導入当初
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1992年3月14日の導入時には、「のぞみ」2往復(早朝・深夜の各1往復・当時運転されているすべての「のぞみ」であった)と、日中の東京 - 新大阪間「ひかり」1往復(238号・243号)で運用されていた。 なお、導入前の1992年3月8日に試乗会がおこなわれたが、くしくも同日に新幹線開発史において重要な存在である初代小田急3000形電車のさよなら運転もあり、新旧の節目と報じられた。
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導入当初
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:18 UTC 版)
80形電車の大元は、1921年(大正10年)に川崎造船所兵庫工場で製造された南海鉄道(現・南海電気鉄道)電5形(モハ101形 → モハ521形・モユニ521形)である。前面がタマゴ型に丸味を帯びた5枚窓の16メートル級の2扉・木造車で、主電動機はWH社のWH-101-Hを電装解除された電1形から流用して搭載していた。 南海時代の1940年(昭和15年)に郵便室・荷物室を設置して4扉車となり、モユニ521形となったモユニ521 - 524の4両が、1948年(昭和23年)に1501形製造に伴う供出車として福井鉄道に譲渡され、福井鉄道では1両1編成の単行列車として福武線を中心に運行した。 導入当初は、主電動機出力の違いによって以下のように80形・90形の2形式に分かれていた。 モユニ521 -> モハ91(のちモハ83) モユニ522 -> モハ81 モユニ523 -> モハ82 モユニ524 -> モハ92(のちモハ84) 譲渡に当たって、乗降用扉として使う2か所の扉に福井市内の併用軌道区間での乗降用として折畳み式のステップが取り付けられていた。 1950年(昭和25年)に、80形の主電動機がDK36からMB104-Aに換装された。 なお、これらの木造車体は車体更新時に廃棄されているが、うち1両分が南越線村国駅の待合所として、同線廃線まで利用された。
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