101形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 20:03 UTC 版)
1911年と1913年に投入された車両。南満州鉄道沙河口工場製の単車で、両端に扉のあるダブルルーフ車。1911年に17両、1913年に3両が投入されて20両となったが、1926年に5両を奉天大倉組に譲渡し15両となった。
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101形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/05 14:52 UTC 版)
「小田原急行鉄道101形電車」の記事における「101形」の解説
車体長は15240mm、幅2615mm、両運転台の半鋼製車体で、窓扉配置はd1(1)D3×3D(1)1dで、乗降扉は幅915mmの片開きの手動扉を片側2箇所配置しており、同時に導入された1形と車体の基本形状や窓高さ、正面の形態などは同一であったが、車体長が1016mm長く、床面高が39mm高くなっているほか、当初より乗務員室の両側に乗務員扉が設置されていた。側面窓は幅735mm、高さ810mmの下降窓(落とし窓)で、日除けとしてよろい戸が装備されていた。また、トイレ部の窓および戸袋窓には磨りガラスが使用されたほか、手荷物室・トイレ部分の戸袋窓は楕円形であった。 正面は丸みを帯びた非貫通で、側面窓と同じ幅735mm、高さ810mmの窓を3枚配置したものとなっており、これは近郊区間用乙号車の1形と同様のスタイルであった。 屋根上の前後2箇所には集電装置台があり、そのうち101-107は新宿側に、108-112は小田原側に三菱電機製S-514Aパンタグラフが装備されていた。集電装置台の間にはガーランド式ベンチレーターが2列に配置され、その間には歩み板が設置されていたほか、車体上部に雨樋が設置されていなかった。
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101形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 16:39 UTC 版)
1962年に武庫川車両工業で製造されたレール運搬車である。外観は台車の上にレール吊り上げ用のチェーンブロックと連結棒を取り付けただけのトロッコなどとよく似たものである。常時は今津駅近くの側線に留置され、出動時は151形各形式に連結されて牽引された。そのため、連結器は151形の簡易連結器の受けに対応したピンリンク式の簡易型連結器を取り付けたほか、ブレーキ装置は自動直通ブレーキのAMMを搭載した。
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101形(初代、101 - 107)
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「九州電気軌道」の記事における「101形(初代、101 - 107)」の解説
旧小倉電気軌道引継ぎ車を除けば唯一の二軸車かつ中古車両。枝光線部分開通の翌1924年、同線の専用車として神戸市より譲り受けた。1935年、7両のうち5両は熊本市に譲渡され、残りは廃車された。
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101形(2代目、101 - 117)
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「九州電気軌道」の記事における「101形(2代目、101 - 117)」の解説
1935年から1936年にかけて導入された鋼製車。デザインは先の66形を踏襲する。。
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