「光がいっぱい」
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「アリョーナ・ヴィーンニツカヤ」の記事における「「光がいっぱい」」の解説
2004年5月、アリョーナのソロアルバム「ラスヴェート」(«Рассвет»ラスヴィェート)が出された。これには12曲が入ったが、その大多数の作詞作曲はアリョーナ自身によってなされたものであった。アリョーナは、アルバムの録音に半年近くを費やした。アリョーナの夫のグループである「Cool Before」が、彼女の「同志」になった。このグループは、アリョーナの歌の響きにも影響を与えた特徴的な「堅く」てダイナミックなサウンドで特徴付けられている。しかし、軟らかい女性のボーカルとの融合を得て、アルバムの音楽は新たな響きを獲得した。アリョーナはこのこれらの歌を「やっと見つけ出した宝物」であると言い、大きな満足と誇りを覚えるとともに「私のあとをつけて1000人が«Давай забудем все»を伴唱する」ことについて「もう気が違ってしまいそう」と述べている。 三つ目のシングルには、アルバム「ラスヴェート」から「イズムーチェンナエ・セールツェ」(«Измученное сердцеイズムーチェンナイェ・スィェールツェ»)が選ばれた。ウクライナの有名なクリップ・メイカーであるアレクサーンドルとイーゴリのステコレンコ兄弟(Александр и Игорь Стеколенко)が、そのビデオ・クリップのプロデューサーになった。彼らが手がけたクリップには、オケアン・エリズィ(Океан Ельзи)の「911」(«911»)、イリーナ・ビルィク(Ирина Билык)の「リュボーフィ。ヤート」(«Любовь.Яд»)、ドルガーヤ・リカ(Друга Рiка)の「シャンソン」(«Шансон»)など多くのものがある。クリップのスタイルリストにはオーリャ・ナヴローツカヤ(Оля Навроцкая)がなったが、彼女は ミケランジェロ・アントニオーニやジャン=リュック・ゴダール、クエンティン・タランティーノの映画の女主人公を髣髴とさせるようなアリョーナのスタイルを創り出した。クリップのプレミアショーは、2004年10月に行われた。歌に関しては、アリョーナは「イズムーチェンナイェ・セールツェ」は「私の人生で最も難しい時期に書かれた」もので「そのころ私は本当に悪かった」と言い、この曲をきっかけに「登り坂の瞬間が始まった」と語っている。そして、「どんな状況にあっても人生は続いているんだ、ということ」がこの曲のすべてであると言い、これは彼女の気に入っている曲のひとつであると認めている。 アリョーナ・ヴィーンニツカヤの「ラスヴェート」のソロ・アルバムの発表から一年も経たぬうちに、アリョーナの人生には多くの重大な出来事が起こった。すなわち、「ラスヴェート」、「イズムーチェンナエ・セールツェ」、「007」のビデオ・クリップが発表され、アリョーナは多くの雑誌を写真やインタビューで飾り、多くのコンサート・ホールに出演し、いろいろの音楽の賞を受賞した。以前「ヴィアーグラ」を離れた際にアリョーナにはいろいろなことが囁かれたが、彼女は皆にソロ活動を始めるという決心が熟慮の末の行動であったのだということを証明した。アリョーナのまっしぐらな上昇は、ウクライナの音楽界における2004年の最も輝ける出来事のひとつとなった。
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