芸能界の顔役として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 00:04 UTC 版)
小西邦彦はまた飛鳥地区の解放会館で同和地区住民のためのイベントにたびたび芸能人を呼んでいた関係から芸能界とも接点を持ち、芸能人たちからはチケットを500万円から1000万円分も買い上げるタニマチとして慕われ、1980年代中期に小西邦彦の実父が他界した折には、小西邦彦と特に昵懇だった勝新太郎夫妻が葬儀に駆けつけている。2001年7月7日には西城秀樹の結婚披露宴に新婦側の主賓として招かれ、新高輪プリンスホテルでスピーチを行った。 なお、役所や銀行を相手にする場合は『部落解放同盟飛鳥支部長』という肩書きを進んで利用し「支部長」と呼び習わされてきたにもかかわらず、このような席では『老人ホームの理事長』と名乗り、場面によって裏と表の肩書きを使い分けていた。 また岡本夏生からは「おとうさん」、加賀まりこからは「おにいちゃん」と呼ばれる間柄だった。この他笑福亭仁鶴も小西邦彦に可愛がられていた芸人の一人で、小西邦彦のことを「親父さん」と呼んでいた。仁鶴の当たりギャグ「どんなんかな~?」は、小西邦彦が居酒屋で女の子を笑わせるためにたびたび使っていたフレーズを、小西邦彦の許可のもとに使用していたものと伝えられる。 小西は、1970年代から千代の富士のタニマチでもあった。しかし1982年、大阪場所に出ていた千代の富士を北新地に連れて行こうとしたにもかかわらず、宿舎の前で長々と待たされて業を煮やした小西は、千代の富士が力士仲間と花札に興じていたことを知って逆上し、彼の髷をつかんで蹴り上げる事件を起こし、以後は後援会活動から手を引いた。 八尾入札妨害恐喝事件の犯人M.Iとの関係 M.Iは、小西邦彦の元運転手であった。
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