派兵の動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:33 UTC 版)
韓国政府の公式的な見解は「共産主義の膨張を食い止める」ことだったが、ベトナム派兵当時の外務省長官である李東元の回顧録には「朴大統領のベトナム参戦は欲しいものは全て手に入れた成功作といってよい。特に経済的実利は大変な成果だった。当然最初から練りに練ったシナリオだった」(李東元『元老交友記』)と記されている。 また、これまでの通説ではアメリカの強い要請で韓国は断りきれず嫌々ながら派兵したことになっていたが、近年アメリカの研究者から逆に韓国がアメリカに派兵を持ちかけたとする異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつつある。日本でも、韓国側が持ちかけてアメリカ側が断っていたとされている。韓国人がベトナムへ向かったのは、軍人ばかりではなく、国内よりも数倍から十数倍もの高い賃金を目当てにしていた韓国人労働者もおり、その数は1965年から5年間だけで、のべ5万人を超えていて、「ベトナム成り金」、「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」が流行語になっていた。 静岡大学教授の朴根好は、朝鮮戦争による特需で経済復興を遂げた日本の例に朴政権が倣ったことを指摘している。自著『韓国の経済発展とベトナム戦争』では、軍と民を問わず、韓国人にとってベトナムは、戦場ではなく市場だったと述べている。 1995年5月12日、韓国の教育部の長官が、ベトナム参戦をめぐる長官の談話で「6・25(朝鮮戦争)は同じ民族同士の殺し合いでしたが、ベトナム戦争はアメリカの傭兵として参加したもので、大義名分の弱い戦争でありました」と述べ、更迭されている。
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