京葉線とは? わかりやすく解説

けいよう‐せん〔ケイエフ‐〕【京葉線】

読み方:けいようせん

東京から新木場経て外房線蘇我(そが)に至るJR線西船橋市川塩浜間、西船橋南船橋間を含む。平成2年1990全通全長54.3キロ


京葉線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 21:30 UTC 版)

京葉線(けいようせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。正式には以下の区間から構成される。




「京葉線」の続きの解説一覧

京葉線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「京葉線」の解説

1986年3月3日ダイヤ改正により京葉線が西船橋 - 千葉港(後の千葉みなと)間で暫定開業し、蒲田電車区から京浜東北線用の103系が6両+4両の10両編成津田沼電車区転入した日中付属4両を切り離した6両編成運用されたが、乗客少ないことから後に基本編成が4両、付属編成が6両に振り替えられた。 京葉線は1988年3月1日新木場 - 南船橋間、市川塩浜 - 西船橋間、千葉港 - 蘇我間が延伸開業し1990年3月10日新木場 - 東京間が開業して全通した全通合わせて京葉電車区発足し、京葉線車両京葉電車区所属移管された。外房線東金線への103系乗り入れ開始され誉田駅での分割併合備えて電気連結器設置改造行われた最初外房線上総一ノ宮駅東金線(4両編成側)は成東駅までであったが、のちに総武快速線E217系4両付属編成勝浦乗り入れを京葉線からの基本6両編成置き換えたため勝浦駅まで運用拡大された。2000年から中央・総武緩行線へのE231系投入により、捻出された三鷹電車区201系京葉電車区転入し103系置き換え開始された。2002年からは山手線へのE231系500番台投入捻出された205系転入し103系分割併合可能編成消滅したモハ103-502はDDM(ダイレクトドライブモーター)駆動改造され2003年5月より営業運転での試験が行われた。 京葉電車区2004年1月1日付で京葉車両センター改称され2004年3月には豊田電車区所属武蔵野線用103系京葉車両センター転入した205系転入その後続けられ、京葉線の103系2005年11月18日営業運転終了した

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京葉線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:22 UTC 版)

