「かわいい」と「かわいそう」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:45 UTC 版)
「かわいさ」の記事における「「かわいい」と「かわいそう」」の解説
かわいさを喚起させる特徴としては、親しみやすく身近なもの以外に、ネガティブなものも含まれる。たとえば、下記に示すものは「かわいそう/フラジャイル≓かわいい」を構成する主要素である。 壊れやすい 頼りない 小さい・幼い・か弱い 軽い・未成熟・不完全 遅い 緩んだ 繊細・臆病 歪んだ・病んだ 儚い これらに加えて、世の中から逸脱(超俗)して、社会との調和を喪失した対象(例:電波系・不思議ちゃん・天然・中二病・メンヘラ・陰キャ・コミュ障・猫耳・人外・巫女)も「かわいい」とされることがある。 宮元健次は「かわいい」という不完全で未熟なものに惹かれる日本特有の美意識が、世界中で注目されるようになった理由を「ひと言でいえば、それは20世紀社会の経済的発展に対するアンチテーゼといえるだろう。『かわいい』は、成長や成熟を否定する美意識である」と、モラトリアムの文脈でまとめている。 ちなみに「かわいい」という日本語は、目上の者が目下の者へ「不憫だ」「あわれだ」「気の毒だ」など憐憫・慈悲・慰撫の感情を抱くさまに由来している。この意味を受け継いだ派生語に「かわいそう」がある。 大塚英志は「かわいい」と「かわいそう」が表裏一体であるとして次のように論じている。 それにしてもなぜ〈かわいい〉と〈かわいそう〉が同義なのだろう。本書の中でぼくは〈かわいい〉ものに囲まれた勉強部屋や少女雑貨の店が、外界から遮断された自閉的空間であることをくり返し指摘してきた。つまり、〈かわいい〉というのは、少女たちを現実あるいは外の世界から保護するバリヤーの役目なのである。〈かわいい〉私は〈かわいい〉空間でしか生きることができない。つまり〈私〉とは、「痛々しくて見るに耐えない」存在である。〈かわいい〉が少女の自己像を表現するキーワードである以上、そこに〈かわいそう〉が一体化することはむしろ当然のことだったのである。〈かわいい〉小宇宙の住人である〈私〉はとても〈かわいそう〉である。それが「ぼのぼの」世界であり、メディアが切りとって見せた昭和天皇のほんとうの意味だったのだといえる。 — 大塚英志『少女民族学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』光文社 pp.246-247より抜粋 1989年 ここで大塚は、昭和天皇が病に臥した時、御見舞いの記帳に「制服姿の少女たちが列を作った」という一見して非常に奇異な現象を例に取り上げた。いわく「少女たちが老人(=かわいいおじいちゃん)の中に〈無垢にしてか弱い〉という“自分たちと重なり合う同質のイメージ”(少女の自己像)を見いだしていたのではないか」という推測である。また大塚は「昭和天皇」に近い類例として「かわいそうなシマリスくん」(いがらしみきおの漫画『ぼのぼの』に登場する「いぢめる?」が口癖のいじめられっ子キャラ)の人気を同列に挙げている。
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