル」の恩恵を受けて割高な国際航空運賃を維持していた既存の大手航空会社を押しのけ、1981年には大西洋横断路線において6位のシェアを獲得した。 対岸のアメリカでも、1978年にジミー・カーター政権によって施行された航空規制緩和(Airline Deregulation Act)(新規航空会社の設立や路線開設が事実上自由化された)の影響を受けて、1981年にドナルド・バーによって設立され、既存の大手航空会社の割引運賃を上回る格安な運賃で大西洋横断路線やアメリカ国内線に就航したピープル・エキスプレス航空や、それに先立つ1971年に設立され、航空規制緩和を受けて急速にその規模を拡大していたエア・フロリダが、格安航空会社のはしりとして脚光を浴びた。 大西洋横断路線を主軸にしていた格安航空会社は、パンアメリカン航空やトランス・ワールド航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどの大西洋横断路線を主要な収益源の1つとして運航していた既存の大手航空会社やIATAの意を汲んだイギリス、アメリカ両国政府による政治的圧力を受けたといわれる。レイカー航空はポンド・USドル間の為替が不利に転じたタイミングで15機の飛行機に対する債務を抱えたことや、競合するパンアメリカン航空等の大手航空会社が従来の3分の2の運賃に引き下げたことで競争が激化し収益が悪化した事を受け1982年に倒産した。 レイカー航空の倒産は、同じイギリスのリチャード・ブランソンによるヴァージンアトランティック航空設立に大きな影響を与えた。 また、同じく大西洋路線を格安運賃で飛ばしていたピープルエクスプレスもアメリカン航空等のCRSシステムを駆使した戦略(ピープルの競合路線において席数限定でピープルと同じ運賃に引き下げる)により乗客を奪われ、更にフロンティア航空の買収負担による収益悪化が致命傷となり1987年にはコンチネンタル航空に吸収合併された。
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