国鉄205系電車」の記事における「京葉線」の解説

京葉線東京延伸開業に伴う快速電車用として10両編成12本が新製投入された。東京開業となる1990年3月10日から運用開始され京葉車両センター0番台10両編成 (Tc M M' T M M' T M M' Tc') が配置されていた。色は■。 同線は従来ラインカラースカイブルーだったが、東京全通時の本系投入合わせて同系列の帯色であるワインレッド変更された。ただし、鋼製車101系利用した塗色変更試験結果思わしくなかったため塗り替え見送られ後年京葉線に転属した201系スカイブルー登場している。 従来車とは異なり前面デザイン大幅に変更され全体FRP成形品で覆う構造となり、合わせてフロントガラス曲面形状とした。これは沿線にある大型娯楽施設東京ディズニーリゾート」(「東京ディズニーランド」のみ)へアクセスする電車にもなることから、同ランドへの「楽しいイメージ」を表現したのである南武線向け同様にATC搭載しないため、乗務員室背面仕切壁の窓拡大が行われている。これは以降相模線武蔵野線向けも同様である。 1995年には直通先である内房線外房線内での110km/h 運転に備えてブレーキの増圧工事施され対応する車両には形式番号標記前に○印付与された。2002年からは中央・総武緩行線および山手線からの転入車配置されたが、これらには上記の対応工事施されておらず、運用分けられていた。 転入車のうち、最初の1本は中央・総武緩行線からケヨ21編成として転用された。残り山手線からサハ204形抜いたもので、2002年量産初期型編成2本(ケヨ22・23編成)、2005年量産先行車編成4本(ケヨ24 - 27編成)が転入した。京葉線に新製投入され編成最高速度110km/h 対応車であったのに対し転入車従来103系貫通編成最高速度100km/h)の置き換え目的であり、転入当初201系現行ではE233系5000番台充当されている外房線東金線直通列車の6+4両の分割・併合運用対応していないこともあって京葉線内のみの運用に就くため、110km/h 対応改造行われなかった。 最初の1編成中央・総武緩行線幅広統一に伴う転属で、大転配とは無関係だった最後に入った4本はサハ204形以外の量産先行車編成で、新造時編成戻っている。ダイヤ改正運用本数削減されており、この時点での所要数は3本であったため、当初置き換え計画になかった201系900番台10両が廃車された。 2005年頃には幕が交換され書体は「新ゴ(英表記Helvetica)」に、側面の上部には「京葉線」と表記されたものとなった中央・総武緩行線から転属した車両先頭車前面方向幕黒地白文字で、他は白地黒文字異なっていたが、2005年11月頃よりこれらの山手線転属車の方向幕白地から黒地統一し同時に全編成とも側面方向幕上部に「京葉線」と表記されているものに交換した。これは新製導入車にも施工された。 2007年1月21日川越線内で発生した乗用車との踏切事故影響で、京葉線用1本(ケヨ21編成)がモハ1ユニットモハ205-277 + モハ204-277)を代替として転用するため運用から離脱し不足分として豊田電車区から201系10貫通編成1本が3月転入している。その際、ケヨ21編成残りの8両は保留車となったが、2008年VVVF化改造行い武蔵野線M36編成として転用された。 2007年3月18日ダイヤ改正武蔵野線列車増発されたことから、ケヨ23編成サハ2両を抜いた8両編成とした上で同線へM66編成として転用され、それを捻出するため豊田電車区から201系10貫通編成1本が2月転入している。 2010年7月1日から京葉線にもE233系5000番台導入されたため、本系全車両の置き換え実施された。京葉線所属本系列は新製車転入車とも2011年平成23年7月25日をもって同線での定期運用終了している。なお、運用終了後大半車両廃車となったが、4両編成化の上40両が日光線・宇都宮線へと転用されている。 後年車内ドア付近床面黄色点字模様付き交換された。また他線と同様、座席モケットオリジナルのものから交換されているが、こちらは地色が濃い青色系のものである山手線からの転入車にも同様の例存在する2011年9月運用終了した。 ← 上総一ノ宮上総湊君津蘇我 東京号車10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 形式クハ205(Tc) モハ205(M) モハ204(M') サハ205(T) モハ205(M) モハ204(M') サハ205(T) モハ205(M) モハ204(M') クハ204(Tc')

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京葉線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)

