衝突
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衝突(しょうとつ、ドイツ語: Stoß、英語: collision)とは、運動している2つの物体が接触し、ごく短時間に撃力を相互に及ぼし合う物理的な現象。そこから派生して、相反する立場・利害などがぶつかって争いとなることも衝突と呼ぶ。
- ^ 戸田盛和 『力学』岩波書店、1982年。ISBN 4-00-007641-8。
- ^ 船の百科事典 丸善出版株式会社 初版 P.219
- ^ Godman, Heidi (2022年12月14日). “Holiday arguments brewing? Here’s how to defuse them” (英語). Harvard Health. 2022年12月15日閲覧。
- 1 衝突とは
- 2 衝突の概要
衝突事故
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「ターフェルバーグ (補給艦)」の記事における「衝突事故」の解説
1982年2月中旬、ターフェルバーグは南アフリカ海軍のプレジデント級フリゲート「プレジデント・クルーガー (F150)」「プレジデント・プレトリアス (F145)」、ダフネ級潜水艦「エミリー・ホブホース (S98)」と共に対潜戦演習を行っていた。 2月18日午前4時ごろ(現地時間)、水上艦3隻は潜水艦の模擬攻撃に備えての回避行動をとった際、「プレジデント・クルーガー」側の操艦ミスにより「ターフェルバーグ」の進行コースと交差、「プレジデント・クルーガー」の左舷胴体に「ターフェルバーグ」の艦首が突っ込む形で衝突した。 衝突から約40分後に「プレジデント・クルーガー」はケープ・ポイント(英語版)の南西78海里(144km)沖に沈没。この事故により「プレジデント・クルーガー」の乗員16名が死亡した。
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衝突事故
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「てるづき (護衛艦)」の記事における「衝突事故」の解説
1963年3月30日午前3時45分頃、伊豆大島沖での海難救助訓練を終え帰港中の「てるづき」は第二海堡の北西約4kmで、兵庫県神戸市の新日本汽船所属の貨物船「賀茂春丸」2,350トン(乗員46名)と衝突事故をおこした。「てるづき」の右後部に「賀茂春丸」の舳先が食い込む形で衝突し、4~5mに渡って「てるづき」の船体がえぐられた。衝突箇所にあたる第八居住区で就寝していた5名が死亡、他に23名が重軽傷を負った。衝突の原因は「賀茂春丸」の見張りが「てるづき」の尾灯を小型の漁船と勘違いして「小さい船だから尾灯の前を横切ればいい」と思い込んだもので、衝突直前になって巨大な護衛艦だと気づいて回避行動を起こしたが間に合わなかった。
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衝突事故
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「ベルナップ (ミサイル巡洋艦)」の記事における「衝突事故」の解説
1975年11月22日、ベルナップはシチリア沖において、空母ジョン・F・ケネディと衝突した。この事故で、ベルナップ側で7名、ケネディ側で1名が死亡し、さらにベルナップ側には火災が発生した。 この間、キラウエア級給兵艦「マウント・ベイカー」から到着した爆発物処理班によって、ベルナップの搭載弾薬は速やかに回収され、これによって轟沈という最悪の結果は回避されたが、火災によってベルナップの上部構造物はほぼ全損してしまった。このように火災の被害が大きかったのは、ベルナップの上部構造物がアルミニウム製で、その耐火能力に問題があり、梯子などが容易に融解して消火活動を阻んだためと分析された。 このことはアメリカ海軍の軍艦設計に大きな影響を与え、のちに建造されたアーレイバーク級ミサイル駆逐艦では、中等コンセプト艦として排水量とコストに制約が設けられていたにも関わらず、マストなど一部を除いて上部構造物は全鋼製とする決定が下された。ベルナップは1976年1月30日から1980年5月10日までフィラデルフィア海軍工廠で修理を行った。
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衝突事故
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「フィッツジェラルド (ミサイル駆逐艦)」の記事における「衝突事故」の解説
2017年6月16日午後横須賀を出港し、17日未明、静岡県賀茂郡南伊豆町沖を航行中にフィリピン船籍のコンテナ船ACX クリスタルと衝突。右舷前方の居住区・通信・機械室近辺が大破・浸水した。この事故で、居住区などにいた7名が艦内浸水区画で死亡した他、艦長のブライス・ベンソン中佐ら3人が負傷した。なお、艦長は水面上では最も損傷が激しかった右舷の上級士官居住区にある艦長室にて負傷した。 フィッツジェラルドは事故後しばらくは自力航行していたが、事故をうけ横須賀から派遣されたタグボート2隻が到着後はタグボートに曳航され、浸水区画から排水しながら17日夜に横須賀基地に帰港した。横須賀帰港後はしばらく埠頭付けで応急修理を行っていたが、7月11日午前に横須賀海軍施設内ドックに入渠した。 同年8月17日に事故責任として海軍は、艦長や副艦長らを解任し、事故当時に見張りに就いていた乗組員ら約10人を処分した。海軍作戦副部長は国防総省での会見で、フィッツジェラルドが20ノットの速度で航行中、当時艦橋にいた乗組員らが周囲の状況把握を怠ったと指摘。コンテナ船に気付いたときには、既に衝突を回避する時間がなかったという。この事故では、元艦長と大尉2人、中尉1人が職務怠慢、艦体を危険にさらした罪、過失致死などの罪で訴追され軍法会議にかけられている。 同年10月8日に艦体は応急水密修理し出渠、イージスシステム本体修理は米本国で行うためオランダの重量運搬専門海運会社のドックワイズ所有半潜水型重量物運搬船トレジャーが同じ横須賀所属ジョン・S・マケインをシンガポールのチャンギ海軍基地からの移送後積み替えを待っていたが移送中ジョン・S・マケインに亀裂が発見され台風が接近する可能性もあり、急遽フィリピンスービック海軍基地へ回航され重量運搬船の到着が見通せなくなり代わりに同じドックワイズ所有の同型船トランス・シェルフが手配され、11月20日到着し、24日に搭載、25日浮上後船体に船体積み付け作業時に発生した破孔が発見され、運搬船積載のまま横須賀へ接岸し水密作業後の12月9日出港した。 修復費用は3億9,800万ドルほどになり、これには1500万ドル以上となるSPY-1Dの新規購入費用も含まれる。上部構造にゆがみが生じたためSPY-1レーダーに問題が生じる可能性があり修復を疑問視する声もあったが海軍は修復を進める方針を決定している。 2018年1月にミシシッピー州パスカグーラインガルス造船所に到着、まず乾ドックにて外装修理を集中的に施し、2019年4月に出渠し埠頭係留のままイージスシステムを含むC5I能力(Command, Control, Communications, Computers, Collaboration, and Intelligence)などを中心に修復及び刷新処理が行われている。 2017年はこれ以外にも1月のイージス巡洋艦アンティータムの人為的ミスによる座礁事故、8月のイージス駆逐艦ジョン・S・マケインのタンカー衝突事故と太平洋艦隊所属艦艇の衝突事故が相次いだ。この事態を受け米海軍は運用慣行の「包括的な見直し」を行うための「運用一時停止」を指示、同年8月21日の全艦艇の運用一時停止を命じたほか、海軍中将ジョセフ・P・アーコイン(英語版)を第7艦隊司令官から解任した。 2019年8月29日、日本の運輸安全委員会は本件に関する事故報告書を公表した。
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衝突事故
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「サンフランシスコ (原子力潜水艦)」の記事における「衝突事故」の解説
2005年1月8日の02:00頃にサンフランシスコはグアム南方560kmの海域で海山に衝突した。サンフランシスコは500フィートの深さを35ノットの速度で航行中であった。衝突の衝撃は激しく、船体は大きく損傷した。前部バラストタンクが破裂し、浮力は大きく低下した。23名の乗組員が負傷し、機関兵のジョセフ・アラン・アシュレイは頭部外傷のため1月9日に死亡した。サンフランシスコはバラストタンクとソナードームを激しく破損したが、船体内部への損傷はなく、原子炉への影響もなかった。サンフランシスコは浮上し、ガルベストン・アイランド (USCGC Galveston Island, WPB-1349) 、ストックハム (USNS Stockham, T-AK-3017) 、キスカ (USNS Kiska, T-AE-35) に伴われ、MH-60S ナイトホーク哨戒ヘリコプターおよびP-3 オライオン哨戒機が警戒飛行する中1月10日にグアムに到着した。海軍は直ちに「他の潜水艦および水上艦がサンフランシスコに衝突した可能性はない」と発表した。