青梅・五日市線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)
旧性能車が使用されていた青梅線・五日市線では、1976年より103系の営業運転が開始された。京浜東北線へのATC車投入に伴う捻出車が豊田電車区に転入したもので、塗装は京浜東北線時代のスカイブルーからオレンジバーミリオンに変更された。編成は当初は4両編成が入り、1977年からは3両編成も転入した。1977年からはラッシュ時に4両+3両の7両編成での運転を開始している。 翌1978年には五日市線の旧性能車クモハ40形・72系の置き換えのため、京浜東北線からの103系が5両編成で転入した。これにより中央快速線から直通の101系を除く青梅・五日市線内の列車が103系で揃えられ、旧性能車は1978年3月29日のさよなら運転をもって運用を終了した。 1985年のダイヤ改正で5両編成が6両編成となり、101系から改造のサハ103形750番台が増結された。1986年に3両編成が4両編成化される際は、仙石線の72系アコモ改造車から川越線用103系3000番台への改造で余剰となったモハ72形5両がサハ103形3000番台に改造されて編入された。 2000年からの中央・総武緩行線へのE231系投入により、捻出された三鷹電車区の201系が豊田電車区に転入し、103系の置き換えが開始された。青梅・五日市線の103系は2002年3月7日に定期運用を終了し、4月13日のさよなら運転をもって全廃となった。
※この「青梅・五日市線」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
「青梅・五日市線」を含む「国鉄103系電車」の記事については、「国鉄103系電車」の概要を参照ください。
青梅・五日市線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)
青梅線・五日市線では201系による中央快速線からの直通列車が運行されたほか、武蔵野線との共通運用等により線内運用の一部に201系が充当されていた。青梅・五日市線内用としては2000年より中央・総武緩行線の201系が転入し、E233系に置き換えられる2008年まで運用された。中央線快速より直通の201系も2010年の運用終了まで乗り入れていた。 1986年3月3日のダイヤ改正より、豊田電車区の6両編成が青梅・五日市線と武蔵野線の共通運用となり、中央線快速から武蔵野線に転用された201系も青梅・五日市線の運用に入った。1996年の武蔵野線の全列車8両編成化と中央・総武緩行線への転用により6両編成は撤退したが、武蔵小金井電車区のクハ201-134を含む4両編成が青梅線の青梅 - 奥多摩間の一部運用に投入された。 中央・総武緩行線で運用されていた201系はE231系の投入に伴い撤退し、京葉線への転用のほか青梅・五日市線用103系の置き換えに転用された。軽装車を含めて中央線快速と同じ豊田電車区に配置され、塗色もカナリアイエロー(黄5号)からオレンジバーミリオンに変更された。 車体塗装はオレンジバーミリオンとなり、助士席側と乗務員室出入口の窓下に「青梅・五日市線」と表記したステッカーが貼り付けられ、中央線快速の編成と識別された。転入時に編成組換を行い、総武線時代の基本編成の電動車1ユニットを付属編成側に入れ換え、基本6両編成と付属4両編成の組成順序を逆にした。青梅線青梅駅 - 奥多摩駅間は地上設備(ホーム有効長)の制約から、各駅停車の運用は付属4両編成に限られる。 大型列車種別表示器は装備されず、列車選別装置・停車駅誤通過防止装置は未装備となった。パンタグラフが小断面トンネル通過に対応していないため、高尾以西は走行不可である。車内扉横の座席には、防寒用の風除けが設置された。 付属編成各客用扉には、軍畑駅(左側のみ)・川井駅(右側のみ)・奥多摩駅では電車とホームの間が広く開いている旨を表記するステッカーが貼付られた。一部の6両基本編成では、武蔵五日市駅での折り返し長時間停車時に虫の侵入を防止する観点から、6号車の蛍光灯が青白いタイプのもの(昼光色)に交換された。 編成略号は「青○○編成」と呼称される。編成札は数字のみの表記であり、「60」から「69」が青色に白のゴナに近い字体(武蔵野線でも同様)、「70」から「72」が水色に赤の丸みを帯びた字体(H・T編成のものに近い)である(いずれも立川寄り6両固定編成において)。 クハ201-134を含む4両編成は、武蔵小金井電車区から豊田電車区に転属し同区の訓練車となったが、2001年に展望電車「四季彩」に改造された。 E233系の投入に伴う青梅線・五日市線用201系の置き換えは、2007年11月から2008年3月までに行われたが、4両編成の置き換えは2008年2月19日に一斉に行われた。展望型電車「四季彩」はその後も残存したが、2009年6月28日をもって青梅線での定期運用を終了した。 長野総合車両センターへの廃車回送は当初は電気機関車牽引で上越線経由により行われたが、後の回送では中央本線の高尾駅以西の小断面トンネルが可能なよう、パンタグラフがシングルアーム式に換装されての回送が実施されている。 当初の青66(クハ201-144以下6両)・青69(クハ201-150以下6両)・青70(クハ201-154以下6両)の3編成は、EF64形の牽引による上越線経由での配給回送が行われた。2007年12月27日に廃車回送された青61編成ではシングルアームパンタグラフへ換装され、中央本線経由で自力走行により廃車回送された。最後まで残った青3編成は、中央快速線のH1編成のうち3両を組み込んだ7両編成で2008年6月19日に廃車回送された。 青梅・五日市線内運用編成 ← 立川・拝島 武蔵五日市・奥多摩 → 6両編成号車1 2 3 4 5 6 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc') 4両編成号車1 2 3 4 形式 クハ201(Tc) ◇モハ201(M) モハ200(M') クハ200(Tc')
※この「青梅・五日市線」の解説は、「国鉄201系電車」の解説の一部です。
「青梅・五日市線」を含む「国鉄201系電車」の記事については、「国鉄201系電車」の概要を参照ください。
- 青梅・五日市線のページへのリンク