IATAカルテル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 16:47 UTC 版)
1940年代後半から、1945年の第二次世界大戦の終結に伴い、戦勝国である連合国諸国において民間航空が再興した。また軍で使用されていたダグラスC-47(DC-3)型機やC-54(DC-4)型機、アブロ ランカストリアンやアブロ ヨークなどの大型レシプロ輸送機が安価に払い下げられたことから、アメリカや一部のヨーロッパ諸国で航空旅行が一般化してきた。1970年代に至るまで、ほとんどの大手航空会社(Legacy Carrier, LC)は国際航空運送協会(IATA)と航空会社、各国政府の間で決められた事実上のカルテル料金体系を維持しており、乗客は割高な国際航空運賃を一方的に押し付けられていた。 アメリカでは、1938年にフランクリン・ルーズベルト大統領が当時アメリカの「国策航空会社」的存在であったパンアメリカン航空のファン・トリップ会長のロビー活動を受けて設立したCAB(アメリカ民間航空委員会)の決定により、国際線を運航できる航空会社が限られていた。サービスに加えて、その運賃設定もCABと航空会社が一方的に決めていたこともあり、このような国際線のカルテル体制が他国に比べてより一層盤石なものとなっていた(パンアメリカン航空は1950年代に世界初の「割引運賃」を導入したが、元々の航空運賃が非常に高価であったこともあり「格安」と呼べる金額ではなかった)。
※この「IATAカルテル」の解説は、「格安航空会社」の解説の一部です。
「IATAカルテル」を含む「格安航空会社」の記事については、「格安航空会社」の概要を参照ください。
- IATAカルテルのページへのリンク