国鉄201系電車」の記事における「京葉線」の解説

京葉線用として京葉車両センター配置され編成は、青梅・五日市線運用編成同様に中央・総武緩行線使用されていた車両で、同時転入205系とともに京葉線の103系置き換えた2000年8月27日から運用開始した塗色はカナリアイエロー(黄5号)からスカイブルー青22号)に変更され先頭車停車駅通過防止装置を京葉線仕様交換運転台横に大型時刻表差し取付が行われた。車内非常通報ボタン丸型から角型変更尾灯LED化、運行番号表示器と側灯もLED化(一部除く)されている。 先頭車正面方向幕は、転入時は白地黒文字となっていた(山手線からの205系転入車も同様)。これは幕を発注する際に「103系と同じ幕を作ってほしい」というJR東日本側の意図製作会社が「内容が同じ」ではなく103系と全く同じ」と取り違え白地黒文字のものを製造したためである。その後2005年秋頃から順次黒地白文字交換すると共に側面上部に「京葉線」を表記するものに交換しフォント新しくなった。 2000年から2001年にかけて転入した10両編成7本は中間先頭車挟まった4両+6両で構成されていた。そのうち4本(K1 - K4 + 51 - 54編成)は自動解結装置取り付けて4両+6両に分割併合を行う運用に、残り3本71 - 73編成)は同装置取り付けず分割併合がない運用投入された。72・73編成中間試作車900番台)を組み込んでいた。分割併合編成基本編成外房線勝浦まで、付属編成東金線成東まで乗り入れ外房線誉田駅分割併合が行われた。 山手線からの205系転入に伴い201系試作車900番台10両が老朽化により2005年10月運用離脱し同年11月2日付で廃車となったクハ201-902・モハ201-903は2005年10月14日大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用された。900番台組んでいた72・73編成量産車は1編成統合され72編成クハ201-104以下10両)となった2007年2月 - 3月には中央線快速使用されていた10貫通編成2編成転入した。これは、武蔵野線直通列車増発ならびに埼京線205系踏切事故による不足補充分として京葉線205系2編成転用されたためである。編成番号トタT32編成クハ201-58以下10両)・トタT130編成クハ201-56以下10両)がそれぞれ70編成74編成となった塗装オレンジからスカイブルー変更され前面種別表示器撤去された。編成分割編成クハ組成位置合わせて変更が行われ、サハ201形2両連続連結された。非常通報装置取付行われていない。パンタグラフ中央線快速時代と同じシングルアームのPS35C形である。 京浜東北・根岸線へのE233系1000番台投入により捻出された209系500番台転入に伴い2008年12月4日74編成元・中快速線T130編成)が、12月11日70編成元・中快速線T32編成)が新習志野から長野総合車両センター廃車回送された。これにより201系10貫通編成消滅しJR東日本サハ201形消滅となった7172編成パンタグラフがシングルアーム式のPS35C形に換装され、2009年1月22日71編成クハ201-7以下10両)が新習志野から武蔵野線中央本線経由で、2009年2月5日72編成クハ201-36以下10両)が疎開回送先の幕張車両センターから総武本線中央本線経由廃車回送された。これにより201系分割非対応編成置き換え完了した。 なお、廃車先立つ2008年6月に、K1+51編成クハ201-37・クハ200-36と72編成クハ201-103・クハ200-104が入れ替えられ、旧72編成が新K1+51編成クハ201-104以下10両)に、旧K1+51編成が新72編成となった。この編成替え比較的古い車両中心となった72編成廃車回送されている。JR東日本201系は、廃車まで新製時編成を崩さなかったものが多くこの様組換えは珍しい。 連結切り離し関係する運用置き換え209系500番台行えず、残存する4編成(K1 - K4 + 51 - 54編成)にはデジタル無線装置2008年搭載された。 2011年からE233系5000番台が京葉線に導入され分割編成営業開始した同年3月以降、京葉線に残っていた4編成廃車始まった。K3+53編成クハ201-111以下10両)が4月5日、K2+52編成クハ201-109以下10両)が4月26日、K1+51編成クハ201-104以下10両)が5月17日長野総合車両センターそれぞれ廃車回送された。 同年6月時点での残存車は、6両編成1本(54編成クハ201-114以下6両)と4両編成1本(K4クハ201-113以下4両)の併結による10両編成1本となった同年6月10日から同月20日までヘッドマーク掲出して運行され同月20日81運用定期営業運転終了しJR東日本での201系営業運転終了した。同23日長野総合車両センター廃車回送された。 京葉線用編成上総一ノ宮成東蘇我 東京 → 4+6両分編成号車10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 備考 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') K1 - K4編成+K51 - K54編成71編成試作車廃車後72編成 4+6両試作車組込編成形式 クハ201(Tc) サハ201(T)モハ201(M) クモハ200(Mc') クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 試作車太字)の組み込まれていた72・73編成 車両番号103104 901902 902904 901902 901902 213903 213902 214215 214215 103104 10貫通編成形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') サハ201(T) サハ201(T)モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 中央線快速用から転用された7074編成 車両番号5856 133127 133127 6359 6460 134128 134128 135129 135129 5856

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京葉線

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青春鉄道」の記事における「京葉線」の解説

身長176cm、体重70kg。

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