高見盛精彦 合い口

高見盛精彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 19:24 UTC 版)

合い口

  • 同じ青森県は深浦町出身の安美錦には5勝13敗と非常に相性が悪く、新入幕の場所で勝って以来、2007年3月場所まで11連敗であったが、同年5月場所で安美錦を破り連敗を止めた。また、2005年11月場所中日には大逆手という珍しい決まり手で敗れている。これは2001年1月にこの技が追加されてから幕内では初めて。
  • 同じく青森県出身の若の里にも4勝21敗と非常に相性が悪く、2004年1月場所に勝って以降13連敗したことがあった。旭天鵬にも相性が悪く、通算成績で5勝15敗と大きく差をつけられていた。
  • 日馬富士鶴竜にはそれぞれ4勝3敗、5勝2敗と勝ち越している。両者が大関に昇進してからの対戦は一度もない。
  • 朝青龍には1勝10敗、白鵬には1勝5敗とそれぞれ1回ずつ勝っているが、琴欧洲把瑠都豪栄道にはまるで歯が立たず、琴欧洲には6戦全敗、把瑠都には5戦全敗、豪栄道には8戦全敗だった。
  • 土佐ノ海には14勝7敗で、高見盛の土佐ノ海戦の勝率は同学年の元大関栃東琴光喜の土佐ノ海戦の勝率を1割以上上回っている。

エピソード

土俵関連

  • 千秋楽を7勝7敗で迎えることが非常に多く(場所別成績の項を参照)、特に2006年以降ではほぼ2場所に1回の割合であった。このため、NHKの実況アナウンサーや、解説者北の富士勝昭らに「もはや恒例ですが」などと言われていた。2007年5月場所の時点では直近10場所中7場所も7勝8敗に終わっていたため周囲から「7勝大王」と呼ばれていた[45]
  • 人気力士のため土俵に上がったときに観客からものすごく歓声が挙がることが常だったが、「土俵に上がったときは極度に緊張しているので、土俵と行司と対戦相手以外は目に見えなくなるし、歓声も全く耳に入らなかった」という。
    • 華王錦の証言によると部屋の関取であった高見盛はいわゆるゾーンという状態に入ることで本場所での勝利を掴む力士であり、集中力を高めるために余計な情報を遮断するという。おおむね、「翌日の対戦相手を知ろうとしない。当日に取組表を見て分かる。それまでに教えようとすれば『ワーッ』と叫んで聞こうとしない。耳栓したりわざとトイレに行ったりして情報をシャットアウトする」とされている[4]
  • 2007年3月23日、3月場所13日目の対時天空戦において、時天空の右張り手(すこしビンタに近い)を何発かくらい、最後は切り返しによって敗れた。花道を去ってゆく際、思わず「あの野郎…」ともらしていた。

タニマチ・懸賞金関連

  • 角界屈指の人気力士で、その取組には常に多数の懸賞金がかけられた。1場所で獲得する懸賞金の額は、横綱・大関には及ばないものの、調子がいい場所では常に上位にランクされた。平幕ではもちろんトップクラスである。また、アサヒビール発泡酒永谷園日本盛全日空CMにも出演した[注釈 7]。そのため高見盛は引退直前の時点で大金を所有しており1億5000万円程度する年寄名跡を現金で簡単に取得できた。角界において彼を凌ぐ金持ちは白鵬ぐらいなものとまで言われる。
  • 勝ったときは、反り返るほどに胸を張ってずんずんと、逆に負けたときは肩を落とし、しょんぼりと花道を退くという好対照な姿は、自身が出演していた永谷園のCM映像にも取り入れられていた。

