番組の歩み
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「テレQスーパースタジアム」の記事における「番組の歩み」の解説
放送を開始したのはTVQが開局した1991年の4月23日、まだ開局して1か月も経たない頃である。当初は野球中継のノウハウが乏しかったことから、ダイエー(当時ホークスの親会社)が筆頭株主だったサンテレビジョンと提携し、実制作を委託した上でTVQが「技術協力」という形で制作する体制を取っていた。実況アナウンサー・解説者ともにサンテレビから派遣されたため、『サンテレビボックス席』と全く同じ内容となった。また、テレビ埼玉(テレ玉)から対埼玉西武ライオンズ戦をネット受けしたこともある。 その後、自社での制作体制が整った後は、『KBS京都エキサイトナイター』など独立局にネットした事例もあった。 2003年には福岡ダイエーホークス(当時)が日本シリーズに進出したため、ダイエーVS阪神第7戦の放映権を獲得した(テレビ東京の日本シリーズ中継問題に関する項目も参照のこと)。なお、その後TVQでの日本シリーズ中継は、2011年・福岡ソフトバンクVS中日・2015年・福岡ソフトバンクVS東京ヤクルトと2度中継の実績がある。 土曜夕方のスポーツ情報番組が『スポスタ』となってからは、副音声を使った応援実況放送の取り組みが始められ、完全デジタル化後はNHK BS1などで行われていた、実況音声を除いた球場内音声のみを副音声で流すダブルステレオ放送も行われるようになった。 2019年4月に愛称を「テレQ」に変更するに伴い、2019年シーズンから「テレQスーパースタジアム」に変更した 。なお、当番組のテレQロゴは中央部が通常の目玉では無く、野球ボールの形になっている。
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番組の歩み
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1963年5月2日に愛知県の「鳳来寺山」の回から始まって以来、40年来の歴史を誇っていた長寿番組である。1962年11月に放送を開始した『東海文学散歩』が本番組の源流にあたり、東海地方の文学作品の舞台となった地を訪れる番組であった。本番組は取材対象を日本全国に広げることによって開始した。概ね半年〜1年間を1つの区切りに様々なテーマを設け、その内容に沿った日本の原風景を映像と東海テレビのアナウンサーの語りで紹介していた。番組タイトルは『ふるさと紀行 -夢ごよみ-』や『ふるさと紀行 -家族-』といったように、その年ごとに設けたテーマをサブタイトルとして付随させるのが慣例になっていた。1969年10月7日から放送を開始した『日本の四季』よりカラー放送になる。 1982年には放送1000回を記念して番組初の海外取材を行った『長江から 日本文化の源流を探る』が放送され、その後も中華人民共和国の河川長江を題材にした紀行番組『長江のうた』(1984年10月 - 1985年3月)、『長江のうたII』(1985年9月 - 1986年3月)が放送された。 この番組は他のフジテレビ系列でも放送されていた。キー局のフジテレビジョンや準キー局の関西テレビでは開始当初から放送されたが2004年3月に打ち切られ、この時にネット局は石川テレビ放送と福井テレビジョン放送のみとなった。しかし、2006年4月からはテレビ西日本、2007年4月からはKBS京都でも放送が開始された。ただし、テレビ西日本では1年遅れの内容で、KBS京都では1か月遅れの内容で放送されていた。また、テレビ新広島でも土曜早朝に放送されていた。 2004年からはハイビジョン制作へと移行したが、テレビ西日本では地上デジタル放送においても標準画質 (SD) で放送されていた。これは、テレビ西日本が地上デジタル放送を開始したのが2006年7月とまだ日が浅く、放送開始当時は同局にハイビジョン設備と言えるものがほとんどなく、VTR録画の際に東海テレビからは従来通りのSD放送しか受信できなかったためである。 また、日本国外でもヨーロッパ、北アフリカ、アメリカ、カナダ、イランで一部の回が放送されていた。 番組は放送開始当初から名鉄グループの一社提供で放送されていた。当初は、新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)を発車する(つまり地下から地上に出てくる)名鉄電車の姿が(オーケストラのBGM)、また後年には博物館明治村やリトルワールドの背景(名鉄イメージソング「しなやかな風」のBGM)をバックにするなど、番組末期まで形は変われど名鉄グループ各社の社名をロールスクリーン方式で紹介するオープニングがあった。また、週替わりでグループ会社のCMを流していた。なお、地元東海テレビ以外のネット局向けには、名鉄沿線の観光施設のCMが主に放送されていたほか、ネット局地域の名鉄グループの企業CM(例として、福井テレビでは当時名鉄グループだった福井鉄道)も流された。 しかし、後に名鉄が実施したリストラの一環により、2006年3月の放送を最後に同グループはスポンサーから撤退。提供枠をその翌月からスタートした番組『夢のちから』(現在は『祭人魂』)へと移し替えた。1963年5月から始まったこの長寿番組は2007年9月30日に放送した姫路城を取り上げた回が最後の放送となり、その44年余りの歴史に幕を閉じた。 2011年にはBS11にて『ふるさと紀行』という同名の番組が4回シリーズで放送されたが、この番組とは無関係である。
