芸能界への憧れと役者デビュー
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「里見浩太朗」の記事における「芸能界への憧れと役者デビュー」の解説
中学時代はテニス部所属、高校時代は音楽部に所属していた。高校卒業間近に『NHKのど自慢』に出場する機会があり、伊藤久男の代表曲「山のけむり」を熱唱し予選に合格した。後年、里見はコンサートMC等で「この合格が芸能生活への原点である」と語っている。静岡県立富士宮北高等学校卒業後上京。築地の魚市場で仲卸を営んでいた叔父の会社に就職し、働きながら歌手を目指した。レコードデビューが内定していたが、仲買卸業の娘が悪戯で里見を東映ニューフェイスに応募。 1956年、第3期東映ニューフェイスに合格し、何事も経験が必要だと云われ東映へ入社。同期には大川恵子・桜町弘子・大村文武らがいる。鏡を見て現代劇の姿を写して見たり、ハンカチで、時代劇の羽二重を付けた様にして写して見たりして、考えた末、京都には社宅が完備されていたことから自ら希望して東映京都撮影所(以下、東映京都)専属となる。翌年、『天狗街道』で俳優デビュー。3本目の『天狗街道』で、大当たりした東映の映画『里見八犬伝』が縁起がいいとプロデューサーから里見浩太郎(1970年に現名に改名)という芸名をつけてもらう。1958年、4本目の『金獅子紋ゆくところ』初主演。その主題歌『金獅子紋道中唄』で歌手デビュー。映画では時代劇を中心に出演し、主演は子供向け作品が多かった。初期は美空ひばりや中村錦之助主演映画での助演や『十三人の刺客』では片岡千恵蔵を補佐する役を演じた。時代劇以外では高倉健主演の任侠映画『侠客列伝』(1968年)、千葉真一主演のオールスターキャスト作品『日本暗殺秘録』(1969年)や、村田英雄・北島三郎ら主演の歌謡映画などにも出演している。 1965年2月26日に京都地裁から拳銃密輸と所持により、懲役8か月(執行猶予3年)の判決を受けている(詳しくは後述「人物」)。
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