「地上」発表とは? わかりやすく解説

「地上」発表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 07:10 UTC 版)

島田清次郎」の記事における「「地上」発表」の解説

1916年8月27日、『萬朝報懸賞小説当選し、「加賀平野芽ぐむもの」が掲載され賞金10円を得る(のちに「地上第二部援用)。痼疾蓄膿症悩みながらも自伝的長編綴り1917年大正6年5月島田理解示していた暁烏敏紹介6月から11月にかけて『中外日報』に長編『死を超ゆる』の連載実現(のちの『地上第二部「地に叛くもの」)。このささやかな成功により、初め地方文学愛好読者文通を交わすことになり、さらなる文学的雄飛促すようになっていった。つづく長編第二作(少なくとも千枚)を構想文通仲間であった大熊信行勧めに「死を超ゆる」の出版上京決意するがまもなく断念石川県七尾町にあった鹿島郡役所書記補の仕事月給5円に就きながら、1918年大正7年7月26日ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」にインスパイアされ、自己の内面史を拡大視した長編地上」を開稿(のちの第一部「地に潜むもの」)、1919年大正8年1月31日脱稿した。この間連載小説未完)が縁となって中外日報社主・真渓涙骨迎えられ京都清水坂下宿記者生活を送る(月給50円)。 1918年夏から書き始めた自伝的小説地上」の原稿中外日報主筆伊藤証信無我主宰)の推薦により生田長江送られ長江絶賛推薦のもと、1919大正8)年4月上旬新人書き下ろしシリーズ的に出版していた新潮社中村武羅夫(『新潮担当)、社長佐藤義亮らによって出版決定した1919年6月8日フランス装の『地上 I 地に潜むもの』上梓初版3000部、印税なしの契約)。この作品が、芥川龍之介が「僅かに行年二十歳青年の作であることを思へば、少なくともその筆力雄健な一点では、殆ど未来大成想見せしめるものがある。」と「大正八年度の文藝界(東京日日)」に誌し、菊池寛が後に「第一巻如き凡庸の手になるものではない」と評した実質的な文壇デビューの作となったこのころ全国的に大流行したスペイン風邪清次郎も罹り入院している。東京帝国大学中心とする学生グループ新人会新明正道は「島田清次郎論」を発表(『解放第2巻 1号 1920)、吉野作造の娘、明子好意的に接したという。その間も『地上』は版を重ね徐々に部を越える。『地上第二部「地に叛くもの」は、河上肇福田徳三厨川白村推薦広告手伝ってさらに部数伸ばし以降も、『早春: 白刃か、然らずんば涙をたゝえて微笑せよ(聚英閣)』『大望たいもう)』『静かな暴風第三部)』『帝王者』『閃光雑記』『勝利を前にして』と、ひたすらに発する連作に、後年輪転機から札束湧き出たと言われるほどであった。『地上』は江馬修の『受難者』、賀川豊彦の『死線を越えて』と並ぶ大正期代表的なベストセラー文芸書部門)となる。『地上』の成功に気をよくした島田は「精神界帝王」と自らを恃み朝鮮中国海外からの熱烈な読者多くあった。

※この「「地上」発表」の解説は、「島田清次郎」の解説の一部です。
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