番組の歩みとは? わかりやすく解説

番組の歩み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:56 UTC 版)

テレQスーパースタジアム」の記事における「番組の歩み」の解説

放送開始したのはTVQ開局した1991年4月23日、まだ開局して1か月経たない頃である。当初野球中継ノウハウ乏しかったことから、ダイエー当時ホークス親会社)が筆頭株主だったサンテレビジョン提携し、実制作委託した上でTVQが「技術協力」という形で制作する体制取っていた。実況アナウンサー解説者ともにサンテレビから派遣されたため、『サンテレビボックス席』と全く同じ内容となったまた、テレビ埼玉テレ玉)から対埼玉西武ライオンズ戦をネット受けしたこともある。 その後自社での制作体制整った後は、『KBS京都エキサイトナイター』など独立局ネットした事例もあった。 2003年には福岡ダイエーホークス当時)が日本シリーズ進出したため、ダイエーVS阪神第7戦の放映権獲得したテレビ東京日本シリーズ中継問題に関する項目も参照のこと)。なお、その後TVQでの日本シリーズ中継は、2011年福岡ソフトバンクVS中日2015年福岡ソフトバンクVS東京ヤクルト2度中継実績がある。 土曜夕方スポーツ情報番組が『スポスタ』となってからは、副音声使った応援実況放送取り組み始められ、完全デジタル化後はNHK BS1などで行われていた、実況音声除いた球場音声のみを副音声で流すダブルステレオ放送行われるようになった2019年4月愛称を「テレQ」に変更するに伴い2019年シーズンから「テレQスーパースタジアム」に変更した 。なお、当番組のテレQロゴ中央部通常の目玉では無く野球ボールの形になっている

※この「番組の歩み」の解説は、「テレQスーパースタジアム」の解説の一部です。
「番組の歩み」を含む「テレQスーパースタジアム」の記事については、「テレQスーパースタジアム」の概要を参照ください。


番組の歩み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/28 22:42 UTC 版)

ふるさと紀行」の記事における「番組の歩み」の解説

1963年5月2日愛知県の「鳳来寺山」の回から始まって以来40年来の歴史誇っていた長寿番組である。1962年11月放送開始した東海文学散歩』が本番組の源流にあたり東海地方文学作品の舞台となった地を訪れ番組であった本番組は取材対象日本全国広げることによって開始した概ね半年1年間1つ区切り様々なテーマ設けその内容沿った日本原風景映像東海テレビアナウンサー語り紹介していた。番組タイトルは『ふるさと紀行 -夢ごよみ-』や『ふるさと紀行 -家族-』といったように、その年ごと設けたテーマサブタイトルとして付随させるのが慣例になっていた。1969年10月7日から放送開始した日本の四季』よりカラー放送になる。 1982年には放送1000回を記念して番組初の海外取材行った長江から 日本文化源流を探る』が放送されその後中華人民共和国河川長江題材にした紀行番組長江のうた』(1984年10月 - 1985年3月)、『長江のうたII』(1985年9月 - 1986年3月)が放送された。 この番組は他のフジテレビ系列でも放送されていた。キー局フジテレビジョン準キー局関西テレビでは開始当初から放送されたが2004年3月打ち切られ、この時にネット局石川テレビ放送福井テレビジョン放送のみとなった。しかし、2006年4月からはテレビ西日本2007年4月からはKBS京都でも放送開始された。ただし、テレビ西日本では1年遅れの内容で、KBS京都では1か月遅れの内容放送されていた。また、テレビ新広島でも土曜早朝放送されていた。 2004年からハイビジョン制作へと移行したが、テレビ西日本では地上デジタル放送においても標準画質 (SD) で放送されていた。これは、テレビ西日本地上デジタル放送開始したのが2006年7月とまだ日が浅く放送開始当時同局ハイビジョン設備と言えるものがほとんどなく、VTR録画の際に東海テレビからは従来通りSD放送しか受信できなかったためである。 また、日本国外でもヨーロッパ北アフリカアメリカ、カナダイラン一部の回が放送されていた。 番組放送開始当初から名鉄グループ一社提供放送されていた。当初は、新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)を発車する(つまり地下から地上出てくる)名鉄電車の姿が(オーケストラBGM)、また後年には博物館明治村リトルワールド背景名鉄イメージソングしなやかな風」のBGM)をバックにするなど、番組末期まで形は変われ名鉄グループ各社社名ロールスクリーン方式紹介するオープニングがあった。また、替わりグループ会社CM流していた。なお、地元東海テレビ以外のネット局向けには、名鉄沿線観光施設CMが主に放送されていたほか、ネット局地域名鉄グループ企業CM(例として、福井テレビでは当時名鉄グループだった福井鉄道)も流された。 しかし、後に名鉄実施したリストラ一環により、2006年3月放送最後にグループスポンサーから撤退。提供をその翌月からスタートした番組夢のちから』(現在は『祭人魂』)へと移し替えた1963年5月から始まったこの長寿番組2007年9月30日放送した姫路城取り上げた回が最後の放送となり、その44年余り歴史に幕閉じた2011年にはBS11にて『ふるさと紀行』という同名の番組が4回シリーズ放送されたが、この番組とは無関係である。

