国道17号
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歴史
国道17号は、中山道(中仙道)の一部(江戸 - 高崎)および三国街道の一部(高崎 - 長岡)を継承する路線である。三国街道は関東と越後を直接結ぶ唯一の道として江戸時代より重視され、1877年(明治10年)には国道一等に指定された。
1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」では、国道5号「東京より新潟港に達する路線」(現在の17号、18号、8号経由)および国道8号「東京より新潟港に達する別路線」(上記17号を経由し、高崎で分岐)として指定された。この8号は、三国街道が通る三国峠ではなく、その北の清水峠(現在の国道291号)を通っていた。三国峠はその前後にも峠があるのに対し、清水峠は峠が1つだけであり、さらに距離も短くなるからである。三国峠越えの道は国道から県道に格下げされた。さらに、信越本線が開業して鉄道で東京と新潟が結ばれたこともあり、三国峠の通行者は激減した。1920年(大正9年)4月1日、並行する国道があるからという理由で、三国峠越えの道は県道からも降格されている。
清水峠越えの道は、1873年(明治6年)に民間の資金によって新しく開かれた登山道程度の道であったが、国道に指定されたことにより国家事業として改良が行われ、1885年(明治18年)に完了した。しかし、冬の厳しい気象条件のために次第に荒廃し、大正になったころには廃道同然となっていた。1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、清水峠越えの旧8号に当たる路線はなく、群馬・新潟県境を通る国道はなくなった。この路線認定で現在の17号に相当する路線は、前橋までの国道9号「東京市より群馬県庁所在地に達する路線」および旧5号を継承する国道10号「東京市より秋田県庁所在地に達する路線」の東京 - 高崎間・小千谷 - 新潟間である。
清水峠越えの道が実質通行不能であることを受け、1921年(大正10年)4月1日、三国峠を含む道路が「沼田六日町線」として再び県道に指定された。1934年(昭和9年)5月1日の内務省告示第251号によって、国道9号が三国街道経由で新潟市まで延長されて「東京市より新潟県庁所在地に達する路線」となり、現在の国道17号のルートとなった。これは、東京と満州を結ぶ最短ルートとして三国峠越えの道路が注目されたためである。これまでに述べたような状況により、当時の三国峠は改良が全くと言って良いほど行われておらず、自動車の通れる状態ではなかった。1940年(昭和15年)より三国峠の改良工事が開始されるが、第二次世界大戦の戦況の悪化により中断された。工事が再開されたのは戦後のことである。この工事はほとんど新設同様の改良工事になったが、カーブの終始端に挿入する緩和曲線に、積極的にクロソイド曲線が用いられ、のちに日本で初めてクロソイド曲線を使用した道路として群馬県側の沿道に記念碑が建立された[5]。1957年(昭和32年)に三国トンネルは貫通し、1959年(昭和34年)6月に供用開始[6]され、群馬・新潟県境に初めて自動車の通れる道が通った。
改良工事中の1952年(昭和27年)12月4日、新道路法に基づく路線指定で旧9号がそのまま一級国道17号(東京都中央区 - 新潟県新潟市)として指定された。東京と新潟を結ぶ一級国道17号の新潟県内の道路改良新ルートの選定については、交通網が三国山脈によって阻まれていた新潟の地元民にとっては死活問題で、これには田中角栄も関与した。魚沼市内の国道17号のルートは、魚野川右岸に沿う小出のルートから、橋を渡って左岸の堀之内を通り、さらに越後川口で再び橋を渡って右岸に戻るルートを通る。この経緯は、道路特定財源の導入と道路法全面改正の提案をして各地の道路整備を推進した田中が、建設省道路局が一級国道の道路改良をするため新ルート計画を検討していた1962年(昭和37年)に、新潟県小出町・堀之内町(現:魚沼市)の国道17号の新ルートを自分の後援会長の地元がある堀之内町側を通過させるように同局に指示したためである[7]。
1965年(昭和40年)4月1日に、道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり一般国道17号となった。
1977年(昭和52年)3月8日夜、渋川市から新潟方面に向け上越線と並走する区間で落石が発生。下り急行電車が落石と衝突して脱線、先頭車両が線路から脱線して国道17号の路上へ落下する事故となった(急行「佐渡」脱線事故)[8]。
年表
- 1952年(昭和27年)12月4日 - 一級国道17号(東京都中央区 - 新潟県新潟市)に指定される。
- 1959年(昭和34年)6月15日 - 三国トンネルが開通し、上越国境を自動車で通行可能になるとともに、国道17号が全線開通[9]。
- 1963年(昭和38年)3月14日 - 大宮バイパス全線開通[10]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり、一般国道17号(東京都中央区 - 新潟県新潟市)となる。
- 1970年(昭和45年)11月16日 - 板橋区板橋本町交差点から北区滝野川5丁目交差点の間、朝の時間帯のみバスレーンが設置される[11]。
- 1982年(昭和57年)4月8日 - 熊谷バイパス全線開通[12]。
- 1985年(昭和60年)9月30日 : 月夜野バイパス全線開通[13]。
- 1990年(平成2年)2月21日 - 深谷バイパス全線開通[14]。
- 1995年(平成7年)2月28日 - 新大宮バイパス全線開通[15]。
- 1998年(平成10年)11月24日 - 小千谷バイパス全線開通[16]
- 1999年(平成11年)12月3日 : 沼田バイパス全線開通[17]。
- 2008年(平成20年)7月7日 - 鯉沢バイパス全線開通[18]。
- 2010年(平成22年)3月22日 - 前橋渋川バイパスバイパス部全線開通[19]。
- 2017年(平成27年)3月19日 - 上武道路全線開通[20]。
注釈
- ^ 一般国道の路線を指定する政令の最終改正日である2004年3月19日の政令(平成16年3月19日政令第50号)に基づく表記。
- ^ 2005年3月28日に太田市ほか3町が合併して太田市発足。