その他相撲関連

  • 気の弱い性格で、高校時代は後輩にもいじめられた。恩師の著書では「泣き虫」と評され、引退に際して岩木山にも高校時代の様子を「稽古で勝てなくて泣いて。要領悪くて人より行動が遅れて泣いて」と具体的に証言されている[4]
  • 「稽古場序二段」の異名を部屋の兄弟子である曙から与えられるほど稽古場では弱く、母親も角界入り前の様子について「普段は(相撲)部員と10回やって10回負けるんだけど、大会に行けば勝ってくる。本番だから勝つとか、練習だから手を抜くとかでなく、そういう器用な子でない。親でも不思議です」と答えたことがある[4]。角界入り後もその落差については周囲の理解を得るに至らず、上記のように魁皇からは「相撲取りとしてあるまじき稽古のやる気の無さ」として非難された。
  • 足腰のケガは少ない方であったにもかかわらず四股も股割りも満足にこなすことができないほど下半身が硬く、関ノ戸は高校時代の高見盛について「股割りができなくて、1回無理やり背中を押したら、足が反対(逆ハの字)を向いて驚いた。腕立て伏せも高1のときは7回しかできなかった」と証言している[1][4]
  • 取り組み後引き上げた花道の奥で必ずといっていいほど付き人と話を交わしていた。
  • 2007年9月場所11日目に、豪栄道-豪風戦の取組前で、突如大量のビラ[注釈 8] を持ちながら土俵に上がろうとした女性客を、西土俵下で控えていた高見盛が錦戸審判委員(元水戸泉)らと共に、慌ててその女性を引き摺り下ろすという事件があった[注釈 9]
  • その人気ゆえにファンサービスを求められることも多かったのだが、本場所や巡業等では他の力士と異なりサイン、握手、記念撮影などは滅多に行わないことで有名であり(付き人に手を払いのけさせたり、子供が駆け寄っても目もあわせずに無視して逃げることもあった)、2009年1月場所前の力士会において朝青龍等複数の幕内力士が苦言を呈す場面もあった。ただし、本人曰く「緊張で周囲の事に注意が向いてなかった」らしい。
  • 若いころは闘志を出すためにえんじ色の廻しを締めて相撲を取っていたが、晩年は「冷静さも必要」と一貫して青色の廻しで相撲を取っていた。
  • 大相撲八百長問題に際して週刊ポスト2011年3月18日号に掲載された記事には日馬富士の元付け人・雷鳳が「2011年1月場所の番付に四股名を記載された幕内力士の中で確実にガチンコと呼べるのは4人だけだ」と語り、その1人として高見盛が名指され評価された[注釈 10]。実際に、特別調査委員会からは通帳と携帯電話の提出を免除され、無条件で八百長に関与していないことを認定された。このように、高見盛は八百長に無縁の力士として各方面から完全に信頼されている力士であったといえる。
  • 2011年9月場所後、監察委員を務めていた13代鳴戸から「これからどうするんだ」と進退について問われたが「部屋の打ち上げパーティーに行きます」と直近の予定を伝え、以前高見盛が永谷園のテレビCMに出演していたことを踏まえ「お茶漬けは食べるのか」と聞いた13代鳴戸に「力士の食事はちゃんこです」と真顔で答えた。本人は厳しい親方で知られる13代鳴戸から質問攻めに遭い「問題児扱いされそう」と戸惑いを見せた[46]
  • 現役時代に自身の付き人を務めていた心勇(元幕下、引退後は東関部屋マネージャー)を大切にしており、全幅の信頼を置いているという[47]。発売当時売り切れ続出であったPSPを探し回って買って心勇にプレゼントした。一方で、心勇と2人1部屋のとき、夜中に帰ってきては心勇が寝ているにもかかわらず、音楽をかけたりテレビをつけて爆笑していたりと、マイペースな部分もあった[4]
  • 貴闘力が曙と歩いてるときに、同行していた高見盛の手をつかんで曙の体にぶつけるというイタズラをしたことがあるという。だが高見盛は曙に対する申し訳なさから「この手が、この手が…」と言って血が出るまで地面に手を叩きつけたといい、この生真面目さを見て貴闘力も流石に「冗談できないと思った」と受け止めた[4]
  • 裸眼の視力が0.1で乱視が強く、度が強いメガネをかけている。取組中はほぼ見えていないが対戦相手が見えていれば戦えると語った[48]
  • 大の自転車好きであり、タクシーでの場所入りを除いて東京都内では自転車が主要交通手段であった。付け人の心勇の証言によると、当時部屋が有った墨田区東駒形から秋葉原や御徒町などへ自転車で行くことがままあったといい、推定で年間10000kmは自転車で移動していたとのこと[4]
  • 引退後の2013年3月場所7日目に、大相撲中継の正面ゲスト解説として登場した。
  • 部屋の三段目力士・高世(中国出身)は2014年6月30日に高盛に改名。3年前の幕下昇進時に帯を贈られた際業者に誤って「高盛」と刺繍を入れられた。その縁もあり、師匠の東関(元幕内・潮丸)と現在振分を襲名している高見盛の許しを得て1文字もらった。本人は「業者が間違ったときに運命だと思っていた。親方のマネはしないけど、暗い顔せず、明るい力士になる」と誓いを立てた[49]
  • 髷がなくなって久しい2016年、両国国技館における公開形式の取組に2回出場した。1回目は2月7日に行われた大相撲トーナメントにおいて、40回記念大会特別企画の“OB戦”で、立田川(元小結・豊真将)と対戦し寄り切りで勝利。2回目は5月28日に行われた元関脇・若の里西岩)の引退相撲において、若の里の「最後の取組」の相手に指名される形で対戦し、これには寄り切りで敗れた。上述された「角界のロボコップ」の愛称がつくきっかけとなった独特のしぐさは健在で、館内を大いに盛り上げた。
  • 2018年2月11日の第42回日本大相撲トーナメントでは現役時代と比べてもかなりのオーバーアクションで観客を盛り上げた。「お客さんに気合の入っているところを見せないと。どれだけ盛り上がれるのか。見せれるのがプロ」と、ファンサービスのための演出であるとほのめかすようなコメントを残した。体重はこの時点でも120kgをキープしており、同時点では40歳を過ぎても若い衆に胸を出したりOB戦に出場したりするために廻しを締めている模様[50]
  • 2019年8月14日の夏巡業板柳場所では勧進元を務める同郷の元関脇追風海から「まわしを締めて相撲を取らないか」と打診もあったが断った。「もう自分は力士ではないので。今の力士たちを見てほしいから、自分が目立つというのはあんまりと思い…」と生真面目に話した[51]
  • 国技館では原則として横綱・大関の力士がプロデュースした弁当が販売されるが、高見盛は人気の高い力士だったため、最高位が関脇以下でありながら例外として高見盛のプロデュースした弁当が販売されていた。
  • その不器用な性格から、予てより周囲は「お前は他の部屋だったら1年で潰されていたかも」と言っており、本人も「ホント、東関部屋でよかったです」と笑っている[52]
  • ちゃんこ番の経験はあるにはあったが、作ると決まって変な味になったと自認している[53]
  • 2024年4月16日、両国国技館で2024年1月に発生した能登半島地震の復興支援を目的とした勧進大相撲が開かれ、東関はOB戦に出場。現役時代に馴染みであった気合注入パフォーマンスを披露。なお、この時の報道ではスキンヘッド姿になっていた様子が写し出されている[54]

