「挺身隊」という表現
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挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し、挺身隊とは「任務を遂行するために身を投げうって物事をする組織」のことである。この挺身隊という表現の使用例としては、 1922年4月23日-5月11日の大阪時事新報で連載された「人物伝記張作霖六」で「日本軍の別働隊となり、蒙古の地域に進出して、我挺身隊を助けた功労は少くなかった」。 1933年8.13-9.3の大阪朝日新聞「報道権本社独占熱河探検記」では「さながら学術の挺身隊が科学の…」という表現 同年11.28-12.7の大阪時事新報記事「誂え向の大連 一衣帯水の北支へ 条件すべて“O・K” ジャンク貿易」では「貿易『挺身隊』なる面目」「海の挺身隊」という表現 1933年(昭和8年)内務省警保局の資料では「救国埼玉青年挺身隊事件」という用例 1935年(昭和10年)2月26日の神戸新聞では「ボルネオの処女密林めざし伐材挺身隊出発」記事が掲載、1941年5月30日大阪毎日新聞には「農業報国挺身隊」 これらのほか「独挺身隊米本土に潜入」としてドイツの「挺身隊」という表現もあった。 尹明淑は「挺身隊という用語は、男女の区別なく用いられ、特定団体を示す語ではなかった。」としている。朝鮮での「挺身隊」の初出は毎日新報1940年11月13日の農村挺身隊結成記事とされる。このほか婦人農業挺身隊、医師や看護婦を対象にした仁術報国挺身隊、漁業挺身隊、文化、商工、報道、運輸、金融、産業などの32団体で結成された半島功報挺身隊など様々な動員に対する呼称表現が使用されていた。朝鮮(韓国)では、未婚女性を挺身隊として勤労動員することは、「処女供出」とも呼ばれた。尹明淑によれば朝鮮語の「処女」とは未婚女性や若い女性を指す総称であるという こうした「挺身隊」という表現を女性を対象とした動員に正式に適用された「女子挺身隊」が日本内地で結成されたのは1944年8月の女子挺身勤労令においてである。それ以前には1941年の国民勤労報国協力令で「勤労報国隊」が結成され、1943年9月13日の次官会議「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」において「女子勤労挺身隊」が自主的に結成されるようになった。 朝鮮では官斡旋による募集はあったが、女子挺身勤労令が正式に発令されることはなかった。
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