旧制中等教育学校
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進学率
旧制中等学校は中・上流階級の教育機関として位置付けられていたため、例えば、1935年の旧制中学校、実業学校、高等女学校の進学率は18.5%に過ぎなかった。それでも受験競争は激しく、社会問題化していた。このため、筆記試験の廃止や復活、報告書、口頭試問の実施といった試行錯誤が繰り返された[8]。
旧制中等学校への進学率は農村部よりも都市部が高く[9]、成績優秀でかつ中以上の資産をもつ家庭に育った児童が進学することが多かった[10]。
脚注
参考文献
- 菊池城司「誰が中等学校に進学したか:近代日本における中等教育機会・再考」『大阪大学教育学年報』第2号、大阪大学大学院人間科学研究科教育学系、1997年3月、1-22頁、doi:10.18910/3581、ISSN 1341-9595、NAID 120004837783、2021年4月1日閲覧。
関連項目
- 旧制学校 - 旧制中学校・高等女学校・ 実業学校・旧制中等教育学校の一覧
- 学制改革
- 新制学校 - 中学校・高等学校・中等教育学校
- 日本の高等学校設立年表
外部リンク
- ^ 実業学校令の改正 - 文部科学省ウェブサイト
- ^ 本来は中等教育令で、1943年度入学生より修業年限4年とされていたため、その入学生が卒業する1947年3月に修業年限4年を施行予定であったが、戦況悪化に伴って1945年に繰り上げられて実施されることとなった。
- ^ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止を決定した。
- ^ a b c 1946年入学生。旧制中等教育学校へ最後に入学した生徒。
- ^ a b 1945年入学生。
- ^ a b 1944年入学生。
- ^ a b 1943年入学生。
- ^ 大脇康弘「太平洋戦争後高校教育の歴史:1945年~1990年」『教育学論集』第23号、大阪教育大学教育学教室、1994年9月、43-65頁、ISSN 0287-0061、NAID 120002273637。
- ^ 「誰が中等学校に進学したか」 3頁。
- ^ 「誰が中等学校に進学したか」 4頁。
固有名詞の分類
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