土俵外での出来事

  • テレビ出演時などでは、一人称は主に「自分」を使う。
  • 2005年の『NHK福祉大相撲』では、大塚愛の「さくらんぼ」、ORANGE RANGEの「」を歌った。
  • また、カラオケが大好きでいつも利用時間を延長してしまうという。
  • 2007年5月1日から、日本経済新聞夕刊において、本人のインタビュー特集が組まれた。
  • 引退直後の評議員会に年寄として出席したが、スーツ上下だけでなくネクタイまで黒一色だったため、先輩親方から「ここ(国技館)は斎場じゃないんだ」と言われて、評議員会終了後違う色のネクタイを何本か買った[2][55]
  • 2017年11月場所9日目の打ち出し後、八角理事長らが所属する高砂一門が、日本相撲協会の2年に1度の理事候補選挙に向けて話し合う大事な会合が、急きょ取りやめとなった。実は会場となる福岡市内の料亭の予約を、幹事役の振分が忘れたことが原因だった。幹事役の会計担当を今年、谷川(元関脇・北勝力)から引き継いだばかりということもあったが、この時日馬富士の暴行問題に角界が揺れていたため「こんな時に酒席の写真が雑誌に載ったら誤解される。ファインプレー」との声も上がった[56]
  • 2021年5月30日に行われた華王錦の断髪式に出席、師匠の12代東関(高見山)と共に記念写真に収まった。12代東関は「人ごとじゃないけど、やっぱりちょっと難しい。(高見盛は)向いていないというのもある。1人だし、奥さんがいれば可能性はあるけど、1人じゃ難しい」と東関部屋消滅について触れたが、「(高見盛は)今が一番幸せだと思う。八角部屋に行って良かったと思う。これから活躍していくと思っている。人はいいから」とねぎらっている[57]
  • 2023年10月5日放送分の『ぽかぽか』では兄弟子だった横綱曙との猛稽古について「ここで言ってもいいのかな。かわいがり(厳しいぶつかり稽古)を食らっていれば、いやでも泣きますよ。きついですから、汗も混ざって。壁まで吹っ飛んだ。すごいパワーでした」と振り返った。次は酔っ払って自動販売機と相撲を取ったエピソードについて「酔っ払って自動販売機にぶつかったら自然と右四つになっていた」と明かした。今まで最高に飲んだことを聞かれると「ジョッキで10杯(ビールのことと思われる)」と答え、うなずく共演者の一方、酒豪で知られる島崎和歌子から「そんなもんですか」と突っ込まれていた[58]