その後乾ドックでサンフランシスコは検査が行われ、海図中に表示された海山に衝突したことが明らかになった。 サンフランシスコ艦長のケヴィン・ムーニー中佐は事故原因調査の間、グアムで配置換えされた。調査が完了すると、ムーニー中佐はその良好な経歴にもかかわらず、「いくつかの重大な航法および航海立案手続き」をサンフランシスコで行っていなかったことが明らかになった。そのため、海軍はムーニー中佐を解任し、司法外の懲戒を行った(彼は告発されず、軍法会議は行われなかった)。乗組員6名も、懲戒審査会の聴聞で職務怠慢と艦を危険にさらしたとして降格および懲戒が行われた。事故後の乗組員の活動に対しては、20名の士官および兵が賞賛状、海軍海兵隊功績メダル、海軍海兵隊賞賛メダル、および勲功メダルを受章した。 サンフランシスコが衝突した海山は、当時艦で使用していた海図には表示されていなかった。しかし、他の海図には「変色した海水」が表示され、それは海山の存在を示していた。海軍は海山に関する情報が海図に移されていなければならなかったと決定した。そして、それが行われていなかったことは適切な手続きが行われていなかったことを表した。 サンフランシスコは最近核燃料を交換し、2017年まで現役にあることを期待されたが、そのために海軍は艦を修理するのが最善であると決定した。サンフランシスコは本格修理のためピュージェット・サウンド海軍造船所入りすることとなった。浮力を改善するためグアムで応急修理が行われ、真珠湾経由でピュージェット・サウンド海軍造船所に向かい、2005年8月26日に到着した。 サンフランシスコは艦首部分を大きく破損し、気密室もゆがんでいたため、前部区画の一部は2006年に退役したホノルル (USS Honolulu, SSN-718) のものと交換された。これは、ホノルルの原子炉オーバーホール費用が1億7千万ドルと見積もられたのに対し、サンフランシスコの前部区画の交換は79百万ドルで済むと見積もられたためである。 2008年10月10日に前部区画の交換工事が無事完了し、サンフランシスコはドックを出渠した。この工事では、ホノルルからバラストタンクとソナードームを含む500トン以上の区画がサンフランシスコに移植された。2009年4月に修理作業が完工して海上公試が行われ、母港はカリフォルニア州サンディエゴのポイント・ロマ海軍基地に移った。
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衝突事故
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「ハザード (水雷砲艦)」の記事における「衝突事故」の解説
1912年2月2日、チャールズ・J・C・リトル大尉の指揮下のハザードはソレント海峡での演習中にA級潜水艦(英語版)「A3(英語版)」と衝突事故を起こした。A3は浮上しようとしていた際に誤ってハザードに衝突した。 A3は沈没し、14名の乗組員は全員死亡した。
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衝突事故
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2009年10月27日19時56分頃、関門海峡において大韓民国籍コンテナ船「カリナ・スター」に衝突された。この事故で乗員6名が負傷、本艦は艦首を損傷・出火したが、10時間半後に鎮火に成功した。この事故により揚錨部(アンカー巻上げ部)も含む艦首部分がほぼ全壊し単独航行は難しい状態になった。「カリナ・スター」側に負傷者はなかった。 この事故では、護衛艦くらまおよび誘導していたとする海上保安庁・関門海峡海上交通センターの責任問題が大きく報道されたが、海上保安庁による後の調査によれば、カリナ・スターの韓国人船長が事故について虚偽の供述をしていたことが明らかとなっている。AIS等による航跡の解析などにより、コンテナ船は事故直前まで減速せず、貨物船の後方わずか20-30メートルの距離まで近づき追突寸前となった。そのため左に急旋回し、前方から航行してきたくらまに衝突した。この事故で門司海保は船長の供述が翻ったことから、事故の主因はコンテナ船にあったと断定した。 事故後は佐世保に自力で帰港していたが、付近で護衛艦を修理のできる造船所が限られることから11月9日に随意契約による修理を発注し2010年初頭から長崎市に所在する三菱重工長崎造船所で修理され、同年6月9日に修理が完了した。この事故での損害は約9億4,000万円と見込まれている。
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衝突事故
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「アトランティック・エンプレス」の記事における「衝突事故」の解説
