飛鳥会事件 小西邦彦の人脈

飛鳥会事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/13 15:17 UTC 版)

小西邦彦の人脈

暴力団員・部落解放同盟支部長として

大阪府高槻市被差別部落に生まれ育った小西邦彦は少年院刑務所を経て山口組系金田組組長金田三俊のボディガード運転手になったが[20]上田卓三の後ろ盾を得て[21]1969年6月、飛鳥支部第1回定期大会で部落解放同盟大阪府連飛鳥支部の支部長に選出された。支部長就任の動機について、2006年10月6日の大阪地裁における小西邦彦の初公判の検察側冒頭陳述では「同和問題が大きな社会問題となっていたことから、暴力団構成員よりも金もうけがしやすく、絶大な権力が手に入るなどと考え」たためであると指摘された[22]。当時小西は、酒梅組の元組員である西成支部長と共に部落解放同盟行動隊の双璧の強腕とされていた[23]

建設業界や国税局・自民党・警察との関係

昭和40年代、権利関係の複雑な大阪駅前の開発に際して大阪市に力を貸したことから同市の行政に多大な発言力を持つに至った[24]小西邦彦は、同和関係の建設事業の請負を左右する大阪府同和建設協会(同建協)でも顔役として通っていた[25]許永中在日韓国人でありながら同建協に加盟し、同和対策事業に食い込んでいたのも小西邦彦との人間関係があったためであると伝えられる[26]。小西邦彦は七項目の確認事項を楯に自らの銀行口座の預金利息を完全非課税にさせるなど、国税局にも影響力を行使していた[27]村田吉隆渡辺美智雄東力といった自民党議員とも親しく飲み歩き、選挙を全面支援し、特に村田は大阪国税局調査部長時代、飛鳥会に関する脱税告発を握り潰すほど小西邦彦と昵懇だったといわれる[28]。その他、小西邦彦は天下りの斡旋や贈賄などを通じて警察にも威勢を及ぼしていたとの証言がある[29]。また、元大阪市長関淳一も知人の就職の斡旋を小西に依頼したことがあり、この点については関も認めている[18]。その見返りとして小西は大阪市に部落解放同盟飛鳥支部の人間を採用してもらうよう「ぎょうさん推薦した」と証言している[18]

小西と親しかった渡辺美智雄

後年、社会福祉法人ともしび福祉会の設立にあたって自らの犯罪歴を理由に大阪府から認可を拒まれた小西は、部落解放同盟と友好関係にあった社会党の国会議員の紹介で厚生省に赴いたが門前払いを受けたため、金田組の上部組織の柳川組にいた右翼を通じて自民党の中川一郎を紹介してもらい、当時の厚生大臣園田直に会って法人設立の認可をとりつけたこともある[30]

山口組の企業舎弟として

小西邦彦は1970年代後半に山口組を脱退したが、それ以降も山口組関係者との交際は依然として継続し、出身の山口組系金田組の組長から時おり電話がかかってくると別人のように直立不動になり、組長から指示を受けていた[31]。特に山口組系生島組組長の生島久次とは古い付き合いがあった[32]1985年1月27日に四代目山口組組長竹中正久が愛人宅で射殺された時には、現場となったマンションの名義人[33]として浮上し、部落解放同盟大阪府連の委員を辞任。しかしその後も部落解放同盟から除名されることはなく、飛鳥支部の支部長として留任した[17]

小西はまた、山口組若頭時代の渡辺芳則に5000万円を献金したこともある[34]。のち、中野会会長の中野太郎の仲介で山口組組長時代の渡辺芳則と2回にわたり面談し、元ヤクザのための福祉事業を立ち上げようとしたが実現はしなかった[35]。1990年頃には茨木市の病院に入院中の小西が元暴力団員の飛鳥会職員らに拉致され、5億円を要求される事件も起きている[36]1997年9月15日には、山口組と中野会の抗争が飛び火した結果、部落解放同盟飛鳥支部や飛鳥会の入居する小西所有のビルに5発の銃弾が撃ち込まれる事件が起き、新聞各紙に「部落解放同盟支部に発砲」と報じられた[37]。中野太郎と交際が深い小西への、敵対勢力からの脅しと見られた[37]

銀行と暴力団のパイプ役として

1975年頃、三和銀行(後の三菱東京UFJ銀行)淡路支店と取引を始め、同行に対しても特殊な影響力を持つに至る。そのきっかけについて、小西邦彦自身は大阪府立柴島高等学校の開校にあたって大阪府に口を利き、同校の資金の取り扱いを三和銀行に任せるよう斡旋したことだったと述べているが[38]、同行における小西邦彦の担当者だった元支店長は、三和銀行淡路支店の開設にあたり小西邦彦が用地確保に尽力したことだったと述べている[39]。こうして同行から特別な厚遇を受けるようになった小西邦彦は、友人の暴力団関係者たちのための転貸融資の窓口になることを引き受け、銀行と暴力団のパイプ役を務めて利鞘を稼いでいた[40]。小西邦彦に対する同行からの融資額は三菱東京UFJ銀行本体で約51億円、系列ノンバンク「三菱UFJファクター」で約30億円、合計80億円以上[41]にのぼると見込まれたが、そのほぼ全額が暴力団の地上げの資金に使われ、バブル崩壊により不良債権と化した[40]