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番組の歩み
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「情報アキハバラエティ はばラヂ」の記事における「番組の歩み」の解説
2006年(平成18年) 3月30日 - インターネットラジオ動画つき配信サイト『すときゃ!』で番組を開始。 2007年(平成19年) 11月1日 - すときゃ!閉鎖のためBBstationへ番組を移転する。 12月27日 - 番組開始からアシスタントを務めていた二宮圭美が声優業から引退することになり番組を降板。 2008年(平成20年) 1月31日 - アダルトゲームで活躍している声優のひなき藍が二代目アシスタントになる。 2010年(平成22年) 4月29日 - 任期満了の為、ひなき藍が番組を卒業。 5月6日 - 金子未佳が三代目のアシスタントになる。 2011年(平成23年) 4月7日 - ニコニコ動画のテスト配信を行った。
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番組の歩み
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「ルックルックこんにちは」の記事における「番組の歩み」の解説
同番組開始前の日本テレビ系列の朝のワイドショー番組は、1969年10月より放送が開始された『奥さまハプニングサロン』を皮切りに『朝のワイドショー ○○と90分(○○には司会者の名前が入る)』、『あなたのワイドショー』、『ミセス&ミセス』と目まぐるしく変遷、朝の時間帯の抜本的な改編は積年の課題となっていた。その中で1979年、それまでは子供向け番組の時間だった午前7時台に、全国の各ネット局と中継回線で繋げていきながら番組を進めてゆくという異色の情報番組として『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き、司会にまだ30代になったばかりだった沢田亜矢子を抜擢し、『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面に押し出す形でスタートしたのが本番組であった。 曜日別コーナーは特色のあるコーナーが多かった。初期においては評論家の竹村健一による時事解説コーナー「竹村健一の世相講談」(1979年 - 1985年3月)や、レオタード姿のインストラクター・ジェニー中尾がエアロビクスをレクチャーする「アロービックダンシング」(1982年 - 1984年頃)などがあったが、コーナーは岸部シロー(当番組出演中の1990年代半ばに岸部四郎へ改名)が司会に就任した後にまもなく終了した。 名物コーナーである水曜日の「ドキュメント・女ののど自慢」(司会:なべおさみ → 夏木ゆたか)、木曜日の「突撃・隣の晩ごはん」(リポーター:ヨネスケ、その後も『ザ!情報ツウ』→『NNN Newsリアルタイム』→『おもいッきりDON!1155』→『DON!』及びBS日テレ『真麻のドドンパッ!』にて放送された)、『あなたのワイドショー』時代より続く金曜日の「テレビ三面記事」(『ウィークエンダー』を主婦向けの内容にした)、「涙のご対面」(『それは秘密です!!』の企画を受け継いだコーナー)。 1984年9月に沢田が降板、同年10月からの後任には岸部が起用された。 1990年代に入り、芸能・社会ニュースを前面に押し出す内容に変更していき、その影響で、名物コーナーだった「涙のご対面」が終了したほか、番組冒頭から放送していた「女ののど自慢」は、番組後半に移動している。 1995年10月6日からは、金曜10:30の30分再放送枠が廃枠されたのに伴い、金曜のみ30分拡大して10:55までの放送となったが、1996年秋改編で10:30に『峰竜太のホンの昼メシ前』(月曜 - 木曜は10:30 - 11:25、金曜のみ10:30 - 11:00)を設置するため、1996年10月以降の金曜放送は元の10:25までに戻された。 年末については、曜日配列によっては大晦日まで放送(且つ11:25までの拡大版)していた。 1996年の年明けにスポーツ新聞に岸部の勇退説が出るも、プロデューサーの仲築間卓蔵がインタビューで否定すると同時に岸部がワイドショー司会最長記録であった小川宏の記録を更新することを目指していることを明かした。 しかし1998年4月6日、岸部は長年の事業や趣味への過剰な投資の付けが回り不渡り手形が発生。自己破産を申し立て、番組降板を日本テレビに申し出た。この事態を受けて日テレは慎重に検討した結果、「本人の全くの個人的な経済行為とはいえ、不渡り手形が発生した事態を極めて遺憾と考えるとともに、情報番組の性質に鑑みて司会者としての適格性を欠く」と判断して申出を受理。13年半司会を務めた本番組を降板することとなった。翌7日、スタジオに本人不在のままサブ司会だった笛吹雅子がこの降板理由と局からのコメントを説明する事態となった。この日から急遽3代目司会者として松永二三男(当時日本テレビアナウンサー、現在フリー)が就任した。 2001年春、新番組『レッツ!』に引き継ぐ形で22年の歴史に幕を閉じた。なお、岸部は歴代司会者として沢田・サブ司会だった米森麻美とともに最終回にゲスト出演した。 末期においても視聴率1位を守っていたが、終了直前の2001年2月にフジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』にその座を譲った。
