ポンティアヌス (ローマ教皇) ポンティアヌス (ローマ教皇)の概要

ポンティアヌス (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 09:11 UTC 版)

ポンティアヌス
第18代 ローマ教皇
教皇就任 230年7月21日
教皇離任 235年9月25日
先代 ウルバヌス1世
次代 アンテルス
個人情報
死去 235年?
ローマ帝国、属州コルシカ・サルディニア、サルデーニャ
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235年、教皇と対立教皇ヒッポリュトスは、共に皇帝マクシミヌス・トラクスによって追放され、サルデーニャの鉱山で強制労働させられた。これにより、ヒッポリュトスが自らこそがローマ司教であることを主張して引き起こした教会の分裂は終結した。結果的に彼は235年の9月25日(あるいは28日)に教皇職を退くことになった。

ポンティアヌスがどれだけサルデーニャに流されていたのかはわからないが、一説によると強制労働中の虐待によって衰弱死したとされている。遺骸はファビアヌスによってローマに運ばれ、サンカリストゥスのカタコンベに葬られた。

カトリック教会聖人であり、記念日は8月13日である。皮肉なことにそれは、ヒッポリュトスと同じ日である。




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