太平洋セメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/09 13:07 UTC 版)
沿革
秩父小野田
小野田セメント
- 1881年(明治14年)5月3日 - 笠井順八によりセメント製造会社設立。
- 1883年(明治16年)3月 - 本社工場(後の小野田工場、現在の小野田事務所)を新設。
- 1891年(明治24年)10月 - 有限責任小野田セメント製造株式会社に改組。
- 1893年(明治26年)11月 - 小野田セメント製造株式会社に改組。
- 1925年(大正14年)1月 - 愛知セメント株式会社を合併、愛知支社工場発足。
- 1929年(昭和4年)3月 - 中央セメント株式会社を合併、八幡工場を移管。
- 1931年(昭和6年)10月 - 阿哲工場(後の新見工場)を新設。
- 1932年(昭和7年)12月 - 藤原工場を新設。
- 1938年(昭和13年)7月 - 大分セメント株式会社を合併、津久見工場(現・大分工場津久見プラント)、徳浦工場、由良工場を移管。太平セメント株式会社を合併、太平工場を移管。
- 1939年(昭和14年)2月 - 愛知支社工場閉鎖(施設は恒見工場に転用)。
- 1939年(昭和14年)12月 - 徳浦工場閉鎖。
- 1942年(昭和17年)4月 - 東北セメント株式会社を合併、大船渡工場を移管。
- 1943年(昭和18年)6月 - 由良工場閉鎖、恒見工場(後の北九州第一工場→北九州小野田セメント門司工場)を新設。
- 1943年(昭和18年)7月 - 東洋産業株式会社田原工場を買収。
- 1944年(昭和19年)4月 - 本社工場を小野田工場に改称。
- 1944年(昭和19年)7月 - 日本石綿盤製造株式会社彦根工場を買収。
- 1945年(昭和20年)10月 - 津久見工場を大分第一工場に、太平工場を大分第二工場に改称。
- 1947年(昭和22年)10月 - 彦根工場を野沢石綿興業株式会社に返却。
- 1949年(昭和24年)8月 - 大分第一工場を津久見第一工場に、大分第二工場を津久見第二工場に改称。
- 1951年(昭和26年)11月 - 小野田セメント株式会社に商号変更。
- 1955年(昭和30年)9月 - 小野田化学工業株式会社を設立。
- 1965年(昭和40年)7月 - 阿哲工場を新見工場に改称。
- 1976年(昭和51年)4月 - 恒見工場を北九州第一工場に、八幡工場を北九州第二工場に改称。
- 1979年(昭和54年)7月 - 新見工場閉鎖。
- 1981年(昭和56年)2月 - 北九州第二工場閉鎖。北九州第一工場を北九州工場に改称。
- 1984年(昭和59年)9月 - セメント共同販売会社の中央セメント株式会社を設立。小野田セメント・新日鐵化学・東洋曹達・三井鉱山・日立セメントが参加。
- 1985年(昭和60年)7月 - 小野田工場でのセメント製造を終了、小野田事務所に改称。
- 1987年(昭和62年)6月 - 三河小野田セメント株式会社、北九州小野田セメント株式会社を設立、前者に田原工場を、後者に北九州工場を譲渡。
- 1991年(平成3年)7月30日 - 中央セメント解散。
同社歴代社長 - 初代社長 笠井順八、2代社長 河北勘七、3代社長 福原栄太郎、4代社長 笠井真三、5代社長 狩野宗三、6代社長 河内通祐、7代社長 安藤豊禄、8代社長 森清治、9代社長 松本幸市、10代社長 大島健司、11代社長 今村一輔、12代社長 平賀一次
愛知セメント
- 1887年(明治20年)6月 - 京岐商会がセメント工場を建設。
- 1888年(明治21年)4月 - 愛知セメント商会設立、工場を買収。
- 1890年(明治23年)5月 - 愛知セメント株式会社に改組。
- 1925年(大正14年)1月 - 小野田セメント製造に合併。
中央セメント
- 1892年(明治25年)1月 - 大阪川口セメント製造所の黒崎工場が操業開始。
- 1895年(明治28年)1月 - 黒崎工場が中央セメント株式会社に改組。
- 1929年(昭和4年)3月 - 小野田セメント製造に合併。
大分セメント
- 1918年(大正7年)12月 - 会社設立。
- 1919年(大正8年)11月 - 津久見工場新設。
- 1926年(大正15年)6月 - 旭セメントを合併。
- 1927年(昭和2年)8月 - 桜セメントを合併。
- 1938年(昭和13年)7月 - 小野田セメント製造に合併。
桜セメント
- 1907年(明治40年)4月 - 平賀敏により会社設立。松下幸之助が一時運搬工として、1919年には矢野謙三が学卒社員として働いた。
- 1908年(明治41年)3月 - 徳浦工場新設。
- 1917年(大正6年)10月 - 九州工場開設
