過去の配置車両(電気機関車のみ)
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「田端運転所」の記事における「過去の配置車両(電気機関車のみ)」の解説
EB10形直流電気機関車 須賀線:東北本線の貨物支線(通称、須賀線または北王子線、2014年に廃止)で2両が使用されていた機関車、AB10形蓄電池機関車から架線から電気を集電できるように改造された。製造当初は東京機関区所属。(当時の田端機関区(運転所))は蒸気機関車の車両基地であったためであるが、田端運転所構内が電化されたのちは当所に転属となる(車両自体は北王子貨物駅に常駐し、検査の時のみ所属区に戻る運用であった)。 EF62形直流電気機関車 1962年に信越本線高崎 - 直江津間電化開業に合わせ54両が製造された。信越本線の横川 - 軽井沢間の碓氷峠区間での最大66.7‰勾配での粘着運転に対して、本務機として上野 - 直江津間の列車を直通で牽引できるように設計された機関車。民営化時には4両のEF62形が当所に在籍し、信越本線方面への臨時列車などの牽引に従事していた。1997年10月1日の長野行き新幹線(現・北陸新幹線)高崎 - 長野間暫定開業時に信越本線在来線区間(高崎 - 篠ノ井間が対象だが、高崎 - 横川間はJR東日本は引き続き運営。軽井沢 - 篠ノ井間がしなの鉄道へ第三セクター化で経営移譲となる)同年9月30日付で横川 - 軽井沢間が区間廃止バス転換となり、完全余剰車両となったが、その後もイベント列車などで使用され、その後検査期限がきた車両から順次廃車・解体され、1999年に最後の車両(EF62 54)が廃車・保存されている。なお横川 - 軽井沢間の碓氷峠では専用補機としてEF63形直流電気機関車が使用されているが、碓氷峠区間の詳細に関しては、EF63形直流電気機関車の項目を参照されたい。 ED92形交直流電気機関車改称後はED46形交直流電気機関車 常磐線交直流電化のために製造されたEF80形交直流電気機関車の試作形式であり、旅客列車を中心に試運転を行い、1959年に尾久機関区に新製配置後、田端機関区(運転所)構内の電化に合わせてEF80の常磐線交直流電化本格運用開始とともに田端区に移籍となるが当初の目的を果たしたためなのか次第に運用には入らず、研究・訓練用として鉄道技術研究所・中央鉄道学園に1973年の返却まで貸し出され、同地で使用される。返却後は現在の尾久車両センター構内や当所構内で留置・保管されていたが、1975年に廃車・解体されている。世界初の量産型交直流電気機関車となったEF30形交直流電気機関車は本形式の開発過程で得られたデータや技術をベースに制作された。 EF510形500番台交直流電気機関車 寝台特急「北斗星」「カシオペア」および常磐線貨物列車牽引用に長年の長距離走行でトラブルが目立つようになったEF81形からの置換えを目的として(EF510形電気機関車をベースに、保安装置がJR東日本管内の運用に合わせATS-P・ATS-Psでの搭載および上野 - 尾久間の最高速度45kmでの推進運転対応用スイッチ、交直流切り替え駅である黒磯駅構内を通過しながら交直流切り替えができるように車内に通過列車識別装置、デジタル無線装置などを搭載し、信号炎管(非常用発煙筒)を助士席側屋根上に移設したJR東日本管内での旅客列車牽引に合わせた機器を搭載した機関車でEF510形の形態分類では量産二次型に分類される)EF81形に比べ出力が増強されているため工事などの徐行区間などで発生した遅延の回復運転時にはその出力を発揮している。導入当初からヘッドマーク盗難対策がなされている510号機の写真を拡大すると対策部品の装着および南京錠の装着状況がわかる。 導入は2009年度に2両(501・502号機)、2010年度に13両(503 - 515号機)の合計15両が新製配置された。このうち509・510号機の2両は「カシオペア」用E26系客車のステンレス無塗装車体に合わせた銀色の塗装となっている。2010年12月のダイヤ改正からは貨物列車の牽引も開始しEF81形の大半を置き換えた。 2013年3月ダイヤ改正によるJR貨物からの運託運用解消および「北斗星」「カシオペア」の定期運用廃止で全車が余剰車両となり、2015年度までに全車JR貨物に売却され富山機関区に転属した(書類上は譲渡として、同日にJR貨物では購入、JR東日本では廃車の手続きが取られている)。その後、JR貨物吹田機関区やJR貨物広島車両所にて車体装飾やJR東日本管内寝台特急牽引用特殊装備の撤去・使用停止措置と列車自動停止装置のJR貨物仕様(ATS-PF・ATS-SFに変更、ATS-Pは残置)への変更工事を受けたのち、日本海縦貫線・山陽本線を中心として活躍している。 