老人ホームの理事長として

1981年には社会福祉法人「ともしび福祉会」を設立して理事長に就任し、特別養護老人ホームや生活支援ハウスなど5つの施設を運営。これらの事業に関して国や大阪市などから合計46億8000万円の補助金を受け[42]「福祉はもうかる。年寄りは何も分からなくなっているから、体を洗うのはホースで水をかければいい」と豪語していたといわれるが[43]、本人はその発言を否定している[44]

芸能界の顔役として

小西と昵懇だった勝新太郎

小西邦彦はまた飛鳥地区の解放会館で同和地区住民のためのイベントにたびたび芸能人を呼んでいた関係から芸能界とも接点を持ち、芸能人たちからはチケットを500万円から1000万円分も買い上げるタニマチとして慕われ、1980年代中期に小西邦彦の実父が他界した折には、小西邦彦と特に昵懇だった勝新太郎夫妻が葬儀に駆けつけている[45]2001年7月7日には西城秀樹の結婚披露宴に新婦側の主賓として招かれ、新高輪プリンスホテルでスピーチを行った[45]。役所や銀行を相手にする場合は部落解放同盟飛鳥支部長という肩書きを進んで利用し「支部長」と呼びならわされてきたにもかかわらず、このような席では老人ホームの理事長と名乗り、場面によって裏と表の肩書きを使い分けていた[45]。当時、岡本夏生からは「おとうさん」、加賀まりこからは「おにいちゃん」と呼ばれる間柄だった[45]笑福亭仁鶴も小西邦彦に可愛がられていた芸人の一人で、小西邦彦のことを「親父さん」と呼んでいた[46]。仁鶴の当たりギャグ「どんなんかな~?」は小西邦彦が飲み屋で女の子を笑わせるためにたびたび使っていたフレーズを小西邦彦の許可のもとに使用していたものと伝えられる[46]

小西は1970年代から千代の富士のタニマチでもあった[47]。しかし1982年大阪場所に出ていた千代の富士を北新地に連れて行こうとしたにもかかわらず宿舎の前で長々と待たされて業を煮やした小西は、千代の富士が力士仲間と花札に興じていたことを知って逆上し、彼の髷をつかんで蹴り上げる事件を起こし、以後は後援会活動から手を引いた[47]


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  1. ^ a b 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.59
  2. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.36
  3. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.37
  4. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.33によると、幹部ではなく下っ端だったという。
  5. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.232
  6. ^ 『同和と銀行』p.22
  7. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.59
  8. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.124
  9. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.196
  10. ^ 朝日新聞2007年1月24日
  11. ^ a b 部落解放運動─信頼の再構築と再生にむけて 「飛鳥会等事件」の総括と部落解放同盟大阪府連見解 2006年9月9日 解放新聞大阪版1659号(2006年9月18日)より
  12. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.207
  13. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.209
  14. ^ a b c 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.209-210
  15. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.211
  16. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.212
  17. ^ a b 灘本昌久「部落解放の新しい道」
  18. ^ a b c 週刊ポスト2007年11月30日、p.29。
  19. ^ 『月刊中央ジャーナル』「大阪・八尾市の同和利権のドン丸尾勇逮捕の波紋」(2006年9月号)
  20. ^ 『同和と銀行』p.31
  21. ^ 『同和と銀行』p.33
  22. ^ 『同和と銀行』p.21
  23. ^ 『同和と銀行』p.33
  24. ^ 『同和と銀行』p.79
  25. ^ 『同和と銀行』p.116-119
  26. ^ 『同和と銀行』p.159
  27. ^ 『同和と銀行』p.112-116
  28. ^ 『同和と銀行』p.123-124
  29. ^ 『同和と銀行』p.126-131
  30. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.140
  31. ^ 『同和と銀行』p.265-266
  32. ^ 『同和と銀行』p.91
  33. ^ 『同和と銀行』p.108によると、このマンションの名義人になったことについて小西邦彦は「生島に頼まれたから名前を貸しただけや」と説明していたという。
  34. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.172
  35. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.172-173
  36. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.173-175
  37. ^ a b 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.177
  38. ^ 『同和と銀行』p.262
  39. ^ 『同和と銀行』p.263
  40. ^ a b 読売新聞2006年5月13日
  41. ^ a b 『同和と銀行』p.94
  42. ^ 朝日新聞2006年5月11日
  43. ^ 毎日新聞2006年5月14日
  44. ^ 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.149
  45. ^ a b c d 『同和と銀行』p.173-180
  46. ^ a b 『同和と銀行』p.119
  47. ^ a b 角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.17-18


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