- 1927年(昭和2年)8月 - 大分セメントに合併。
旭セメント
- 1916年(大正5年)12月 - 会社設立。
- 1917年(大正6年)12月 - 由良工場新設。
- 1926年(大正15年)6月 - 大分セメントに合併。
太平セメント
- 1929年(昭和4年)6月 - 会社設立。
- 1934年(昭和9年)5月 - 工場新設。
- 1938年(昭和13年)7月 - 小野田セメント製造に合併。
東北セメント
- 1936年(昭和11年)4月 - 会社設立。
- 1937年(昭和12年)10月 - 工場新設。
- 1942年(昭和17年)4月 - 小野田セメント製造に合併。
東洋産業(三河セメント)
- 1888年(明治21年)11月 - 三河セメント会社設立。
- 1889年(明治22年)8月 - 工場新設。
- 1898年(明治31年)6月 - 三河セメント株式会社に改組。
- 1940年(昭和15年)5月 - 東洋産業株式会社に合併。
- 1943年(昭和18年)7月 - 東洋産業田原工場を小野田セメント製造が買収。
秩父セメント
- 1923年(大正12年)1月30日 - 秩父セメント株式会社設立。
- 1925年(大正14年)6月 - 工場(後の秩父第一工場)を新設。
- 1956年(昭和31年)4月 - 秩父第二工場(現・秩父太平洋セメント秩父工場)を新設。
- 1962年(昭和37年)7月 - 熊谷工場を新設。
- 1984年(昭和59年)9月 - 宇部興産を中心としたセメント共同販売会社のユニオンセメント株式会社に、敦賀セメント・琉球セメントとともに参加。
- 1991年(平成3年)7月30日 - ユニオンセメント解散。
秩父小野田発足後
- 1994年(平成6年)10月1日 - 小野田セメントが秩父セメントを合併、秩父小野田株式会社に商号変更。本店を山口県小野田市大字小野田6276番地から東京都港区西新橋二丁目14番1号に移転。
- 1996年(平成8年)
- 4月 - 北九州小野田セメント門司工場操業停止。
- 6月 - 秩父第一工場閉鎖。
- 1997年(平成9年)4月 - 三河小野田セメント田原工場閉鎖。
日本セメント(旧 浅野セメント)
- 1883年(明治16年)4月16日 - 浅野総一郎が官営深川工作分局セメント工場を借り受けセメント製造開始(会社創立)。
- 1884年(明治17年)7月8日 - セメント工場の払下げを受け、匿名組合組織として発足。工場は浅野工場(後の深川工場、東京工場)と命名。
- 1893年(明治26年)9月 - 浅野門司分工場(後の門司工場)を新設。
- 1898年(明治31年)2月 - 浅野セメント合資会社に改組。
- 1912年(大正元年)10月 - 浅野セメント株式会社設立。
- 1913年(大正2年)2月 - 浅野セメント株式会社が浅野セメント合資会社を合併。
- 1915年(大正4年)7月 - 北海道セメント株式会社を合併、北海道工場(現・上磯工場)を移管。
- 1917年(大正6年)5月 - 川崎工場(現・デイ・シイ川崎工場)を新設。
- 1917年(大正6年)7月 - 台湾工場新設。
- 1924年(大正13年)6月 - 大阪木津川セメント株式会社を合併、大阪工場を移管。
- 1929年(昭和4年)5月 - 西多摩工場(現・西多摩事務所)を新設。
- 1933年(昭和8年)11月 - 満州に進出。
- 1935年(昭和10年)6月 - 香春工場(後の香春太平洋セメント香春工場)を新設。
- 1936年(昭和11年)6月 - 朝鮮に進出。
- 1939年(昭和14年)10月 - 日本セメント株式会社(初代法人)を合併、佐伯工場(現・大分工場佐伯プラント)及び八代工場を移管。
- 1939年(昭和14年)11月 - 東京工場閉鎖。
- 1940年(昭和15年)5月 - 土佐セメント株式会社を合併、土佐工場を移管。
- 1941年(昭和16年)2月 - 川崎工場を新設の日本高炉セメント株式会社(現:デイ・シイ)に譲渡。
- 1941年(昭和16年)3月 - 日東セメント株式会社を合併、糸崎工場を移管。
- 1942年(昭和17年)3月 - 東亜セメント株式会社を合併、尼崎工場を移管。
- 1944年(昭和19年)1月 - 北海道工場を上磯工場に改称。
- 1947年(昭和22年)5月 - 日本セメント株式会社に商号変更。
- 1948年(昭和24年)9月 - 尼崎工場新設。
- 1955年(昭和30年)4月 - 埼玉工場を新設。
- 1957年(昭和32年)2月 - 大阪工場閉鎖。
- 1980年(昭和55年)4月 - 門司工場・八代工場閉鎖。
- 1984年(昭和59年)9月 - セメント共同販売会社の大日本セメント共同事業株式会社を設立。日本セメント・大阪セメント・第一セメント・明星セメントが参加。
