「光」の体系
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「シハーブッディーン・ヤフヤー・スフラワルディー」の記事における「「光」の体系」の解説
スフラワルディーの意味するところの「光」は「最も顕在するもの」であり、いわば「顕在性そのもの」である。それがそれであるために他の何かを必要としない。この光の強度によって、本質・原型、知性、霊魂、物質的な光が生じる。このような光の究極の源泉として神がある。イブン・スィーナー学派が「必然存在」(wājib al-wujūd)と呼んだものと同一視する。このような神をスフラワルディーは「至上の光」(Nūr al-anwār ; 文字通りには“諸々の光の光”だが、セム語的用法では最上級を表す)と呼び、神は光の本質として光を与え続ける。 この光を最初に受ける存在を「至大の光」(Nūr al-'a'zam)また「至近の光」(Nūr al-'aqrab)と呼び、神に似た単一者である。またスフラワルディーはこれを、ゾロアスター教の上位神的存在アムシャ・スプンタの一柱であるバフマン(bahman)の名前でも呼ぶ。この彼より二つの系統「経度」と「緯度」からなる、「支配者の光」(Anwār al-qāhirah)と呼ばれる天使的諸存在が生じる。 「経度」では「至大の光」が照明することによって、光を受けた存在が生じる。その照明されて生じた存在もまた照明して、次の光の存在が生じる。このように上位者から下位者へと照明され倍加していく。これらは「母たち」('Ummahāt)であり、世界のすべてを生じさせるものである。それと同時に「障壁」(barzakh)でもある。つまり、下位者にとって上位者は「至上の光」からの光を遮り、減衰させる。それはあまりにも強すぎる光を下位者が受けないためである。最後にはそれらの光の存在者は天体となり、その中でも最も偉大なものが太陽と月である。 「緯度」は原型の世界、プラトン的なイデアの世界である。これらのイデアに対応して「緯度」的天使が生じる。スフラワルディーはこれらにもアムシャ・スプンタの名称を援用した。例えば水の原型をフルダード、鉱物の原型をシャフリーワル、火の原型をウルディービヒシュト、植物の原型をムルダードと呼んだ。これらは「経度」のように上下の発出関係にはない。これらの天使はその固有の本性に従って、これらのイデアを元に「呪術」を行い、物質世界に対応する存在を与える。そしてこの「支配者の光」の中に、人間という種と霊魂を発出するものがあり、聖霊、また父と呼ばれる。イエスが福音書の中で呼びかけた「父」とはそれであると解釈する。また、哲学者の言う能動知性とも同一視する。 これらは光の諸存在の相互の作用によって流出論的に体系付けられるが、実のところはすべて媒介的な光の作用にすぎない。真の光の力は「至上の光」にあって、本当の意味での行為者は神である。 物質もまた「障壁」であり、光を遮蔽する。こうして光が完全に遮られた状態を闇とし、無であるとする。人間はその合間にあって存在し、その霊魂は光の世界に属する不滅の実体である。聖なるものとなった霊魂は「父」の下に帰還する。神は自己を愛し、またすべての者ににとっても愛の対象であり、光を探求する者たちには神の導きが与えられ、その眼が開かれた者は神を仰ぎ見る。従って、そのための手段である預言者たちの言葉は真実である。クルアーンに「我らは譬えをもって人々に語り、知ある者のみがそれを理解する」(29:43)述べられ、イエスは「私は譬えを口をきこう」(マタイ13:35)と言った。また神は、この真理の比喩を解釈する者・パラクレートスを遣わす。「汝らにその解釈を説くパラクレートスを遣わす」(ヨハネ14:26)、「その後で、われらはそれを説き明かすであろう」(クルアーン75:19)。そのような者とは、おそらく、スフラワルディー自身を指していたのであろう。
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