※この「番組の歩み」の解説は、「ふるさと紀行」の解説の一部です。
「番組の歩み」を含む「ふるさと紀行」の記事については、「ふるさと紀行」の概要を参照ください。


番組の歩み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 16:13 UTC 版)

情報アキハバラエティ はばラヂ」の記事における「番組の歩み」の解説

2006年平成18年3月30日 - インターネットラジオ動画つき配信サイトすときゃ!』で番組開始2007年平成19年11月1日 - すときゃ!閉鎖のためBBstation番組移転する12月27日 - 番組開始からアシスタント務めていた二宮圭美声優業から引退することになり番組降板2008年平成20年1月31日 - アダルトゲーム活躍している声優ひなき藍二代目アシスタントになる。 2010年平成22年4月29日 - 任期満了の為、ひなき藍番組卒業5月6日 - 金子未佳三代目アシスタントになる。 2011年平成23年4月7日 - ニコニコ動画テスト配信行った

※この「番組の歩み」の解説は、「情報アキハバラエティ はばラヂ」の解説の一部です。
「番組の歩み」を含む「情報アキハバラエティ はばラヂ」の記事については、「情報アキハバラエティ はばラヂ」の概要を参照ください。


番組の歩み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:26 UTC 版)

「ルックルックこんにちは」記事における「番組の歩み」の解説

番組開始前の日本テレビ系列の朝のワイドショー番組は、1969年10月より放送開始された『奥さまハプニングサロン』を皮切りに朝のワイドショー ○○と90分○○には司会者の名前が入る)』、『あなたのワイドショー』、『ミセス&ミセス』と目まぐるしく変遷朝の時間帯の抜本的な改編積年課題となっていた。その中で1979年それまで子供向け番組時間だった午前7時台に、全国の各ネット局中継回線繋げていきながら番組進めてゆくという異色情報番組として『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き司会にまだ30代になったばかりだった沢田亜矢子抜擢し、『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面押し出す形でスタートしたのが本番であった曜日別コーナー特色のあるコーナー多かった初期においては評論家竹村健一による時事解説コーナー竹村健一の世相講談」(1979年 - 1985年3月)や、レオタード姿のインストラクター・ジェニー中尾エアロビクスレクチャーする「アロービックダンシング」(1982年 - 1984年頃)などがあったが、コーナー岸部シロー当番出演中1990年代半ば岸部四郎改名)が司会就任した後にまもなく終了した名物コーナーである水曜日の「ドキュメント・女ののど自慢」(司会なべおさみ夏木ゆたか)、木曜日の「突撃隣の晩ごはん」(リポーターヨネスケその後も『ザ!情報ツウ』→『NNN Newsリアルタイム』→『おもいッきりDON!1155』→『DON!』及びBS日テレ真麻のドドンパッ!』にて放送された)、『あなたのワイドショー時代より続く金曜日の「テレビ三面記事」(『ウィークエンダー』を主婦向けの内容にした)、「涙のご対面」(『それは秘密です!!』の企画受け継いだコーナー)。 1984年9月沢田降板同年10月からの後任には岸部起用された。 1990年代入り芸能・社会ニュース前面押し出す内容変更していき、その影響で、名物コーナーだった「涙のご対面」が終了したほか、番組冒頭から放送していた「女ののど自慢」は、番組後半移動している。 1995年10月6日からは、金曜10:3030再放送枠が廃されたのに伴い金曜のみ30拡大して10:55までの放送となったが、1996年改編10:30に『峰竜太のホンの昼メシ前』(月曜 - 木曜10:30 - 11:25金曜のみ10:30 - 11:00)を設置するため、1996年10月以降金曜放送は元の10:25までに戻された。 年末については、曜日配列によっては大晦日まで放送且つ11:25までの拡大版)していた。 1996年年明けスポーツ新聞岸部勇退説が出るも、プロデューサー仲築間卓蔵インタビュー否定する同時に岸部ワイドショー司会最長記録であった小川宏記録更新することを目指していることを明かした。 しかし1998年4月6日岸部長年事業趣味への過剰な投資付け回り不渡り手形発生自己破産申し立て番組降板日本テレビ申し出た。この事態受けて日テレ慎重に検討した結果、「本人の全くの個人的な経済行為とはいえ不渡り手形発生した事態極めて遺憾考えとともに情報番組性質鑑みて司会者として適格性を欠く」と判断して申出受理13年司会務めた本番組を降板することとなった。翌7日スタジオ本人不在のままサブ司会だった笛吹雅子がこの降板理由と局からのコメント説明する事態となった。この日から急遽3代目司会者として松永二三男当時日本テレビアナウンサー、現在フリー)が就任した2001年春、新番組レッツ!』に引き継ぐ形で22年歴史に幕閉じた。なお、岸部歴代司会者として沢田サブ司会だった米森麻美とともに最終回ゲスト出演した末期においても視聴率1位を守っていたが、終了直前2001年2月フジテレビ情報プレゼンター とくダネ!』にその座を譲った