- 1994年(平成6年)5月31日 - 大日本セメント解散。
- 1996年(平成8年)4月 - 山陽白色セメントに糸崎工場を譲渡。
北海道セメント
- 1890年(明治23年)4月 - 会社設立。
- 1915年(大正7年)4月 - 浅野セメントに合併。
大阪木津川セメント
- 1907年(明治40年)1月 - 会社設立。
- 1917年(大正6年)6月 - 工場新設。
- 1924年(大正13年)6月 - 浅野セメントに合併。
日本セメント(初代)
- 1888年(明治21年)1月 - 会社設立。
- 1890年(明治23年)10月 - 八代工場新設。
- 1926年(大正15年)12月 - 佐伯工場新設。
- 1939年(昭和14年)10月 - 浅野セメントに合併。
土佐セメント
- 1905年(明治38年)9月 - 合資会社として発足。
- 1908年(明治41年) - 株式会社に改組。
- 1940年(昭和15年)2月 - 浅野セメントに合併。
日東セメント
- 1932年(昭和7年)10月 - 会社設立。
- 1934年(昭和9年)7月 - 工場新設。
- 1941年(昭和16年)3月 - 浅野セメントに合併。
東亜セメント
- 1907年(明治40年)1月 - 会社設立、工場新設。
- 1942年(昭和17年)3月 - 浅野セメントに合併。
太平洋セメント発足後
- 1998年(平成10年)10月1日 - 秩父小野田が日本セメントを合併、太平洋セメント株式会社に商号変更。
- 2000年(平成12年)12月29日 - 秩父工場・香春工場をそれぞれ秩父太平洋セメント株式会社・香春太平洋セメント株式会社に譲渡。
- 2003年(平成15年)3月 - 子会社の三河小野田セメント、北九州小野田セメント解散。
- 2004年(平成16年)3月 - 香春太平洋セメント解散、同社香春工場閉鎖。
- 2004年(平成16年)4月 - 社内カンパニー制導入。
- 2005年(平成17年)10月 - 津久見工場と佐伯工場を大分工場として統合。
- 2010年(平成22年)4月 - 土佐工場を廃止し、土佐事務所設置。大分工場佐伯プラント生産停止に伴い大分工場の津久見地区への集約。
- 2016年(平成28年)8月 - 持分法適用関連会社であった株式会社デイ・シイを完全子会社化。
- 2017年(平成29年)2月14日 - 山陽白色セメントの特別清算手続きを開始[7]、同社糸崎工場閉鎖。
- ^ 基本情報 2021年3月9日閲覧
- ^ “5233 太平洋セメント(株)(太平洋セメ)日本経済新聞マネー”. 日本経済新聞. (2010年7月29日). オリジナルの2014年2月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 『六大社長会の加盟企業 秘2017年版バージョン』『週刊ダイヤモンド』2017年7月29日号、ダイヤモンド社、32 - 33頁
- ^ 会員会社 - 三井業際研究所
- ^ 綱町三井倶楽部会員会社一覧
- ^ 公益財団法人 三井文庫【賛助会社】
- ^ “山陽白色セメント(株)(広島県)/特別清算へ”. JC-NET (2017年2月14日). 2021年6月24日閲覧。
固有名詞の分類
港区 (東京都)の企業 |
東邦物産 リクルートドクターズキャリア 太平洋セメント 十印 ビバリウム |
日本のガラス・土石製品産業 |
鳴海製陶 ノザワ 昭和製陶 KELK 太平洋セメント |
三井グループ |
三国コカ・コーラボトリング SMBCコンサルティング 太平洋セメント 東洋エンジニアリング 三井住友信託銀行 |
第一勧銀グループ |
安川電機 清水建設 第一三共 太平洋セメント みずほコーポレート銀行 |
セメント会社 |
住友大阪セメント 八戸セメント デイ・シイ 日立セメント 太平洋セメント |
「太平洋セメント」に関係したコラム
-
株365の銘柄の価格は、株価指数に採用されている銘柄の価格をもとにして算出されます。株価指数に採用されている銘柄はその国を代表するような優良企業であることが多く、また、取引高も多く市場から注目されてい...
-
株式の投資基準とされるPERとは、株価収益率のことです。PERは、次の計算式で求めることができます。PER=株価÷EPSEPSは、1株当たりの利益額のことで、「当期純利益÷発行済み株式数」で計算されま...
-
株式の投資基準とされるEPSとは、1株あたりの利益額のことです。EPSは、次の計算式で求めることができます。EPS=当期純利益÷発行済み株式数例えば、当期純利益が100億円で発行済み株式数が1億株の企...
- 太平洋セメントのページへのリンク