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番組の歩み
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「カウントダウン (クイズ番組)」の記事における「番組の歩み」の解説
カウントダウンはフランスの番組「Des chiffres et des lettres」に由来する。ヨークシャー・テレビジョン・ITVで当時リチャード・ワイトリーが司会をしていたカレンダーというニュース雑誌による番組の1コーナーとして、カレンダー・カウントダウンという名で放送されたのが最初。のちにチャンネル4へと発展するテレビ会社の長をしていた、セシル・コレアーがこの番組を見るとより多くの視聴者に見てもらいたいと、すぐにフランス版カウントダウン側に交渉し、1982年11月2日4時45分、テレビ局・チャンネル4の発足と同時にカウントダウンは初オン・エアーされることになった。2001年以降45分番組のカウントダウンは午後3時15分開始へと変更された。司会がデス・ライナムになってからは、3時半開始へ変更された。現在は、午後3時25分開始。 現在グラナダ・テレビジョン・グループの一部である、ヨークシャー・テレビジョンがチャンネル4でカウントダウンを放送している。2004年11月1日にグラナダ・プロダクションの企業内変革以後、カウントダウンの製作者名は「グラナダ・ヨークシャー・プロダクション」と表示されるようになった。 開始当初のアシスタントは、キャロル・ボーダマン、キャシー・ハイトナー、リンダ・バレット博士、ベヴァリー・イッシャーウッドの4人であったが、あまりに多すぎるとの批判もあった。バレットとイッシャーウッドは1983年末に降板。ハイトナーは1987年まで続けた後、カレン・ローリン、ルシー・サマーズと交代したが、彼女たちも長くは続かなかった。1989年以降、2008年まではキャロル・ボーダマンが単独でアシスタントを務めた。2008年末にボーダマンが降板し、2009年からレイチェル・ライリーになった。 番組の変化としては他に、2001年に30分から45分番組へを変更になり、CMが1回から2回になった。 レギュラー出演者に加えて、毎回「辞書コーナー」にテレビ業界の多彩なゲストを招き、1つ目のCM前にちょっとしたエンターテイメントのコーナーがある。そこでは、ゲストによる、ジョークや、見せ物、詩の朗読、パズルゲーム、マジックなどが行われる。 番組は現在午後3時25分から4時10分まで放送され(それゆえワイトリーは「ティー・タイム・ショー」と呼んだ)、2日半後の朝5時10分から(それより多少早まることもある)再放送がある。おそらく放送時間から考えて番組の人気が高齢者や学生に特に人気があり、番組にもそれらの年齢層がよく出演する。 2001年から、CM前に「ティー・タイムのミニクイズ」(teatime teaser)のが加わった。それは、最終クイズに似た形態で、8文字(当初は7文字)のアルファベットを並べ替えて単語を作るつづり変えゲームを視聴者がコマーシャルの間考えるゲームである。CMの間に違う番組に乗り換える視聴者を減らす効果を狙ったためであろう。ワイトリーはちょっとしたヒント(たいていはシャレを含んで)を与える。ワイトリー自身も答えを知らないのも視聴者を楽しめる要因となることもある。 たいていの英国の伝統的なクイズ番組のように、カウントダウンは競技自体に重点を置き、賞品はあまり豪勢なものではない。 ワイトリーはクイズ参加者をネタにシャレを言うことも多く、時には失言癖のレベルに達することもあり不快感を与えることもある。 2004年7月にワイトリーとボーダマンは2009年まで番組出演の契約を結んだと発表された。2005年にワイトリーが肺炎にかかったとき、代わりの司会が選出されたが、結局撮影は延期され、結局2005年6月のワイトリーの死によって中止された。ワイトリーの死は関係者にはショッキングであり、ボーダマンも困惑せずにはいられなかった。死のニュースが伝えられた日に行った徹夜の会議の結果決定されたことは、その放送のキャンセルの後、ワイトリーが入院する前に撮影された準々決勝(全部で5つ)は彼への賛辞をこめて準決勝も合わせて2005年6月30日に放送され、2005年7月1日に決勝戦も放送された。その後は、番組が休止され、永久的な番組閉鎖がうわさされたが、2005年7月にボーダマンが、新しい司会者を迎えた番組の復帰が発表された。 2005年8月、デス・ライナムとポール・マートンが新司会者の最終候補者になったとうわさされた。2005年9月24日、ライナムが司会者に決まり、第54シリーズ(これは不規則的に長い9ヶ月ものシリーズになった)が2005年10月10日に始まり、2005年10月31日番組が復帰した。 2007年1月より、ライナムに代わってデス・オコナーが司会を務める。2009年1月からは、ジェフ・ステリングが司会になる。
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