1979年7月19日、アラブ首長国連邦からアメリカのテキサスへ向けて原油を輸送中、カリブ海トバゴ島沖45kmの海上でタンカー「エーゲアン・キャプテン(Aegean Captain)」(210,257重量トン)と衝突。両船から大量の原油が流出し炎上、本船乗員29名が死亡した。トリニダード・トバゴの沿岸警備隊が出動し、「エーゲアン・キャプテン」に乗船して同船乗員と共に消火作業を行い、曳船を用いて両船を引き離した。その後「エーゲアン・キャプテン」は鎮火したが、本船は21日に外洋に曳航後も爆発・炎上を繰り返し、8月2日に沈没した。本船は28万7千トンの原油を流出したが、原油は海岸へは到達せず、海岸の汚染はなかった。
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衝突事故
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詳細は「2009年人工衛星衝突事故」を参照 2009年2月10日16時55分UTCに、北シベリア上空約790kmにおいて運用中であった通信衛星イリジウム33号が機能停止中であったロシアの軍事通信衛星コスモス2251号と衝突し、500個以上ものスペースデブリを発生させた。これは、宇宙空間で発生した初めての人工衛星同士の衝突事故である。日本デジコムは同12日のプレスリリースで、イリジウム社は30日以内に衝突し破壊された衛星の軌道上にスペアとなる衛星を再配置する計画であり、ユーザーに対する影響は軽微と発表した。 2007年に、イリジウム コミュニケーションズは、イリジウム通信衛星66機をすべて更新する総額30億ドルの次世代衛星通信ネットワーク計画「Iridium NEXT」を発表。2014年3月に、オービタルサイエンシズ社が生産を開始し、軌道上で運用する66機と軌道上予備機6機、地上予備機9機の計81機を3年間で製造すると発表した。打ち上げは2015年2月に開始し、2017年までに全ての衛星を軌道上に展開する予定。
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衝突事故
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「K-19 (原子力潜水艦)」の記事における「衝突事故」の解説
K-19は1969年11月15日に、バレンツ海水深60メートル (200フィート) でアメリカのスレッシャー級原子力潜水艦ガトー (USS Gato, SSN-615) と衝突事故を起こしている。同艦は非常バラスト・タンクのブローによって浮上することが出来た。衝撃によってバウ・ソナーシステムを完全に破壊され、前方の魚雷発射管のカバーが押し潰された。そして修理を受けて艦隊に引き返した。
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衝突事故
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「スペクトル (ミール)」の記事における「衝突事故」の解説
1997年6月25日、クバント1へのドッキング操作中であった無人補給船プログレス M-34が進路を逸れ、スペクトルに衝突した。この衝突によってスペクトルの太陽電池アレイのうち一枚がダメージを受け、モジュールの与圧隔壁に穴が開き、与圧が失われた。スペクトルモジュールはミール全体が減圧するのを防ぐためにハッチを閉じて残りのモジュールから隔離されたが、この際に急いで電力ケーブルを外す必要があったため、火災時用の斧でケーブルの切断が行われた。この影響で、スペクトルの太陽電池アレイからの電力供給が途絶えた。 1997年8月、ソユーズTM-26で派遣されたアナトリー・ソロフィエフとパーヴェル・ヴィノグラードフが、減圧状態のスペクトルモジュール内部で船外活動を行い、ハッチを改造して配線を通せるようにしたことで配線接続の回復に成功した。2回目のスペクトル内部での船外活動は1997年10月に行われ、2枚の太陽電池アレイを自動制御で太陽に向けられるようにするためにコンピュータシステムに接続した。これらの修理によって電力の供給量は最大で衝突前の約70%にまで戻った。 その後幾度かにわたって空気漏れの穴を探す作業が行われたが、発見にまでは至らなかった。故障したスペクトルはミールの残りの部分から孤立したままの状態に置かれた。空気漏れ箇所は2000年4月に発見されたが、スペクトルは修理されないままミール本体と共に2001年3月にその生涯を終えた。
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