プライベート

略歴

  • 弘前実業高校を経て日本大学経済学部を卒業。
  • 1999年3月場所 - 幕下付出で初土俵。四股名は本名と同じ加藤 精彦
  • 2000年1月場所 - 十両昇進、四股名を高見盛 精彦に改める。
  • 2000年3月場所 - 初めて髷を結う。
  • 2000年7月場所 - 新入幕。10勝5敗と二桁勝利を挙げて敢闘賞を受賞。
  • 2000年9月場所 - 初めて大銀杏を結って土俵に上がり、念願であった部屋の横綱・の土俵入りで露払いを務めたが、3日目の若の里戦で右膝前十字靱帯を断裂し途中休場。
  • 2000年11月場所と2001年1月場所を全休し、幕下東筆頭まで番付を落とす。三賞受賞から1年以内に幕下に陥落するのは史上初[64]
  • 2001年11月場所 - 十両に復帰。
  • 2002年1月場所 - 12勝3敗の好成績を挙げ、霜鳥との優勝決定戦に出場して、勝利して十両優勝。
  • 2002年3月場所 - 幕内に復帰し「気合入れ」を始める。
  • 2002年9月場所 - 小結昇進。
  • 2003年11月17日 - 日本相撲協会のアンケートで好きな力士1位に選ばれる。
  • 2004年7月6日 - 7月場所3日目、同郷の先輩・追風海戦で幕内では初めて「後ろもたれ」の珍しい決まり手で白星をあげる。幕下時代の2001年3月場所5日目には田中に後ろもたれで敗れている。
  • 2005年7月場所 - 2003年1月場所以来、15場所ぶりに10勝5敗と二桁勝利をあげる。
  • 2005年9月場所 - 途中休場の朝赤龍に代わって横綱・朝青龍の土俵入りで太刀持ちを務めるが、最初の日に太刀を天井にぶつけてしまう。
  • 2007年7月場所 - 久々に横綱大関戦が組まれる前頭4枚目に番付を上げ(横綱・朝青龍とは3年ぶりの対戦)、朝青龍・白鵬との対戦が組まれたが、どちらにもあっさり敗れてしまった。この場所は3勝12敗と、11場所ぶりに二桁黒星を喫したが、10日目に大関・魁皇に勝っている。
  • 2007年11月場所 - 初日から3連勝と好調であったが、4日目の嘉風戦で足首をケガをし翌日から休場。しかし11日目より再出場し十両陥落を免れる[注釈 11]
  • 2008年3月場所 - 初日から好調であり9日目で皇司を破り勝ち越し[注釈 12]。三賞候補にあがったが千秋楽に敗れ10勝5敗で三賞は見送られた。
  • 2011年9月場所 - 十両に陥落。
  • 2013年1月場所 - 東十両12枚目の地位で5日目から7連敗して11日目に負け越しが決まった。千秋楽を白星で終えたが、5勝10敗と幕下陥落が決定的になり引退。
  • 2020年1月30日、13代東関が2019年12月に死去したため、14代東関を襲名して東関部屋の師匠となった。
  • 2021年4月1日 - 東関部屋が閉鎖となり、八角部屋の部屋付き年寄になる。

注釈

  1. ^ ただし岩木山は3月生まれのため誕生日は高見盛と2か月しか違わない
  2. ^ その他の候補には高見桜・高見城・高見岳・精彦があった。
  3. ^ その後人気が出てからは同社のCMにも出演した。
  4. ^ 幕内に昇進しても大銀杏が結えなければ横綱土俵入りに参加できない。
  5. ^ ただし、前述の通り同年9月場所では魁皇が高見盛の稽古での手抜きを批判し、「けがするかもしれないんだ」と注意していて、それが的中してしまったかたちとなった。これに関連する証言が引退後に発行されたムック(著書の覧を参照)に掲載されており、元追風海こと斎藤直飛人からは「相撲のやる気はゼロ。大食いとカラオケが大好きな小学生」と形容されている。師匠の東関親方は高砂部屋への出稽古の中止を宣言している。
  6. ^ 本人が引退会見で「教えれば出来るものではありません。毎日やるという気迫がなきゃ、できない技です。私も右腕が動かなくなるほどの稽古をしていました。」と現役当時の稽古ぶりを証言した。
  7. ^ かつて永谷園のCMに、師匠である12代東関親方(元関脇高見山)が力士時代に出演したことがあり、師弟2代のCM出演の快挙を果たしている。
  8. ^ ビラには福山雅治に関することが書かれていたとされているが、真相は不明である。
  9. ^ 過去にも1991年11月場所12日目に現役中の旭道山が、泥酔状態で土俵に上がった男性客を抱えながら土俵外へ下ろさせるハプニングが発生。
  10. ^ 雷鳳の証言によると「相撲が下手で真剣勝負を装うことはできないし、対戦相手の名前を直前まで知らない」という理由でガチンコであると認められるという。また、同記事の「確実にガチンコと呼べる4人」の中には他に豊真将、稀勢の里、豪栄道が含まれる。
  11. ^ ただし、この場所は幕内下位、十両上位に不振者が多かったため、千秋楽まで休場していても結果的に幕内に残留していた公算が大きい。
  12. ^ 9日目で勝ち越したケースは、今までで初めてであった。
  13. ^ 右膝前十字靱帯断裂により4日目から途中休場
  14. ^ 右足関節打撲捻挫及び右足根骨剥離骨折のため5日目から途中休場、11日目から再出場

