IATAカルテルの崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 16:47 UTC 版)
「格安航空会社」の記事における「IATAカルテルの崩壊」の解説
格安な国際航空運賃を求める消費者の声は収まることがなく、このような消費者の声に答えるべく、1970年代には新興の航空会社が各地で低価格サービスを開始しては程なく破綻を繰り返した。その一つ、1975年タイのエア・サイアムはバンコク=香港=福岡=ホノルル=ロサンゼルス線を運行、1976年12月29日に運航停止した。1980年代に入るとヨーロッパやアメリカ、日本などの多くの先進国においても、キャセイパシフィック航空や大韓航空、シンガポール航空などのIATA非加盟(現在は3社とも加盟している)で、既存の航空会社の割引運賃を大きく超える安価な運賃を売り物にした航空会社の勢力が増してきた。その上、IATA加盟航空会社でないことから、エコノミークラスにおいてアルコール類や映画用イヤホンが無償で提供された。多くの会社がカルテル運賃に囚われない団体ツアー向けの航空券などの格安航空券を個人向け市場に流通させたために、国内線、国際線を問わず世界的規模で価格競争が進んだ。 同時期には、「IATAカルテル」が代表する、既存の大手航空会社と政府が結託した結果起きていた航空運賃の高止まりに対する批判の声も高まった。同時に、IATA加盟、非加盟双方の航空会社間での価格競争が進んだ結果、1980年代半ばにはIATAに加盟している既存の大手航空会社においてもカルテル運賃システムが崩壊した。 これらを受けて、既存の大手航空会社もIATA非加盟航空会社のそれと肩を並べる正規割引運賃を相次いで導入した。そのほかに、団体ツアー向けの格安航空券を旅行代理店などを通じて個人向け市場に流通させるようになり、航空会社同士の価格競争がさらに進んだ。
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