やそ‐きょう〔‐ケウ〕【×耶×蘇教】
キリスト教
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キリスト教(キリストきょう、ギリシア語: Χριστιανισμός[注釈 1]、ラテン語: Christianitas[5]、英語: Christianity)または耶蘇教(やそきょう)とは、イエスを救い主(キリスト、メシア)として信仰する宗教[6][7]。キリスト教では、イエスが神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[7]。ほとんどのキリスト教派[注釈 2]は、「父なる神」[注釈 3]と「その子キリスト」[注釈 4]と「聖霊」を唯一の神(「三位一体」[注釈 5])として信仰する。基督教とも表記される[16]。
- 1 キリスト教とは
- 2 キリスト教の概要
耶蘇教(キリスト教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:30 UTC 版)
豊臣秀吉によるバテレン追放令の流れを受け、耶蘇教と呼ばれたキリスト教は江戸時代のほとんどを通じて徹底した取り締まりを受けた。 江戸時代初期は交易国であったイギリスやポルトガルなどからもキリスト教が伝えられたため、禁止令も徹底されなかった。しかし鎖国政策を強めるにつれてキリスト教の弾圧が強化。 1622年(元和8年)には長崎西坂で元和の大殉教として知られる大量処刑が行われた。この3代将軍徳川家光の時代には、封建制度の確立、貿易・出入国の管理・統制の強化(「鎖国」の徹底)、キリシタンの禁止が三大政策となり、キリスト教徒は殉教か棄教のいずれかを選択せざるを得なくなった。 1635年(寛永12年)長崎奉行に対する職務規定(「第三次鎖国令」)で、日本人の東南アジア方面との往来を禁止することで、宣教師の密航の手段として利用された朱印船貿易を廃止した。 1637年(寛永14年)島原の乱が発生。この後は、全国でキリシタン取り締まりが徹底され、寺請制度などの制度によってキリシタンを摘発した。わずかに残った教徒は隠れキリシタンとして幕末まで信仰を持続した。 1865年(慶応元年)には隠れキリシタンたちがフランス人宣教師に信仰を告白して世界的ニュースとなった。彼らはその後、明治政府に弾圧された(浦上四番崩れ)。
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耶蘇教
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