出典

  1. ^ a b 「一戦入魂」を貫いた、“不器用な天才”高見盛。〜14年間の現役生活にピリオド〜 Number Web 2013/02/13 06:00
  2. ^ a b c d e f g 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)192ページから193ページ
  3. ^ 元高見盛・振分親方、元琴光喜に嫉妬「うらやましかった」(1/2ページ) SANSPO.COM 2013.12.30 10:00
  4. ^ a b c d e f g h 酔って自販機と相撲/高見盛伝説 nikkansports.com 2013年1月28日8時34分 紙面から
  5. ^ a b 元高見盛・振分親方「数字のために相撲をとってきたわけではない」(2/2ページ) SANSPO.COM 2013.12.31 10:00
  6. ^ 振分親方が著書サイン会「文章は苦手」 nikkansports.com 2013年6月20日17時40分
  7. ^ 私が目にした高見盛
  8. ^ 元小結・高見盛の「わが生涯最高の一番」2003年の朝青龍戦 Smart Flash 2019.01.12 増刊FLASH DIAMOND 2018年11月10日号より(光文社、2019年4月28日閲覧)
  9. ^ 朝日新聞 2003年9月19日
  10. ^ a b 元高見盛の東関親方「自分の顔をぶん殴って気合入れた」体をたたくルーティンのきっかけ明かす 日刊スポーツ 2023年10月5日15時10分 (2023年10月5日閲覧)
  11. ^ TBSラジオ荒川強啓 デイ・キャッチ!』2013年1月28日出演時の本人コメントより。
  12. ^ 高見盛“老後”は安泰…ちゃっかり年寄株購入 夕刊フジ 2008年1月24日閲覧
  13. ^ 相撲協会が武蔵丸親方の年寄振分襲名 日刊スポーツ 2008年10月23日閲覧
  14. ^ “高見盛が年寄株を取得 引退すれば「振分」親方に”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年4月14日). オリジナルの2010年6月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100620124658/http://www.asahi.com/sports/update/0414/TKY201004140144.html 2010年6月1日閲覧閲覧。 
  15. ^ 引退危機 断崖絶壁に立たされた“角界のロボコップ”高見盛 リアルライブ 2013年01月25日 15時30分
  16. ^ “元小結・高見盛が引退…CMなど土俵外でも活躍”. 読売新聞. (2013年1月27日). オリジナルの2013年1月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130130083022/http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130127-OYT1T00462.htm 2015年11月24日閲覧。 
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  18. ^ 自著『弱虫ロボコップ「もう一日がんばる」勇気』では引退後に高血圧(190-100)に悩まされていることを告白した。
  19. ^ 沸いた!! 代役審判振分親方の場内説明 2017年3月22日7時15分 紙面から
  20. ^ 振分親方 りんごの里板柳応援大使に就任 陸奥新報社
  21. ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「貴親方の配属は審判部 八角理事長「お客さんに人気あるので」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ」『スポニチ Sponichi Annex』。2018年11月22日閲覧。
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  30. ^ 「相撲」2020年3月号(ベースボールマガジン社)のインタビュー『相撲界奥様訪問』第38回では、13代夫人が「振分親方は謙虚な方で『自分が継承していいのか』と悩まれてもいたんです」と言及している。
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  32. ^ 東関部屋が春場所を最後に閉鎖か、継承者選びが難航 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2021年3月9日). 2021年3月9日閲覧。
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