ヴィアーグラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 17:52 UTC 版)
「アリョーナ・ヴィーンニツカヤ」の記事における「ヴィアーグラ」の解説
その後1997年から2000年まで、アリョーナはvi-dzheem(ви-джеем)のテレビ音楽番組BIZ-TV(БИЗ-ТВ)やラジオ番組、またニュースのレポーターとして働いた。 テレビ局の彼女のプロデューサーであったドミートリイ・コスチューク(Дмитрий Костюк)がアリョーナが以前自分のグループを持っており、歌を作ったり歌ったりしていたということをよく知っていたことから、彼女に転機が訪れることになった。コスチュークはアリョーナをコンスタンチーン・メラーゼ(Константин Меладзе)に引き合わせた。メラーゼは、女性グループを結成したいと考えている作曲家であった。アリョーナははじめ彼のプロジェクトに対し懐疑的で、以前は自分の本物のロック・グループがあった、自分は歌を書くと言った。だが、メラーゼが彼女の歌も採用される可能性がないわけではないと言ったことからアリョーナは消極姿勢を変えた。彼女たちは他の参加者を探し出し、稽古、録音を経て2000年9月3日、クリップ「パプィートカ・ノーメル・ピャーチ」(«Попытка №5パプィートカ・ノーミェル・ピャーチ»: チャレンジ№5)を以って新たなグループ「ヴィアーグラ」が姿を現した。はじめ、アリョーナはこのグループ名が気に入らなかったが、フメリニツキー州ヴォロチーシク地区(ウクライナ語版)の田舎ズブルーチウカ(ウクライナ語版)生まれのもうひとりのメンバー、ナヂェージュダ・グラノーフスカヤ(ナーヂャ;Надежда Грановская;Надежда Грановська)とともに舞台に立ったアリョーナは、そこでヴォーカルとして主要な位置を占めるにいたった。なお、「ヴィアーグラ」(«ВИА Гра»)の名称に関しては様々な意味が込められているが、その中のひとつに「ВИ」は「Винницкая」の頭2文字、「А」は「Алёна」の頭文字、「Гра」は「Грановская」の頭3文字であるという意味もある。 アリョーナにとって最初の大観衆の前での舞台となったのは、2000年12月20日のドニプロペトロウシクの「スポーツ宮殿」(Дворец Спорта)でのコンサートであった。2001年8月31日には SONY Music Russiaと5年の契約を結んだ。なお、アリョーナは「ヴィアーグラ」時代に「Cool Before」のセルゲーイ・アレクセーエフと結婚した。2002年には、アリョーナと同じキエフ生まれのアンナ・セドコーヴァ(アーニャ:Анна Седокова)を加えて「ヴィアーグラ」はトリオとなった。
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