銀行に成り下がるな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:49 UTC 版)
信用金庫の前身である市街地信用組合を各地に設立したのは主に地域の町長などの有力資産家であった。彼らは「成金が跋扈する軽佻浮薄な風潮を是正して勤倹貯蓄の堅実な考えを地域に醸成するため」、「市街地信用組合は地方自治の基本」とする東京府などの地方自治体の方針、要請を受けて、「地域社会の繁栄のため」という公共的な目的のために、リスクが高く、収益の見通しもつかない、一歩間違えれば先祖伝来の財産を失う危険のある金融事業を、郡長などから説得されて、やむなく引き受けたケースが大半であった。このように、彼らは、銀行が利益目的で設立されたのとは異なり、市街地信用組合は、世のため、人のための公益事業であり、利益のために市街地信用組合を設立したのではないという、強い自負、プライドがあった。中には、組合を設立するのに当たり、先祖伝来の田畑を一部売却して資金をつくり、万が一にも預金者に迷惑をかけないように配慮するなど、背水の陣の覚悟でのぞんだ者もいた。 昭和26年(1951年)に信用金庫法が制定された際に、無尽会社は相互銀行、信託会社は信託銀行、そして市街地信用組合は信用銀行という名称になる予定であったが、業界のリーダー達は、「市街地信用組合は公共的な目的のために設立されたのであり、金儲けを目的とした銀行とは違う」として「信用銀行」案に強く反発した。そこで舟山正吉銀行局長が、「それなら政府機関しかつかっていない金庫を特別に認めましょう。金は銀よりも上です」と提案して「信用金庫」という名称になった。こうした業界の先達者たちの強い誇りやプライドを肌身で知っていた小原は、銀行と信用金庫は違う、という意識が強く、しばしば「銀行に成り下がるつもりですか」、「あれは金儲けが目的ですよ」と語気鋭く、部下を叱りつけた。
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