2013年3月ダイヤ改正まであったJR貨物からの受託運用では、常磐線田端信号場 - いわき間、東北本線田端信号場 - 大宮間・高崎線全線・信越本線高崎 - 安中間・武蔵野線南流山 - 新鶴見信号場間で運行されていた。 定期運用以外でも、乗務員訓練列車、工事臨時列車、団体列車や配給列車牽引にも使用されていた。 車体塗装による運用の区別はなく全機が共通に運用されていた。 EF510の出区検査以外の車両検査は全機JR貨物富山機関区に回送の上、富山機関区にて行われていた。この際、尾久 - 南長岡(貨物駅)間は自所の機関車もしくは長岡車両センターのEF64形・EF81形にて牽引され、南長岡 - 富山機関区間はJR貨物富山機関区所属車両にて他社路線(直江津以西は旧JR西日本北陸本線・現えちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道)を走行するため甲種輸送列車扱いにて牽引されていた(田端運転所ではインバーター制御の機関車の検修経験がないためと余剰後にJR貨物に売却する前提での導入したため、すでにEF510形が配置され、検修経験のある富山機関区に整備委託をした主な理由である)。 EF80形交直流電気機関車 交直両用電気機関車では国鉄で2例目となる量産形式で、常磐線系統の客貨列車用として1962年から1967年までに63両が製造され、田端機関区および勝田電車区(のちに一部が内郷機関区に転属となるが、内郷機関区廃止後は田端機関区(運転所)に大半の車両が移動している)に配置された。当初は旅客列車も牽引する計画であったが、近郊列車は電車(401/403系近郊型交直流電車)を使用することとなったため、優等列車や長距離旅客列車、貨物列車を中心に運用されることになる。 1961年6月1日、常磐線の取手 - 勝田間が電化されたが、従来の直流電化を延伸した場合では茨城県石岡市柿岡にある地磁気観測所での地磁気観測に影響を与えるために交流電化とされた。この区間を走行する電車・電気機関車は取手 - 藤代間にデッドセクションを設けて、走行中に直流と交流とを切り替える車上切換方式とすることが決定し、国鉄では、1959年にED46形(→ED92形)1両を試作した。日本初のD型動輪配置の交直両用電気機関車である同形式は東北本線や常磐線で各種試験が行われ、試用結果を反映させて開発・製造されたのが本形式である。常磐線経由の優等列車にも投入されている。 このほかにも1964年に尾久機関区を統合するまでは、貨物牽引運用中心の機関区だったこともあり、貨物用蒸気機関車、入れ替え用ディーゼル機関車の配置もされている。 入出区(過去に田端操車場側の電留線利用等での滞留を含む)をしていた機関車 旅客列車 EF64形(長岡車両センター) EF81形(長岡車両センター) EF81形(青森車両センター) EF64形(高崎車両センター) EF55形(高崎車両センター) EF65形(高崎車両センター) EF60形(高崎車両センター) 貨物列車 EF64形(愛知機関区・高崎機関区) EF65形(新鶴見機関区・高崎機関区) EH500形(仙台総合鉄道部) EH200形(高崎機関区) DE10形(新鶴見機関区川崎派出) ※ 2013年3月のダイヤ改正で隅田川駅構内に隅田川機関区を設置したことに伴い、貨物用機関車はほとんどの機関車が隅田川機関区に滞留するようになったためである。現在は一部の機関車が滞留(田端操車場での機関車交換は現在も行われているため)している。
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過去の配置車両(電気機関車以外戦後のもの)
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蒸気機関車 900形 2120形(通称B6) 900形および2120形は田端操車場内および尾久客車区(現・尾久車両センター)構内の入れ替えと隅田川貨物駅に存在した曲線半径の小さい用品庫線に入線できるために使用されていた。なお隅田川貨物駅の用品庫線は現在は東京メトロ日比谷線南千住検車区の敷地になっている。 9600形 C11形 C12形 D50形 D51形 C50形 C57形 ディーゼル機関車 DD13形 DD20形 DE10形 DE11形 DD51形
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