2003年のロードレース世界選手権 2003年のロードレース世界選手権の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 2003年のロードレース世界選手権の解説 > 2003年のロードレース世界選手権の概要 

2003年のロードレース世界選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 02:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
2003年の
FIMロードレース世界選手権
前年: 2002 翌年: 2004

シーズンの概要

ディフェンディングチャンピオンのバレンティーノ・ロッシがシーズン9勝を挙げ、さらに全戦で表彰台に登るという前年以上の圧倒的な強さを見せ、500cc時代から通算3年連続となるMotoGPクラスのタイトルを獲得した。中でも第15戦オーストラリアGPはこの年のロッシの強さを象徴している。イエローフラッグ区間の追い越しにより10秒加算のペナルティを受けたロッシは、2位のカピロッシに10秒以上の大差をつけてゴールし、ペナルティによるハンディをものともせずに圧勝したのである[1]

そのロッシは、これ以上ホンダで戦い続けることにモチベーションを見出せなくなっていた。ロッシとの契約が切れるこの年、HRCはシーズン当初から契約更新のための交渉を続けていたが、ロッシはついに首を縦に振ることなく、シーズン終了後に2003年限りでホンダとの契約を終了することを発表した[2]。ロッシは程なくヤマハと契約し、チーフ・エンジニアジェレミー・バージェスをホンダから引き抜いた。

この年の開幕戦鈴鹿では、加藤大治郎が死亡するという痛ましい事故が起きた。加藤はカシオトライアングル(シケイン)に差し掛かったところでマシンのコントロールを失い、高速でスポンジバリヤに激突した。コースから病院へ緊急搬送された時点ではまだ脈があったが、意識が戻らぬまま2週間後、帰らぬ人となってしまった。事故発生後からコース上で緊急治療が続けられている間、赤旗による中断がされずにレースが継続されたことに関して後に批判が巻き起こり[3]、鈴鹿はこの年限りでカレンダーから外された。加藤のチームメイトのセテ・ジベルナウは加藤が使っていたファクトリー仕様のRC211Vを受け継ぎ、直後の第2戦南アフリカGPで勝利を加藤に捧げた。

この年MotoGPクラスにデビューしたのは、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞したニッキー・ヘイデンをはじめ、トロイ・ベイリスマルコ・メランドリコーリン・エドワーズらである。また新たなコンストラクターとして、スーパーバイクで数多くの成功を収めていたドゥカティデスモセディチGP3でグランプリ最高峰クラスに復帰したのもこの年だった。ドゥカティはすぐに速さを発揮し、ヤマハを抑えてコンストラクターズランキングでホンダに次ぐ2位となった。一方のヤマハファクトリーは、コンストラクターズ3位となり、GP最高峰クラス初挑戦の73年以来初となる未勝利でシーズンを終えることとなった。これがきっかけとなり、ヤマハ内部で体制の大幅見直しとマシン開発の路線変更によるヤマハハンドリングともコーナリングマシンとも呼ばれる車体とエンジン特性を得ることになり、2004年のロッシ加入とともなってウェインレイニーやエディローソンがいた当時の「勝てるヤマハ」を取り戻して行く転換点となった。

250ccクラスでは125ccクラスからステップアップしたアプリリアマヌエル・ポジャーリが、シーズンを通してリタイヤなしという安定度を見せたホンダのロベルト・ロルフォとのデッドヒートを制し、250ccクラスデビューイヤーにチャンピオンを獲得した。

125ccクラスは、シーズンを通して連勝したライダーが一人もいないという大乱戦となったが、そんな中でも5勝を挙げたダニ・ペドロサがタイトルを獲得した。ところがペドロサはタイトルを決めた後の第15戦オーストラリアGPのフリー走行でクラッシュし、両足を骨折するという不運にみまわれてしまった。

グランプリ

Rd. 決勝日 GP サーキット 125ccクラス勝者 250ccクラス勝者 MotoGPクラス勝者 結果
1 4月6日 日本GP 鈴鹿 ステファノ・ペルジーニ マヌエル・ポジャーリ バレンティーノ・ロッシ 詳細
2 4月27日 南アフリカGP ウェルコム ダニ・ペドロサ マヌエル・ポジャーリ セテ・ジベルナウ 詳細
3 5月11日 スペインGP ヘレス ルーチョ・チェッキネロ トニ・エリアス バレンティーノ・ロッシ 詳細
4 5月25日 フランスGP ル・マン ダニ・ペドロサ トニ・エリアス セテ・ジベルナウ 詳細
5 6月8日 イタリアGP ムジェロ ルーチョ・チェッキネロ マヌエル・ポジャーリ バレンティーノ・ロッシ 詳細
6 6月15日 カタルニアGP カタルニア ダニ・ペドロサ ランディ・ド・プニエ ロリス・カピロッシ 詳細
7 6月28日 ダッチTT アッセン スティーブ・イェンクナー アンソニー・ウエスト セテ・ジベルナウ 詳細
8 7月13日 イギリスGP ドニントン エクトル・バルベラ フォンシ・ニエト マックス・ビアッジ 詳細
9 7月27日 ドイツGP ザクセンリンク ステファノ・ペルジーニ ロベルト・ロルフォ セテ・ジベルナウ 詳細
10 8月17日 チェコGP ブルノ ダニ・ペドロサ ランディ・ド・プニエ バレンティーノ・ロッシ 詳細
11 9月7日 ポルトガルGP エストリル パブロ・ニエト トニ・エリアス バレンティーノ・ロッシ 詳細
12 9月20日 ブラジルGP リオ ホルヘ・ロレンソ マヌエル・ポジャーリ バレンティーノ・ロッシ 詳細
13 10月5日 パシフィックGP もてぎ エクトル・バルベラ トニ・エリアス マックス・ビアッジ 詳細
14 10月12日 マレーシアGP セパン ダニ・ペドロサ トニ・エリアス バレンティーノ・ロッシ 詳細
15 10月19日 オーストラリアGP フィリップアイランド アンドレア・バレリーニ ロベルト・ロルフォ バレンティーノ・ロッシ 詳細
16 11月2日 バレンシアGP バレンシア ケーシー・ストーナー ランディ・ド・プニエ バレンティーノ・ロッシ 詳細



  1. ^ ロッシはこの年の第8戦イギリスGPでもイエローフラッグ無視で10秒加算ペナルティを受けている。この時はトップでゴールしたが10秒加算のために公式結果では3位に降格している。
  2. ^ MotoGP公式サイトNEWS『ロッシとホンダが契約満期を発表』
  3. ^ "Kato inquiry: Racing accident, barriers to blame" Crash.net, November 28, 2003. (英語)


「2003年のロードレース世界選手権」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2003年のロードレース世界選手権」の関連用語

2003年のロードレース世界選手権のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2003年のロードレース世界選手権のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの2003年のロードレース世界選手権 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS