江夏豊 趣味・嗜好

江夏豊

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趣味・嗜好

司馬遼太郎作品を愛読しており、なかでも『燃えよ剣』をお気に入りとして挙げている。その理由は、刀一本で戦う新撰組と左手一本で戦う自分、さらには主役・土方歳三の最期の地である函館と、自身が現役時代にメジャーリーグへ挑戦した地であるアリゾナ州が妙に重なって思えたことと、登場人物である一人の女性が非常に魅力的に思えたことだという[101]

現在は飲しない。体質的に受け付けないわけでは無いが、阪神時代に主治医から「いまの無茶な生活を続ければ間違いなく数年以内に命を落とす。酒、タバコ、女、麻雀、どれかを止めろ」と言われて酒を選び、そのまま現在に至っている。ただしタバコだけはどうしても止められないと、『ニュースステーション』(テレビ朝日)内のコーナー「最後の晩餐」で語っている。

その他

無類の阪神ファンである作家・小川洋子の『博士の愛した数式』(第1回本屋大賞受賞)では、阪神時代の背番号28完全数)の持つ意味を題材に、著者から熱烈なオマージュを捧げられている。江夏本人も、この作品が映画化された際にコメントを寄せている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1967 阪神 42 29 8 2 0 12 13 -- -- .480 923 230.1 167 27 88 1 3 225 3 1 81 70 2.74 1.11
1968 49 37 26 8 3 25 12 -- -- .676 1259 329.0 200 29 97 2 4 401 2 0 83 78 2.13 0.90
1969 44 23 17 7 3 15 10 -- -- .600 1000 258.1 172 17 78 1 3 262 3 0 56 52 1.81 0.97
1970 52 37 25 8 3 21 17 -- -- .553 1295 337.2 232 29 73 5 3 340 5 1 87 80 2.13 0.90
1971 45 30 16 6 4 15 14 -- -- .517 1006 263.2 182 25 66 3 2 267 5 2 77 70 2.39 0.94
1972 49 31 16 3 3 23 8 -- -- .742 1059 269.2 195 30 60 3 4 233 0 1 86 76 2.53 0.95
1973 53 39 18 7 2 24 13 -- -- .649 1228 307.0 258 23 82 6 4 215 4 0 95 88 2.58 1.11
1974 41 23 12 2 1 12 14 8 -- .462 772 197.2 153 24 50 3 2 149 3 0 65 60 2.73 1.03
1975 49 27 9 1 1 12 12 6 -- .500 852 208.1 169 24 72 7 2 132 2 0 92 71 3.07 1.16
1976 南海 36 20 6 1 1 6 12 9 -- .333 612 148.1 115 12 61 0 4 109 4 0 58 49 2.98 1.19
1977 41 3 1 0 0 4 2 19 -- .667 346 84.0 72 5 21 0 5 60 2 0 28 26 2.79 1.11
1978 広島 49 0 0 0 0 5 4 12 -- .556 395 95.1 77 7 38 3 2 99 1 1 32 32 3.03 1.21
1979 55 0 0 0 0 9 5 22 -- .643 420 104.2 77 10 36 2 1 117 3 0 31 31 2.66 1.08
1980 53 0 0 0 0 9 6 21 -- .600 334 86.0 61 12 20 4 1 86 1 0 27 25 2.62 0.94
1981 日本ハム 45 0 0 0 0 3 6 25 -- .333 339 83.0 69 10 24 0 1 75 1 0 30 26 2.82 1.12
1982 55 0 0 0 0 8 4 29 -- .667 354 91.0 56 8 31 1 2 107 0 0 22 20 1.98 0.96
1983 51 0 0 0 0 2 4 34 -- .333 318 77.1 63 6 27 1 3 82 2 0 24 20 2.33 1.16
1984 西武 20 0 0 0 0 1 2 8 -- .333 106 24.2 22 1 12 1 0 28 2 0 11 10 3.65 1.38
通算:18年 829 299 154 45 21 206 158 193 -- .566 12618 3196.0 2340 299 936 43 46 2987 43 6 985 884 2.49 1.03
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高

通算打撃成績

852打数 128安打(.150) 7本塁打 52打点[102]

タイトル

  • 最多勝利:2回 (1968年、1973年)
  • 最優秀防御率:1回 (1969年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):6回 (1967年 - 1972年) ※6年連続受賞は最長タイ記録(他は鈴木啓示)、6回受賞は金田正一に次ぐセ・リーグ2位。セントラル・リーグでは、1991年より表彰
  • 最優秀救援投手:5回 (1977年、1979年 - 1982年) ※最多タイ記録(他には赤堀元之佐々木主浩岩瀬仁紀)、4年連続は最長タイ記録(他に佐々木主浩)
  • 最多セーブ:6回(1977年、1979 - 1983年)※歴代最多、5年連続も歴代最長。セーブ数のみによる表彰は2005年から再開

表彰

記録

初記録
  • 初登板:1967年4月13日、対大洋ホエールズ2回戦(川崎球場)、2回裏に2番手で救援登板、4回無失点
  • 初奪三振:同上、2回裏に伊藤勲から
  • 初先発:1967年4月19日、対大洋ホエールズ3回戦(阪神甲子園球場)、2回4失点(自責点3)で敗戦投手
  • 初勝利・初完投勝利:1967年4月29日、対広島カープ1回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
  • 初完封勝利:1967年5月28日、対大洋ホエールズ6回戦(川崎球場)
  • 初セーブ:1974年4月10日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
節目の記録
  • 1000奪三振:1970年7月2日、対大洋ホエールズ12回戦(川崎球場)、7回裏に重松省三から ※史上38人目
  • 1500奪三振:1972年4月12日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場)、2回表に堀内恒夫から ※史上18人目
  • 100勝:1972年6月21日、対広島東洋カープ12回戦(阪神甲子園球場)、9回3失点完投勝利 ※史上58人目
  • 2000奪三振:1974年6月13日、対広島東洋カープ11回戦(阪神甲子園球場)、7回表に深沢修一から ※史上8人目
  • 150勝:1975年 4月20日、対読売ジャイアンツ3回戦(後楽園球場)、9回2失点完投勝利 ※史上27人目
  • 500試合登板:1977年9月25日、対日本ハムファイターズ後期12回戦(後楽園球場)、9回裏1死に2番手で救援登板・完了、2/3回無失点
  • 2500奪三振:1979年5月11日、対読売ジャイアンツ5回戦(広島市民球場)、5回表に王貞治から ※史上7人目
  • 600試合登板:1979年9月19日、対阪神タイガース23回戦(阪神甲子園球場)、6回裏2死に3番手で救援登板・完了、3回1/3を1失点 ※史上18人目
  • 100セーブ:1981年5月6日、対阪急ブレーブス前期3回戦(後楽園球場)、8回表1死に2番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点 ※史上初
  • 700試合登板:1981年9月12日、対阪急ブレーブス後期10回戦(阪急西宮球場)、10回裏1死に2番手で救援登板・完了、加藤英司に左前サヨナラ適時打を浴びサヨナラ負け ※史上9人目
  • 200勝:1982年7月2日、対近鉄バファローズ後期1回戦(後楽園球場)、7回表2死に2番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点 ※史上18人目
  • 800試合登板:1983年8月30日、対西武ライオンズ18回戦(西武ライオンズ球場)、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、2回1/3を3失点でセーブ投手 ※史上5人目
その他の記録
  • ノーヒットノーラン:1973年8月30日、対中日ドラゴンズ20回戦(阪神甲子園球場) ※史上48人目(延長戦での達成は史上唯一、自らのサヨナラ本塁打で決定)
  • シーズン225奪三振:1967年 ※高卒新人のセ・リーグ記録
  • シーズン401奪三振:1968年 ※20世紀以降の世界記録(但し、MLB以外の記録は世界記録と認定されない)
  • 1試合16奪三振:1968年8月8日、対中日ドラゴンズ17回戦(中日スタヂアム) ※セ・リーグ記録
  • 23イニング連続奪三振:1968年8月8日 - 8月21日
  • 41イニング連続無失点:1969年4月12日 - 5月15日
  • 1試合での34打者連続凡退:1970年9月26日、対中日ドラゴンズ22回戦(阪神甲子園球場) 二回表第3アウト~十三回表第3アウト
  • シーズン11引分:(1978年、1980年、2回)牛島和彦藤川球児、と並びセ・リーグタイ記録
  • 100勝100セーブ ※史上初(後に山本和行斉藤明夫大野豊郭源治佐々岡真司が達成、先発100勝100セーブは江夏と佐々岡の2人のみ)
  • 全球団からセーブ:1984年5月3日、対日本ハムファイターズ6回戦(西武ライオンズ球場)、8回表1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点 ※史上初、交流戦導入前の達成者は江夏のみ。
  • 全球団から敗戦 ※史上初[104](達成者は江夏と杉内俊哉(=13球団敗戦)のみ)[注 9]
  • オールスターゲーム出場:16回 (1967年 - 1976年、1978年 - 1983年)
  • オールスターゲーム15連続奪三振(1970年 - 1971年) ※オールスター記録

背番号

  • 71 (1967年入団当初)
  • 28 (1967年 - 1975年)
  • 17 (1976年 - 1977年)
  • 26 (1978年 - 1983年)
  • 18 (1984年)

関連情報

著書

連載

  • 『江夏豊のアウトロー野球論』(週刊プレイボーイ、集英社)
  • 『江夏豊の球界にんげん交遊伝「球人蔵」』(週刊ベースボール、ベースボールマガジン社)

出演番組

出演作品

映画
テレビ

CM

漫画・アニメ

レコード

EP
  • 江夏豊『俺の詞』 B面「女心譜」(Victor SV-6687) 歌:江夏豊
  • 東為五郎『さすらい星』(ミノルフォン) 作詞:江夏豊

注釈

  1. ^ 塩釜が野球部の監督に就任したのは、同校に野球部が誕生した時監督の成り手がいなかったところ「それじゃ俺がやる」と志願したためであったという。
  2. ^ 江夏は後年、「巨人でもチーム打率が.250に満たなかったのだから、阪神なんて.210~.220くらいだった」と述懐している[17]。なお、1967年の実際のチーム打率は巨人が.265、阪神は.245である。
  3. ^ a b ただし、野村克也の著書「オレとO・N」によると、試合前日のスポーツ新聞に掲載された江夏のインタビューとして「日本記録はONから取りたい」、試合当日直前のインタビューでは江夏が「王、長嶋と連続して(三振を)取りたい」と語っていたといい、さらに「王は昔、『江夏のその話は眉唾』と言っていた」「(王の)次の打者の長嶋には、合わせたバッティングでショートゴロを打たれてしまっている」と述べている。このことから察するに、江夏本人が美化して話したことがマスコミで誇張されたまま何十年と経過し、本人も収拾がつかなくなってしまったので、ONは「江夏がそうしておきたいなら別に構わない」というスタンスだったこともあって、“長嶋から新記録を狙ったものの打たれてしまった。仕方ないので打順を一回りさせて王が来るまで、他の選手からは三振を取らないようにする”というのが真相だろうと述べている。
  4. ^ オールスターゲームでは、投手がイニング途中から登板した場合、次のイニングから数えて3イニングまで登板可能である。また、振り逃げの場合は1イニング4奪三振以上も可能のため、極めて特殊なケースではあるがルール上では1試合10奪三振以上も不可能ではない。
  5. ^ パ・リーグの野手が全員出場していたため、パ・リーグ監督の西本幸雄が打撃の良い山内を松沼博久西武ライオンズ)の代打に起用していた。
  6. ^ 江夏自身は、当時の日本ハムと同じ東京に本拠地を置くヤクルトスワローズあたりが移籍先ではないかと思っていたという。また、セ・リーグならヤクルト、パ・リーグなら近鉄を希望していた[62][63]
  7. ^ 大沢と江夏との対談では、のちに江夏が西武の在籍が1年で終わったこともあって、大沢が「結局、江夏の野球人生をオレが縮めたことになっちまったな」とも語っている[65]
  8. ^ 1974年・75年に着用したホーム用ユニフォームのレプリカだったが、実物と違い左袖には『OSAKA』ではなく、1976年以降のものに準じた虎マークが入っていた。
  9. ^ 11球団から勝利しているが、阪神タイガースからは未勝利に終わったため、全球団勝利は達成出来なかった。

出典

  1. ^ 江夏豊の母 息子に貫いた不器用な愛 グレートマザー物語 2001年7月1日(2004年4月15日時点のアーカイブ
  2. ^ a b c 江夏豊「新・家の履歴書 江夏豊」『週刊文春』2009年12月31日、2010年1月7日号、p102-105 但し、霧島酒造創業者との関係については、記事の信頼性に疑問あり。ノート:霧島酒造参照。
  3. ^ 江夏豊『左腕の誇り 江夏豊自伝』草思社、2001年、p.15
  4. ^ 江夏豊(2)左利き 長兄にたたき込まれる 社会人の草野球で助っ人に『日本経済新聞』2017年12月2日号「私の履歴書」 江夏豊
  5. ^ 江夏、2001年、p.22
  6. ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』(岡田彰布との共著)角川ONEテーマ21 (角川書店、2009年)p109
  7. ^ 江夏、2001年、p.23
  8. ^ 江夏、2001年、p.24
  9. ^ a b スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (3)』 2023年3月3日付 18面より
  10. ^ 江夏豊、2001年、p.27
  11. ^ 江夏、2001年、pp.27-28
  12. ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p148
  13. ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p71
  14. ^ スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (6)』 2023年3月6日付 22面より
  15. ^ a b c スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (7)』 2023年3月7日付 18面より
  16. ^ a b スポーツニッポン『「我が道」江夏豊 (8)』 2023年3月8日付 20面より
  17. ^ 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』p130。
  18. ^ 「あの時、君は若かった」ルーキー秘話『Sports Graphic Number』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、50頁。
  19. ^ a b c d 【9月17日】1968年(昭43) 新記録は王さんから 江夏が狙った日本新奪三振記録”. スポーツニッポン (2007年9月17日). 2012年8月26日閲覧。[リンク切れ]
  20. ^ . 阪神タイガース 公式サイト. http://s.hanshintigers.jp/80th/history/+2020年4月8日閲覧。 
  21. ^ 1971年度オールスター・ゲーム 試合結果(第1戦)NPB公式サイト
  22. ^ 【8月30日】1973年(昭48) 自ら抑えて打って史上初の記録!江夏の晩夏の快投”. スポーツニッポン (2007年8月30日). 2012年8月3日閲覧。[リンク切れ]
  23. ^ a b 田所龍一 (2022年4月4日). “小林繁伝 江夏を怒らせた球団幹部の言葉とは… 虎番疾風録其の四(20)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220404-PXDM4HMTWZMV3N6RI5PLV3SMN4/ 2023年10月21日閲覧。 
  24. ^ a b 田所龍一 (2022年4月5日). “小林繁伝 最終決戦、暴徒化した阪神ファン 虎番疾風録其の四(21)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220405-OCDVLYA5FFNRXIYNYE64M4G5AU/ 2023年10月21日閲覧。 
  25. ^ 江夏、2001年、p.160
  26. ^ 江夏、2001年、p.162
  27. ^ 田所龍一 (2022年4月7日). “小林繁伝 江夏vs金田監督、お家騒動また勃発 虎番疾風録其の四(23)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220407-DCJUBYVDJNPMXG7EVK74C7P3GE/ 2023年10月22日閲覧。 
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  30. ^ 田所龍一 (2022年4月12日). “小林繁伝 急転…球界騒然のストーブリーグ 虎番疾風録其の四(26)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220412-FX5ZMXN65BP73KLQMEDTOXJ2D4/ 2023年10月22日閲覧。 
  31. ^ a b 田所龍一 (2022年4月13日). “小林繁伝 「放出なら辞める」…球団に迫った江夏 虎番疾風録其の四(27)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220413-WDVQFBE7N5KT5HBEE2FPVWS4OM/ 2023年10月22日閲覧。 
  32. ^ 田所龍一 (2022年4月14日). “小林繁伝 一難去ってまた一難…監督が辞意 虎番疾風録其の四(28)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220414-3OZX2YU4SVNVJNV64G3OGY3QRA/ 2023年10月22日閲覧。 
  33. ^ 田所龍一 (2022年4月15日). “小林繁伝 「監督に謝る」江夏を改心させた後援者 虎番疾風録其の四(29)”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20220415-VCO4LKIHCRINRCKYVL7L7K4VPQ/ 2023年10月22日閲覧。 
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  74. ^ 日刊スポーツ1985年3月20日1面「バンバーガー監督に質問」
  75. ^ 日刊スポーツ1985年3月28日1面「江夏試練だ 初の中2日4失点 悪夢の打者10人 サムライマン斬られた」
  76. ^ 日刊スポーツ1985年4月1日1面「江夏ピンチ 一発食って3失点 カブス戦に続きまた失敗」
  77. ^ 日刊スポーツ1985年4月4日1面「江夏無残 最終テストも失敗 2回2失点初黒星」
  78. ^ 日刊スポーツ1985年4月5日1面「江夏他球団の誘い待つ 3Aにも残れず 68番どこへ」
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  86. ^ 藤澤文洋『やっぱり凄い メジャーリーグ大雑学』、講談社+α文庫、pp.112-113
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  88. ^ a b c d e 横浜地方裁判所平成5年(わ)第555号覚せい剤取締法違反被告事件、判例タイムズ829号276-277頁
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  93. ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月21日号24-25ページ「江夏の21球は本当だったんだと強烈な印象を受けた 伊東勤が語る最高峰の投球術」
  94. ^ 別冊ベースボール「よみがえる1980年代のプロ野球 PART8 1982年編」54頁(原出典:週刊ベースボール1982年10月18日号 立川談志との対談記事)
  95. ^ 2012年8月17日朝日新聞夕刊1面コラム「ニッポン人・脈・記」
  96. ^ エースの資格110-113ページ「王さんだけには通用した「曲がらない」カーブ」
  97. ^ “江夏豊「オレの宝だ。すぐに追い掛ける」衣笠氏悼む”. 日刊スポーツ. (2018年4月24日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201804240000455.html 2018年4月25日閲覧。 
  98. ^ 江夏豊 広岡監督に「なんで痛風なの」で2軍落ち?
  99. ^ 球界に大きな影響を与えた広岡達朗-元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-
  100. ^ ベースボール・マガジン社「日本プロ野球トレード大鑑」でのインタビュー。『左腕の誇り 江夏豊自伝』でも同趣旨の発言をおこなっている。
  101. ^ 文藝春秋 2005年7月号
  102. ^ https://npb.jp/bis/players/41343824.html
  103. ^ 歴代授賞者”. 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人日本プロスポーツ協会. 2017年11月25日閲覧。
  104. ^ 達成者は「江夏豊」ともうひとりだけ… 「全球団に勝利」「全球団に敗戦」した投手 - デイリー新潮(2020年8月8日)


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