- ^ a b 2006年3月28日に渋川市ほか1町4村が合併して渋川市発足。
- ^ 2005年10月1日に2町1村が合併してみなかみ町発足。
- ^ 2005年10月1日に南魚沼市へ編入。
- ^ 2004年11月1日に2町が合併して南魚沼市発足。
- ^ a b c 2004年11月1日に2町4村が合併して魚沼市発足。
- ^ 2005年3月21日に新潟市へ編入。2007年4月1日に政令指定都市へ移行し、新潟市南区の一部を構成。
- ^ a b c d e f 2022年3月31日現在
出典
- ^ “国道17号”. 大宮国道のしごと. 国土交通省関東地方整備局 大宮国道事務所. 2015年11月5日閲覧。
- ^ “一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2013年8月31日閲覧。
- ^ a b c d e f “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (XLS). 道路統計年報2023. 国土交通省道路局. 2024年4月2日閲覧。
- ^ “一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2013年9月1日閲覧。
- ^ 武部健一 2015, p. 205、「戦後の道路構造の歩み」より。 - クロソイド曲線碑は、群馬県みなかみ町永井の道路わきに所在する。
- ^ “新三国トンネル、関係者が起工式 湯沢・群馬”. 新潟日報. (2013年9月10日). オリジナルの2013年12月7日時点におけるアーカイブ。 2013年12月12日閲覧。
- ^ 佐藤健太郎 2015, p. 133.
- ^ 回る車体、やみ裂く悲鳴 上越線事故 頭上から降る人・人・人『朝日新聞』1977年(昭和52年)3月9日朝刊、13版、23面
- ^ 『上越国道史』75頁。
- ^ 大宮国道30年史編集委員会 1988, pp. 219–220.
- ^ さらに八路線で あすからバス優先道路『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月15日朝刊 12版 22面
- ^ 大宮国道30年史編集委員会 1988, pp. 226–229.
- ^ 「一般国道17号月夜野バイパス」『月刊建設』第30巻第8号、全日本建設技術協会、1983年8月1日、16-17頁。
- ^ 河田寛行、宮沢辰雄、古木守靖「一般国道17号深谷バイパス工事報告」『道路』第592号、日本道路協会、1990年6月1日、49-54頁、ISSN 0012-5571。
- ^ “新大宮バイパス 事業の概要”. 国土交通省関東地方整備局大宮国道事務所. 2024年1月5日閲覧。
- ^ “小千谷市のあゆみ:平成10年”. 小千谷市 (2010年1月4日). 2021年10月7日閲覧。
- ^ 「NEXT WAY IV (12)」『調査月報』第198号、群馬経済研究所、1999年12月1日、20-21頁、ISSN 0911-5854。
- ^ 『7月7日に「一般国道17号 鯉沢バイパス」が開通します 〜開通日時及び開通式典のお知らせ〜』(PDF)(プレスリリース)国土交通省関東地方整備局高崎河川国道事務所、2008年6月26日。 オリジナルの2010年4月3日時点におけるアーカイブ 。2024年1月5日閲覧。
- ^ 『国道17号 前橋渋川バイパス(前橋市田口町〜渋川市半田)が3月20日に開通します』(PDF)(プレスリリース)国土交通省関東地方整備局高崎河川国道事務所、2010年2月10日。 オリジナルの2010年5月10日時点におけるアーカイブ 。2024年1月5日閲覧。
- ^ 『国道17号上武道路 平成29年3月19日(日)に全線開通[(主)前橋赤城線〜国道17号田口町南交差点間3.5キロメートル]』(プレスリリース)国土交通省関東地方整備局高崎河川国道事務所、2017年3月23日。 オリジナルの2019年7月2日時点におけるアーカイブ 。2024年1月5日閲覧。
- ^ a b c d e “東京都通称道路名一覧表” (PDF). 東京都建設局. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月5日閲覧。東京都建設局
- ^ a b c d e “東京都通称道路名地図(区部拡大版)” (PDF). 東京都建設局. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月5日閲覧。
- ^ “直轄国道に関するお問い合わせ先” (PDF). 国土交通省関東地方整備局. 2015年11月19日閲覧。
- ^ Qのまち 前橋中心商店街協同組合 公式webサイト
- ^ “新大宮上尾道路 事業の概要”. 大宮国道のしごと. 国土交通省関東地方整備局 大宮国道事務所. 2023年10月15日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、363頁。ISBN 4040011104。
- ^ “本庄道路 事業の概要”. 大宮国道のしごと. 国土交通省関東地方整備局 大宮国道事務所. 2018年1月30日閲覧。
- ^ “国道17号 三国防災 新三国トンネル 令和4年3月19日に開通します。” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 高崎河川国道事務所 (2022年2月3日). 2022年3月19日閲覧。
- ^ “国道17号三俣防災” (PDF). 国土交通省長岡国道事務所. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “国道17号和名津防災” (PDF). 国土交通省長岡国道事務所. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “三国峠トラックステーションの閉鎖について” (PDF). 貨物自動車運送事業振興センター (2012年8月). 2017年9月30日閲覧。
- ^ “板橋十景 志村一里塚”. 観光・まつり・大会. 板橋区. 2015年11月5日閲覧。
- ^ “時代を紡ぐ 「志村一里塚は動かなかった!」”. 文化財. 板橋区. 2015年11月5日閲覧。
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