1987年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 15:03 UTC 版)
「阪急5000系電車」の記事における「1987年まで」の解説
1970年末より、神戸本線で連結解放運用が始まった。これは、6両編成に梅田側に2両を増結して8両編成を組成し、編成長が6両に制限される山陽電鉄ではこの2両を三宮駅(現在の神戸三宮駅)で切り離して乗り入れするという運用であった。これに伴い、5000F、5002Fが編成を崩され、新規に製造された※を組み込んで以下のように再組成された。 5000-※5040+※5030-5500-5050+5001-5501-5051 5002-※5041+※5031-5502-5052+5003-5503-5053 製造・組み込みは前年中で、連結解放運用の開始までは神戸本線内で8両固定で使用された。5563が組み込み先編成の車両番号を考慮して飛び番号で製造されたのに対し、今回は製造順に0、1と番号が付された。連結解放運用はこの4本が5200系の同様の編成と共に限定的に充当された。 一方、5200系5200Fが製造されたのに伴い、連結解放運用対象外の編成のうち2本が暫定的に5200系と編成を組んで以下のようになった。ここでは5200系を※で示す。 5006-5506-※5741-※5711-5056+5007-5507-5057 ※5201-※5241+※5231-※5701-※5251+5004-5504-5054 ※5202-※5242+※5232-※5702-※5252+5005-5505-5055 5006Fは、編成内に5両編成が発生した点、非冷房の5000系編成内に冷房車の5200系が連結された点で非常に特異な存在となった。また、5004F、5005Fは5200系が密着式電気連結器を装備していたため、連結解放運用に使用された。 1971年、5000系は5012Fが宝塚本線から神戸本線に再転用され、5200系は5203Fが製造され、再び編成替えが行われた。※が新たに製造された車両である。5004Fと5006Fは6両編成に復帰し、5013Fは分割の上で新たに連結解放運用に充当されるようになった。 5202-5242+5232-5702-5252+5012-5512-5062 ※5203-※5243+※5233-※5244+5013-5563-5513-5063 5004-5504-5054+5005-5505-5055(旧編成復帰) 5006-5506-5056+5007-5507-5057(旧編成復帰) 1977年12月、連結解放運用が6000系に置き換えられることになり、それに先立って同年3月に、5000系の連結解放運用編成が元々6両編成だった編成も交えて編成替えが実施され、4両編成×2本の8両編成が5本造られた。上記の通り付随車が1両しか製造されていないことから車両が大幅に不足したが、製造終了から時間が経っていたうえ、同時期に機器の構造が複雑な2021系(改造後・2071系)の編成解除・付随車化工事が行われていたことから、これらが5550形付随車の代用として5000系に編入されることになった。連結位置は基本的に上記の5013Fに準じていたが、連結解放運用に用いられていた4本は変則編成となった。ここでは新たに組み込まれた付随車を※で表す。 5000-※2184-※2085-5040+5030<※2083-5500-5050 5002-※2181-※2082-5041+5031-※2182>5502-5052 5001<※2081-5501-5051+5003-※2183>5503-5053(通常の編成) 5004<※2084-5504-5054+5005-※2185>5505-5055(通常の編成) 5006<※2086-5506-5056+5007-※2186>5507-5057(通常の編成) <、>は2021(2071)系の元先頭車の運転台部分との連結部を示す。例えば<2081‐は梅田側に運転台を持っていた車両である。2021系の運転台部分以外の貫通路幅は5000系よりも広く、改造時に狭めるためのアダプターが設置された。ただし、元連結解放運用編成2本(上2段)の2184‐2085、2181‐2082間の連結部は、2021系同士で連結に支障がないため、原形のまま残された。 この時編入された2021系12両は、エコノミカル台車と呼ばれる空気ばね台車を装備しており、この改造で2021系の空気ばね台車装備車両は全車5000系に編入されて消滅することになった。また、当時非冷房であったので転用改造時に冷房搭載改造された。車内側の意匠は極力前後の5000系に合わせられたものの、冷房機は当時の新造車に使用されていた新型機(10500cal/h×3基/1両)が搭載され、さらに元先頭車は運転台撤去跡が残る改造のみで編入されている。 1979年、連結解放運用からの撤退後も6M2T編成(他の8両編成は4M4T)のままとなっていた5200系との混結編成が、編成替えによって6両編成化された。この時5563は5202Fに編入され、連結していた2本は製造時の編成に復帰した。ここでは5200系を※で示す。 5012-5512-5062+5013-5513-5063 ※5202-※5242+※5232-※5702-5563-※5252 また、同年6両編成のまま残った3編成に対して増結が行われ、全編成が8両固定編成となった。6両編成は長らく今津線を中心に使用されていたが、西宮北口駅の神戸本線ホーム延長に伴い今津線は南北に分断されることになり、それを機に2000系と入れ替わる形で神戸本線に集結することになった。組成順に以下の通りである。 5008-**2066-5508-5058+5009-**2069-5509-5059 5012-*2882-5512-5062+5013-2883-5513-5063 5010-※2090-5510-5060+5011-※2171-5511-5061 この時連結された車両は、2000系は支線転出で、2800系は7両編成化で余剰となった車両で、特に元特急車の2800系は窓の形状などに大きな差異があった。ここでは2071系を※、2000系を**、2800系を*で示した。 しかし、1984年5月に発生した六甲事故で廃車された2000系2050の代車を手配するにあたり、他形式を巻き込んだ編成替えが行われた。これにより、5010Fの2171が3100系編成に転用され、代わりに2800系の2886を編入することとなった。 5010-2090-5510-5060+5011-*2886-5511-5061 1987年、後述の車体更新の進捗に伴い、5010F、5012Fは改造時に対象から外れた2800系中間車を差し替えるための編成替えが実施された。ここで長らく5200系の編成内に連結されていた5563が5000系編成に復帰。抜かれた2800系は中間車捻出元の5200系や2000系の編成に転用された。ここでは新たに連結された車両を※で示す。 5010-2090-5510-5060+5011-※5563-5511-5061 5012-※2172-5512-5062+5013-※2174-5513-5063
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