銀行と暴力団のパイプ役として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 00:04 UTC 版)
「飛鳥会事件」の記事における「銀行と暴力団のパイプ役として」の解説
また1975年頃、三和銀行(後の三菱東京UFJ銀行)淡路支店と取引を始め、同行に対しても特殊な影響力を持つに至る。そのきっかけについて、小西邦彦自身は大阪府立柴島高等学校の開校にあたって大阪府に口を利き、同校の資金の取り扱いを三和銀行に任せるよう斡旋したことだったと述べている一方で、同行における小西邦彦の担当者だった元支店長は、三和銀行淡路支店の開設にあたり小西邦彦が用地確保に尽力したことだったと述べている。 こうして、三和銀行から特別な厚遇を受けるようになった小西邦彦は、友人の暴力団関係者のための転貸融資の窓口になることを引き受け、銀行と暴力団のパイプ役を務めて利鞘を稼いでいた。小西邦彦に対する同行からの融資額は、三菱東京UFJ銀行本体で約51億円、系列ノンバンク「三菱UFJファクター」で約30億円、合計80億円以上にのぼると見込まれたが、その全額が暴力団の地上げ資金に使われ、バブル崩壊により不良債権と化した。
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