「バスに乗り遅れるな」とは? わかりやすく解説

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「バスに乗り遅れるな」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 07:37 UTC 版)

新体制運動」の記事における「「バスに乗り遅れるな」」の解説

新体制運動」が進められ背景には、「私有財産制廃止要求する社会主義運動の広まり」と、「世界的な全体主義台頭」が挙げられる当時欧州一部国々とりわけソビエト連邦イタリア王国ナチス・ドイツ一党独裁による「挙国一致体制」が進められていた。世界恐慌から通ず情勢不安において、これらの国々経済成長不況脱却)をしているかのように見受けられたことから、私有財産廃止した全体主義こそが今後世界指針になりうると考えられた。また、日本先行して全体主義体制確立試みていた満州国満州国協和会新体制運動影響与えていた。 新体制運動主導した近衛文麿が、雑誌日本及日本人』で「英米本位平和主義排す」と題する論文発表するなどして私有財産制否定するマルクス主義触れた大正期から昭和初期にかけては、これらの思想学者・研究者ジャーナリスト文学者などが主導したが、まもなく農村出身苦学若年層たちを通して彼らの実家である農村貧困層無教養層にも広まった1933年昭和8年)の日本共産党幹部らによる転向宣言後は、軍部(主に陸軍)や警察にも大きな影響与えた1937年昭和12年)に首相に就任した近衛第1次近衛内閣)は、これを世界的潮流認識し、「やがて世界は『ソ連』、『ドイツ・イタリア』、『アメリカ・イギリス』、『日本』の四大勢力により分割支配されるだろう」と予想した。そのため日本では時流取り残されることを恐れ、また新体制諸問題解決期待する運動高まり、「バスに乗り遅れるな」というスローガン広く使用されるようになった。このことが日独伊三国同盟への道を急速に開き1940年昭和15年9月27日ドイツ首都ベルリンにおいて条約正式に調印された。 この思想広まった国々(主にソ連ドイツイタリア日本など)では共産主義ファシズム台頭し三国同盟締結後の翌1941年昭和16年)の日米開戦太平洋戦争大東亜戦争)、連合国枢軸国による第二次世界大戦の拡大への伏線となった

※この「「バスに乗り遅れるな」」の解説は、「新体制運動」の解説の一部です。
「「バスに乗り遅れるな」」を含む「新体制運動」の記事については、「新体制運動」の概要を参照ください。

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