※この「番組の歩み」の解説は、「ルックルックこんにちは」の解説の一部です。
「番組の歩み」を含む「ルックルックこんにちは」の記事については、「ルックルックこんにちは」の概要を参照ください。


番組の歩み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 16:30 UTC 版)

カウントダウン (クイズ番組)」の記事における「番組の歩み」の解説

カウントダウンフランス番組Des chiffres et des lettres」に由来する。ヨークシャー・テレビジョン・ITV当時リチャード・ワイトリーが司会をしていたカレンダーというニュース雑誌による番組の1コーナーとして、カレンダー・カウントダウンという名で放送されたのが最初。のちにチャンネル4へと発展するテレビ会社の長をしていた、セシル・コレアーがこの番組を見るとより多く視聴者見てもらいたいと、すぐにフランス版カウントダウン側に交渉し1982年11月2日4時45分テレビ局チャンネル4発足同時にカウントダウンは初オン・エアーされることになった2001年以降45分番組カウントダウン午後3時15開始へと変更された。司会がデス・ライナムになってからは、3時半開始へ変更された。現在は、午後3時25開始。 現在グラナダ・テレビジョン・グループの一部である、ヨークシャー・テレビジョンがチャンネル4カウントダウン放送している。2004年11月1日にグラナダ・プロダクションの企業内変以後カウントダウン製作者名は「グラナダ・ヨークシャー・プロダクション」と表示されるようになった開始当初アシスタントは、キャロル・ボーダマン、キャシー・ハイトナー、リンダ・バレット博士、ベヴァリー・イッシャーウッドの4人であったが、あまりに多すぎるとの批判もあった。バレットとイッシャーウッドは1983年末に降板。ハイトナーは1987年まで続けた後、カレン・ローリン、ルシー・サマーズと交代したが、彼女たち長くは続かなかった。1989年以降2008年までキャロル・ボーダマン単独アシスタント務めた2008年末にボーダマンが降板し、2009年からレイチェル・ライリーになった番組変化としては他に、2001年30分から45分番組へを変更になり、CM1回から2回になったレギュラー出演者加えて毎回辞書コーナー」にテレビ業界多彩なゲスト招き1つ目のCM前にちょっとしたエンターテイメントのコーナーがある。そこでは、ゲストによる、ジョークや、見せ物詩の朗読パズルゲームマジックなどが行われる。 番組は現在午後3時25分から4時10分まで放送されそれゆえワイトリーは「ティー・タイム・ショー」と呼んだ)、2日後の朝5時10分から(それより多少早まることもある)再放送がある。おそらく放送時間から考えて番組人気高齢者学生に特に人気があり、番組にもそれらの年齢層がよく出演する2001年から、CM前にティー・タイムのミニクイズ」(teatime teaser)のが加わった。それは、最終クイズ似た形態で、8文字当初は7文字)のアルファベット並べ替え単語作るつづり変えゲーム視聴者コマーシャルの間考えゲームである。CMの間に違う番組乗り換え視聴者を減らす効果狙ったためであろう。ワイトリーはちょっとしたヒント(たいていはシャレ含んで)を与える。ワイトリー自身答え知らないのも視聴者楽しめる要因となることもある。 たいていの英国伝統的なクイズ番組のように、カウントダウン競技自体重点を置き、賞品はあまり豪勢なものではない。 ワイトリーはクイズ参加者ネタシャレを言うことも多く時には失言癖のレベル達することもあり不快感与えることもある。 2004年7月にワイトリーとボーダマンは2009年まで番組出演契約結んだ発表された。2005年にワイトリーが肺炎かかったとき、代わり司会選出されたが、結局撮影延期され結局2005年6月のワイトリーの死によって中止された。ワイトリーの死は関係者にはショッキングであり、ボーダマンも困惑せずにはいられなかった。死のニュース伝えられた日に行った徹夜会議結果決定されたことは、その放送キャンセルの後、ワイトリーが入院する前に撮影され準々決勝全部5つ)は彼への賛辞をこめて準決勝合わせて2005年6月30日放送され2005年7月1日決勝戦放送された。その後は、番組休止され永久的番組閉鎖うわさされたが、2005年7月にボーダマンが、新しい司会者迎えた番組復帰発表された。 2005年8月、デス・ライナムとポール・マートンが新司会者最終候補者になったうわさされた。2005年9月24日、ライナムが司会者決まり、第54シリーズ(これは不規則的に長い9ヶ月ものシリーズになった)が2005年10月10日始まり2005年10月31日番組復帰した2007年1月より、ライナムに代わってデス・オコナーが司会務める。2009年1月からは、ジェフ・ステリングが司会になる。

※この「番組の歩み」の解説は、「カウントダウン (クイズ番組)」の解説の一部です。
「番組の歩み」を含む「カウントダウン (クイズ番組)」の記事については、「カウントダウン (クイズ番組)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「番組の歩み」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「番組の歩み」の関連用語

番組の歩みのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



番組の歩みのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのテレQスーパースタジアム (改訂履歴)、ふるさと紀行 (改訂履歴)、情報アキハバラエティ はばラヂ (改訂履歴)、ルックルックこんにちは (改訂履歴)、カウントダウン (クイズ番組) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS