千日デパート火災 火災および被害が拡大した要因

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 14:35 UTC 版)

火災および被害が拡大した要因

1960年代から70年代の高度経済成長期には、商業施設や病院、宿泊施設などで高層建築火災が小火も含めて全国的に頻発していた。その中でもなぜ千日デパートビルの火災だけが未曾有の被害を出すに至ったのか(1972年5月の時点において)。本件火災の現場となった千日デパートビルと甚大な人的被害を出した7階「プレイタウン」には、ハード面およびソフト面の両面で、防火管理上の何らかの個別的な問題があったと考えられた。同ビルおよび同風俗店は、消防当局から防災面や設備面において、いくつかの不備について改善を指導されていた事実はあったが、それでも根本的な法令違反があったわけでも、建物や施設に致命的な欠陥があったわけでもなかった。いずれも当時の建築および消防関連の法令には適合していた。また商業施設が何か如何わしかったわけでも、評判が悪かったわけでもなかった。負の連鎖反応がどこかで断ち切れば大災害は起きなかったはずである。千日デパートおよび7階プレイタウンの防火管理上の問題点と被害が拡大した様々な要因を以下に記す。

千日デパートの防火管理上の問題点

既存不適格の建物

千日デパートビルは、1932年(昭和7年)に建設された建物に度重なる改修を加えて使用しており、火災当時(1972年)の建築基準に適合しない部分がみられた。特に1969年から70年にかけて建築基準法の改正が行われたことによって、建築法令に適合しない部分を多く抱えたまま営業を続けており、いわゆる既存不適格の建物であった[393]。法令不適合の部分に関しては「前法不遡及の原則」に従って改修や設置義務から免れていた。本件ビルが抱えていた建築法令に関する既存不適格の部分とは、例えば、店舗の内装に関する新基準、排煙設備の設置、非常用照明装置の設置、非常進入口の設置、防火戸の熱感知自動閉鎖装置設置、防火区画(面積および竪穴区画)の新基準、階段の幅や構造に関する新基準、特別避難階段の設置などである[393]。また消防法令においても1961年(昭和36年)以前に建てられた建築物かつ防火対象物ということで、こちらも建築法令と同様「前法不遡及の原則」に従って、現行法令の基準を満たす消防用設備などの設置義務の対象からは外され、遡及適用を免れていた。その代表的な例としてはスプリンクラー設備、自動火災報知設備、非常警報設備、消防機関へ通報する火災報知設備、中央集中管理室の設置などが挙げられる[145]

共同防火意識の欠落

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月の開業当初から複合用途の商業施設だったが、1963年(昭和38年)3月13日にビル全館を同一の管理権原者(千日デパート管理会社)が管理する防火対象物として南消防署長に対して防火管理者および消防計画が提出されていた[394]。ところが1967年(昭和42年)に異なる管理権原者である「プレイタウン」と「ニチイ千日前店」が同ビルに出店したことから防火管理体制が複数に分かれるきっかけになった[394]。特に7階プレイタウンは、独自の防火管理者を選任し、個別に防火管理をおこなう体制になっていた[394]。1969年(昭和44年)に消防法が改正され、管理権原が分かれている複合用途防火対象物は共同防火管理が必要な対象物に改められたが、1971年(昭和46年)6月に南消防署は、千日デパートの主要な管理権原者である「千日デパート管理部(日本ドリーム観光)」「プレイタウン」「ニチイ千日前店」の防火管理者を消防署に呼び、3者ごとの消防計画作成および全体としての共同防火管理に基づく消防計画作成の協議会を3者で開くように指導した[395]。右3者は南消防署の指導に従って協議会を開いたものの、会議で計画をまとめることはできなかった。以降3者は南消防署の度重なる指導にもかかわらず、火災発生当日に至るまで共同防火管理体制を取ろうとはしなかった[注釈 63][395]。火災発生2か月前の3月に千日デパートとミナミ地下街関連の6つの関係者は、南消防署の指導で会議を開き、4月1日に「ミナミ地下総合共同防火管理協議会」を発足させ、その発会式を同月13日におこなった。組織や機構などを話し合う前に本件火災が発生したが、肝心のデパートビル内における共同防火管理体制は引き続き等閑となっていた[216]

千日デパートを経営管理する日本ドリーム観光と、プレイタウンを経営管理する千土地観光とは「親会社と子会社」の関係にあるが、両社間で共同の消火訓練や避難訓練を実施したことは一度もなかった[396]。また千日デパートとプレイタウンの間で防火管理の責任者同士が火災や災害時の通報体制、避難誘導などについて協議したこともなかった[397]。また、共同で防火管理を行うための協議会を設置する構想すらもなかった。異なる管理権原者同士の共同防火管理意識のなさを象徴する例として、火災発生の10か月前に千日デパート管理部は、6階以下の階すべてに災害時に全館一斉放送できる防災アンプ(非常放送設備)を設置したが、7階プレイタウンだけには設置されず、その事実をプレイタウンに通知していなかった。さらには7階プレイタウンから1階保安室へ火災発生を知らせる「火報押しボタン」は設置されていたが、全館の火災を知らせるために7階で鳴動する火災報知機(警報ベル)の設置はなかった。また1階保安室からプレイタウンへ緊急通報する手段は、内線電話と外線電話の両方があったものの、内線電話はデパート営業時間内(21時まで)に限られていた。デパート閉店後の保安室とプレイタウン間の連絡は、同じ建物内に入居していながら「外線電話(一般加入電話)」で行うしか手段がなかった[396]

大阪市消防局が千日デパートとプレイタウン相互の連絡体制について調査したところによれば、デパート保安係長の説明では「火災があってもプレイタウンに通報することになっていなかった」といい、プレイタウン支配人の説明では「階下で火災があればデパート側が知らせてくれることになっていた」と述べたが、平素からの取り決めについては明確ではなかったとしている。またデパート管理部管理課長の説明によれば「ビル管理上においてデパート側とプレイタウン側との間に規約的なものはなく、取り決めもない。巡回については慣習的にプレイタウンについてもおこなっている。火災時の通報については申し合わせていない」と述べた。管轄の南消防署は、災害時のプレイタウンへの連絡体制について、千日デパートに対してどのような指導をおこなっていたのかといえば、火災時にはプレイタウンに通報するように、と火災発生前から既に指導していたのである[398]

消防査察の指摘を無視

本件火災発生の1年前(1971年5月)、千葉市の田畑百貨店で閉店後の深夜に火災があったことをきっかけに、消防当局は商業施設閉店後の防火区画シャッターやエスカレーターの防火カバーシャッターを閉鎖するように指導方針を大きく変更した[399]。それにともない大阪市消防局は、1971年(昭和46年)5月25日と26日に管内の百貨店や商業施設に対して夜間査察を実施した。同時に南消防署も管内の百貨店などに対して特別点検を実施した[400]。大阪市消防局と南消防署は、査察と点検の結果を各施設の関係者を集めて報告し、同時に説明会も行った。そこには千日デパート管理部管理課長も出席していた。同デパートについて市消防局と南消防署が指摘した内容は以下のとおりである[400][401]

  1. 2階F階段・吹き抜け閉鎖用の横引きシャッターが故障していて使えない状態であり、閉鎖できるように修理すること。
  2. 各階フロアの防火区画シャッターのシャッターラインが確保されていない箇所があり、改善すること。
  3. 閉店後に各階フロアの防火区画シャッターおよびエスカレーター開口部と各階段出入口の防火シャッターを閉鎖すること。

消防当局の査察の結果を受けて管理課長は、各テナントの協力を得てシャッターラインの確保は実施したが、2階F階段横引きシャッターの修理と閉店後の防火区画シャッターの閉鎖については実行しようとせず、消防署の指導を無視した。2階F階段シャッターの故障については、消防当局から再三にわたり改善を指導されており、1970年(昭和45年)12月にも管理課長は南消防署から同シャッターの故障について指摘されていたが、そのことを上司に報告するも、何も改善されなかった[402][401]。その後も一向に改善も修理もされず、火災発生日を迎えた[400]。防火設備の設置に関する中途半端な対応の例として、熱式感知器は一部の階を除いて設置されていたが、火災延焼階である2階ないし4階にだけは取りつけられていなかった[403]

脆弱な保安体制

千日デパートの保安管理は、日本ドリーム観光の千日デパート管理部に所属する保安係がその業務を担当していた[404]#千日デパートビルの保安管理 保安係の主たる任務は、商品や各店舗の保安監視および安全管理、火災などの災害または盗難等の予防監視ならびに警備取り締まりであるから[405]、デパート閉店後の館内巡回は重要な業務であり、防火シャッター等の閉鎖確認も災害発生を未然に抑えるうえで重要である[406]。また店内工事に際して保安係員が立ち会うことも各テナントに対する保安管理面の責務として必要と考えられるところだが、同デパートでは、人員の削減などにより十分な保安体制が確立されない状況となっていた[407]。同デパートでは、消防当局からの指導で売場内の防火区画シャッターを閉店後に閉鎖するように指導されていた[154]。同デパートの防火区画シャッターは一部を除き、そのほとんどが手動式で、地下1階から4階までに合計68枚設置されていた。これらを限られた人数の保安係員だけで開店時と閉店時に開閉するのは労力的に厳しく、その実効性はなかった[408]。保安係の職務のひとつに「店内諸工事などの立ち会いならびに監視取り締まり業務」があり、本来ならば店内工事に際して保安係員が工事に立ち会う義務があったが、昭和40年ころから一部を除いて工事に立ち会っていなかった[409]。保安係員は、開業当初の1958年当時は25、26人の人員がいたものの、1967年(昭和42年)にテナントに対する契約方式を納入契約制から賃貸契約制に移行したのを機に人員が削減され、火災発生当時の1972年(昭和47年)には日勤専従者2人を含む14人(2班6人、24時間勤務、隔日交代)で業務を行っていた。また保安係員の給与面などの待遇はあまり良くなく、退職者が発生してもその補充が容易にはできなかった。したがって限られた人数の保安係員だけで68枚の手動式防火区画シャッターを開閉することは難しく、テナントの協力を得て売場の防火区画シャッターを開店時と閉店時に開閉することも困難な状況であった。またテナントの多くは、デパートビルの防火管理はデパート管理部が行うべきものと考えていて、デパート側とテナント側双方の共同防火意識は希薄だった[410]。以上のように千日デパートの保安体制は極めて脆弱なものであったのは確かであるが、のちの防火管理者らに対する刑事裁判やテナント訴訟において、デパート管理部の防火責任者が消防当局からの指導があるにも拘らず、閉店後の防火区画シャッター閉鎖の体制づくりを怠っていたことが火災被害拡大の要因であると認定された。売場内の防火区画シャッター閉鎖の実効性は現に存在し、各テナントの協力を得ることで同シャッター閉鎖は十分に実現できたと考えられた。実際にニチイを始めとする各テナントは、デパート側からシャッター開閉の協力要請があれば契約内容にかかわらず商品や店舗の安全性に関わることであるから、容易に協力しただろうと見解を述べている[411]

閉店後における保安管理の怠慢

千日デパート管理部では、各テナントが閉店後の夜間に宿直することを認めていなかった[412]。これは同デパートの保安係員が各テナントの商品や店舗に対する安全管理の責務を担っていることを意味していて、各テナントとの間に保安管理契約が存在することは明らかであった[78]。またその履行も為されなければならないところ、保安係員は火災当日夜の閉店後に3階で電気工事が行われているにも関わらず、その工事に立ち会わなかった[413]。その結果、同階で火災が発生した直後に防火区画シャッターを閉鎖し、消火器や消火栓などを用いて初期消火を行うことができず、さらには7階で営業中のプレイタウンに対して火災発生を知らせずに人的被害を拡大させ、その保安管理体制の杜撰さが露呈した[414]。またテナントに対する保安管理契約の存在が明らかであるのに、工事の立会や喫煙管理などの防火管理をテナント(ニチイ)に丸投げしていたことも問題点として挙げられる[415]。出火元となった3階ニチイ千日前店は、賃貸契約時のデパート管理部との取り決めで、同店が出店している3階と4階の階段A、C、E、F(AとFは4階のみ)の階段出入口に設置してある防火扉と防火シャッターおよび4階エスカレーターの防火カバーシャッターの閉鎖は、ニチイ社員が閉店時に実施することで合意を結び特約していた[203]。ところが売場内の防火区画シャッターの閉鎖については双方の間で取り決めはなされておらず、普段から閉鎖されていなかった(他のテナントも同様)[189]。デパート管理部は、各テナントが閉店後の店内で残業する場合は、同管理部に届けを出すことを義務づけていた。ただしニチイ千日前店の残業は例外で、届け出なしに23時まで行うことができた。残業が終わったあとは、階段出入口の防火シャッターとエスカレーター防火カバーシャッターを閉鎖し、照明などの電源を切り、客などの居残りを確認し、従業員通路(D階段出入口)を施錠をしたうえで同管理部に引き継ぐことになっていた[203]。このようにニチイは千日デパートの中では管理について特約を持つほどのキーテナントであり、工事の立会いについて一定の責務があると考えられた[416]。しかしながら、テナントが工事に立ち会う場合は工事の進捗状況などを確認するのが主たる任務になるので、火災防止などの防災面を監督するのはビル管理者である日本ドリーム観光の役目であると考えられた。しかも出火元の3階にはニチイ以外のテナントが数店舗出店していて、それらに対する保安管理義務が生じることは明らかであり、その意味で日本ドリーム観光が火災当日にニチイがおこなった店内工事に保安係員を立ち合わせる義務があった[417]。閉店時に売場内の防火区画シャッターを閉鎖したうえで保安係員が工事を監督していたなら、火災の発生およびその拡大を防止できたことは明らかである[418]

7階プレイタウンの防火管理上の問題点

希薄な防火管理者の当事者意識

7階プレイタウンは、消防法令で規定される特定防火対象物のひとつであり、区分は「特定防火対象物・第2項(イ)」にあたる[158]。したがって管理権原者の指導監督の下に防火管理者を選任して防火管理にあたる必要がある。プレイタウンの管理権原者は千土地観光の代表取締役業務部長であり、また防火管理者はプレイタウン支配人が選任されていた。通常であれば支配人に就任(1970年9月)したと同時に防火管理者の任にも就くところであるが、前任者からの引き継ぎに9か月間の空白期間があり、防火管理者の変更届がしばらく出されておらず、実際に選任されたのは1971年(昭和46年)5月だった[419]。防火管理者であるプレイタウン支配人は、店内で火災が発生した場合の防火および消火対策は考えていたが、6階以下の階で火災が発生した場合を想定して客や従業員を地上へ避難させることは全く想定しておらず、そのことは念頭になかった[420]。管理権原者である千土地観光・代表取締役業務部長にしても、万が一に階下で火災が発生した場合を想定し、避難誘導に関して支配人や従業員らを指導監督したことは一度もなかった[420]

プレイタウン支配人は、消防署が主催する防火管理者資格講習会に出席し、ビル火災の特徴や建物の構造、避難誘導の方法などの知識を学んだはずであった。講習の際に使用したテキストも所有しており、熟読したうえで内容を理解すれば更に防火管理や避難誘導の知識が身に付いたはずである[420]。ところが同支配人は「テキストは内容が難しく、面白くもないので殆ど読まなかった」という[420]。テキストには「ビル火災における煙の流動性とその特徴および危険性、火災時のエレベーター不使用の原則、避難時の方向と姿勢、避難器具使用に関する注意点、群集心理によるパニックの特徴、消防訓練の種類と意味」などについて書かれており、拾い読み程度であっても目を通しておきさえすれば、防火管理や避難誘導の最低限の知識を得て高層ビル7階で営業する風俗店の防火管理者としての自覚を持つことができたはずである。そのうえで避難訓練を実施し、従業員らを指導しておけば本件火災に際して日ごろの訓練の成果を遺憾なく発揮できたはずである[420]。知識を身に付けない懈怠によって実際の火災に際しては、プレイタウン滞在者に対して有効な避難誘導は何も行っておらず、自身は消防隊のはしご車によって「7番目に救助された」とマスコミに報道されるに至っては、防火管理者としての自覚が無かったという批判は免れないところである[421]

蚊帳の外に置かれたプレイタウン

千日デパートを経営する日本ドリーム観光とプレイタウンを経営する千土地観光は、親会社と子会社の関係にありながら、親会社が経営管理するビルにテナントとして入店している子会社の店舗が管理外に置かれていた。防火管理上においても完全に無視され、7階プレイタウンは孤立状態に置かれていた。そして千日デパートとプレイタウン双方の管理権原者と防火管理者が防火管理や避難誘導について協議したことはなかった。また共同で行うべき消防訓練や避難訓練を行ったことは一度もなく、そもそもビル火災を想定した対策や訓練を共同で実施する発想がまったくなかった[422]。平素におけるデパート側との連絡体制の取り決めは何もなく、したがって災害時の連絡体制も何ら考えられていなかった[398]

消防査察、9つの指摘

プレイタウンは、消防法令が定める特定防火対象物であり、定期的に個別の消防検査を受ける。南消防署が実施した検査では、1970年(昭和45年)12月から1971年(昭和46年)12月までの1年間に合計4回の立ち入り検査(防火査察)を受けていた。そのうちの1971年12月8日の検査では南消防署から以下の9項目の改善指示を勧告された。[195][223][423]

  1. 救助袋の破損している個所を早急に補修するか、新品に交換して使用可能な状態にすること。
  2. B階段出入口前のカーテンを取り除いて非常口であることを明確にしておくこと。
  3. 屋内避難階段には、非常電源を付置した通路誘導灯を設置すること。
  4. 非常警報設備に非常電源を付置するとともに自動式サイレンおよび放送設備を併置すること。
  5. 各防火戸にはドアチェックを取り付けること。
  6. ホール出入口南側の避難用通路の雑品は、避難の支障になるため除去すること。
  7. 舞台、休憩室、更衣室での喫煙管理を徹底すること。
  8. 店内の装飾用品は防炎処理を施したものを使用すること。
  9. 修業点検を確実に励行し、火災予防に万全を期すこと。

また立入検査翌日に発効した指示書に「特記事項」として以下のことが記されていた。指示書の宛名は日本ドリーム観光社長の松尾國三になっていた[423][424]

貴 チャイナサロン「プレイタウン」での避難施設は常に有効を期し、管理を強化して災害発生時に人的被害の絶無を期して下さい[423][424] — 大阪市消防局・南消防署、大阪市消防局 千日デパート火災概況 1972-05-21

再三にわたる改善指導を無視し続ける日本ドリーム観光社長とプレイタウン防火管理者に対して、消防当局が業を煮やしている様子がうかがえる文言である。しかも「1ないし5」の改善項目は、本件火災で人的被害拡大を招いた要因と大きな関連があり、プレイタウンの防火管理上の問題点を見事に指摘していた[425]

プレイタウンは1971年12月8日の検査後、同月20日に再検査を受けたが、前回の検査で指摘された事項のうち「1ないし4」の4項目が未だ改善されずに放置状態であると指摘された[223]。特に「救助袋」に関しては以前の検査でも破損について指摘されていて、1970年12月と1971年6月に「救助袋の早急な補修」を指示されていた。また1971年7月には「救助袋の取替えをおこなう間の使用禁止、その旨を張り紙して実行」を指示され、それからわずか5か月後の当検査でも何ら改善されていなかった。支配人は南消防署の検査に2回立ち会っており、立ち会わなかった検査については、立ち会った社員から報告を受けていた[426]。そして消防署からの指摘事項を上司である千土地観光・代表取締役業務部長に指示書を見せて報告したが、右代表取締役は万が一にも救助袋を使う状況にはなるまいとの安易な考えと、費用の嵩むことは後回しにしたいとの思いから、業者に見積もりをさせることすら指示せず、曖昧な態度に終始した[427]。その後、支配人は上司に改善を進言することはなかった[426]。救助袋の破損個所を補修をした場合に掛かる費用は1万5,000円程度で、新品に取り換えた場合は20万円程度である[428]。千土地観光では、5万円を超える支出は親会社である日本ドリーム観光の承認を必要としていたことからしても[1]、補修程度であれば独自の予算を使って容易に処理できた[428]。新品に交換するにしても、親会社の規模(資本金76億円[1])や消防当局からの再三にわたる改善指導があることを報告して説得したならば、日本ドリーム観光としても適切に対応したであろうと推認された[428]

「救助袋の破損」とは、ネズミによって齧られたと推定される「大きな穴」が救助袋の入り口上部付近に開いており、1970年12月の検査のとき、すでに指摘されていたものである[428]。本件火災後に警察などが現場検証を行った際に救助袋を調べたところ、件の穴は1971年12月の消防査察の時よりも大きくなっていて、小さなものも含めて穴の数が増えていた[429]。脱出者が救助袋を使用したことによって「穴」が裂けたり、布が破れたりしたと考えられるが、それらのうちで「最も大きな穴(45ないし55センチメートル径で4つの裂け目)[430]」を目の当たりにした脱出者たちの不安感と恐怖感は相当なものがあっただろうと考えられた[429]。さらには救助袋の出口(地上部先端)に地上誘導用のおもり(砂袋)が括り付けられていなかった不備もあり、安全に地上へ脱出できる避難器具とは到底言えない状態だった[428]。本件の救助袋使用において、入り口を引き起こして袋を開かなかったことで多くの墜落者が発生したが、仮に袋の入り口を開こうとした場合、窓枠の室内側に填められていた「金網枠(客の転落防止および物品投下防止用)」の下枠突き出し部分が邪魔になって、入り口が完全に開かない(直立しない)状態だったことが判った。救助袋の長さ(展開状態の長さ)が「30.21メートル」で、7階の高さ約25.5メートルに対して十分な斜度を保つ長さが無かったことも判明した。プレイタウンの救助袋は、保守管理がなされていなかったことによって生じた破損だけではなく、設置や機能面においても問題があった[430]

改善項目「2および3」についても、普段から避難階段の出入口が店内装飾用の幕で隠されていたり(階段B、F)、看板を立て掛けてその存在を消したりしていて(A階段)、非常口の場所が店内の構造に詳しくない客や新規従業員などには判らないようになっていた[181]。唯一安全な避難階段とされた「B階段」の出入口は、エレベーターホールに面したクロークの奥にあり、扉そのものが幕で覆い隠されていることもあって、なおさら人目に付かない状態にあった[89]。B階段の非常口を示す誘導灯はクロークカウンター上部の天井に近い梁に設置されており、天井から垂れ下がっている装飾用の中華風灯篭の影響で誘導灯が見えづらかった。またそれを視認できたとしても、クローク内のどこに非常口があるのか理解できない状態だった。しかもB階段出入口の上部に誘導灯は設置されていなかった[180]

避難誘導訓練の不徹底

本件火災後に大阪市消防局がプレイタウン従業員の生存者39人(ホステス21人、ボーイ8人、従業員5人、バンドマン5人。1階にいた者も含む)に対して「非常口」について聞き取り調査をおこなったところ[431]、「プレイタウンの非常口(階段A、B、E、Fの各出入口)を知っていたか」との問いに「全部知っていた」と答えたのは28パーセントであり、「一部だけ知っていた」と答えたのは約半数の52パーセントで「全く何も知らなかった」と答えた人が18パーセントいた。「一部だけ」と答えた人のうち「B階段を知っていた」と答えた人が92パーセントいて、「全部知っていた」と答えた人を合わせれば、その認知度は全体で74パーセントである。ホステスについては「B階段を知っていた」と答えた人が約85パーセントと圧倒的に多かった。これは退勤時にエレベーターが混雑するからとB階段を使用するように推奨されていたことが影響していると考えられた。またホステス更衣室に直結した「E階段を知っていた」と答えたホステスは100パーセントだった(ホステス21人中の全員)。普段から使用しているとか、持ち場や休憩所に直結しているなど、自分にとって関心がある階段出入口は認知度が高いのである[432]。従業員の間では認知度が高い「B階段」であったが、結局は実際に同階段から脱出に成功したのはわずか2人だけであり[433]、たとえその存在を知っていたとしても階段の構造を熟知し、そのうえで適切な避難誘導と日頃からの避難訓練が伴わなければ、せっかくの安全な避難階段も役に立たないのである。新規採用が多く、従業員の入れ替わりが激しい風俗店では、店内に詳しくない者が多くいるのは当然であり、ましてや一見客ともなれば何も判らないのであるから、非常口のありかを明確化しておくことは防災管理の基本である。したがってプレイタウンの防火責任者が責務を果たさず、消防当局の指導に従わなかったことが被害を拡大させた一因であると考えられる[432]

火災が延焼した要因

初期消火に失敗

3階で電気工事を行っていた作業員らは、同階東側で火災を発見したあと、直ちに消火活動を行おうとした。しかしながら消火器を見つけるのに手間取った挙句、消火器の使い方も解らなかったために消火活動が行えず、その間に火災が延焼拡大した[434]。火災発生を感知して3階に駆けつけた保安係員は、防火区画シャッターを閉鎖する措置を取ることができず、また同階に3か所設置されていた屋内消火栓(いずれも火元から20メートル以内)を使って消火活動を行おうとしたが、猛煙と熱気に阻まれ消火栓がある場所まで近づくことができず、初期消火を断念した[435][436]

開けっぱなしのエスカレーター開口部

1階から3階までのエスカレーター周りに設置されていた防火区画シャッターは、閉店後に1枚も閉鎖されておらず、4階から6階までの各エスカレーター開口部に設置されている防火カバーシャッターのうち4階部分だけが閉鎖されていなかった[148]。さらには3階E階段出入口の防火シャッターも閉店後に閉鎖されていなかった[437]。3階で発生した火災は、それらの開放されていた部分から最初に上下階へ火災が延焼した[438]。特に3階のエスカレーター開口部4か所のうち、上階(4階)に繋がる2か所からは、直接的な炎と熱気によって、また下階(2階)に繋がる2か所からは、燃焼した物品や建材の落下によって延焼が拡大した。4階から5階および5階から6階に通じているエスカレーター開口部の防火カバーシャッターは、火災発生時に閉鎖されており、4階からの火炎を食い止めて5階から上階への延焼を完全に防いでいる[438]。その効果によって5階から7階までは延焼による被害はほとんどなく、煙によって煤を被った程度であった[439]。つまり、もしも3階から4階までのエスカレーター開口部、同階エスカレーター周辺の防火区画シャッター、3階E階段出入口シャッターが火災発生時に閉鎖されていたならば、3階から上下階へ火災が延焼した可能性は低くなったと考えられた[440]。また3階で行われていた電気工事現場周辺の防火区画シャッターは作業中に閉鎖しておらず、火災を限られた区画内に閉じ込めることができなかった。工事を行ううえで開放を要する防火区画シャッター2枚を除いて、その他の防火区画シャッターをあらかじめ全て閉鎖しておけば、火災を3階のごく狭い範囲に閉じ込めることができたと考えられており、防火区画シャッター閉鎖の必要性と義務は、のちの刑事および民事裁判において重要な争点となった[441]

前法不遡及の原則

千日デパートビルは、1961年(昭和36年)の消防法施行令制定以前の防火対象物ということで「前法不遡及の原則」に従い、全館のスプリンクラー設置義務から免れており、自動で火災を消火する設備に頼ることができなかった[145][436]。また、そのほかの防火設備、消火設備に関しても設置義務の適用から免れていた。たとえば自動火災報知機、煙感知式自動防火シャッター、排煙設備などは設置されておらず、火災被害拡大の一因となった[145]

大量の可燃性商品

出火元の3階と4階のニチイ千日前店で取り扱っていたおもな商品は、可燃性の衣料品や繊維商品であり、それらの商品(約5万点)が大量に陳列されていた。また商業施設ということで店内には装飾が多く、そのような状況の売場で火災が発生したため、瞬く間に火災は燃え広がった。その後、フロア全体がフラッシュオーバーを起こしたことで爆発的に延焼するに至った[442]。また2階についてもフロア全体に小売店舗が密集して営業し、商品を大量に陳列していたため、延焼拡大を招きやすい状態だった。千日デパートは、昭和30年代から40年代の多くの百貨店や商業施設と同じように、外窓をベニヤ板などで遮蔽し、外光を取り入れないようにして壁の一部、またはインテリアデザインとして利用しており、それにより消防隊の消火活動に遅れを生じさせた。また内在物品や装飾、新建材の大量燃焼によって発生した濃煙と熱気が消防隊の内部進入および消火活動を阻んだことも火災拡大の一因として挙げられる[443][444]

プレイタウンに大量の煙が流入した要因

ビル最上階で営業していたプレイタウン

プレイタウンはビル最上階の7階に位置していた。火災の煙は、建物内の竪穴に到達すると煙突効果で急上昇を始める。その速さは秒速3メートルから5メートルに達し、ビルの最上階から真っ先に溜まっていく[445]。7階が猛煙と有毒ガスに襲われたのは必然だった。もしもプレイタウンが6階に位置していたと仮定した場合、煙の充満が遅くなることから犠牲者の数はいくらか軽減された可能性が高いと考えられた[446]

エレベーターシャフトの隙間

プレイタウン専用のA南エレベーターは、地下1階と7階を結ぶ直通エレベーターであり、両階のエレベーター出入口を除いてエレベーターシャフト内に開口部は存在しないはずである。ところが2階と3階の天井部分に手抜き工事によってできたと推定される隙間があり、火災延焼階からその隙間を通じて流入した煙が煙突効果により、エレベーターシャフト内を上昇して7階エレベーター出入口から噴き出し、プレイタウンへ大量に流れ込む一因となった[5][163]

A南エレベーターシャフトの2階と3階部分の北壁は、床スラブと天井梁との間をコンクリートブロックを積み重ねて塞ぐ構造になっているが、床から天井梁までの高さが3.18メートルあるにもかかわらず、床から立ち上がっているコンクリートブロック壁が2.39メートルしかなく、天井梁との間に縦79センチメートル、横1.88メートルの隙間が開いていた。またコンクリートブロック壁の内側に厚さ3センチメートルのモルタル壁が天井梁から88センチメートル垂れ下がっていたが、ブロック壁とモルタル壁との間には約33センチメートルの間隔があり(1.2平方メートル相当)、その隙間を埋める役目を果たしていなかった[5][45]。普段は床から2.3メートルの高さに貼られたフロア天井板によって件の隙間は隠されており、誰もその欠陥に気が付くことはなかった[5]。そして火災が発生してフロア天井板が高熱に晒されて崩落したとき、煙が「隙間」からA南エレベーターシャフト内へ大量に流入し、7階へ上昇した[5][45]

また2階のA南エレベーターシャフトにも同じような欠陥があり、コンクリートブロック壁上端に縦約1.1メートル、横約1.83メートルの隙間が開いており、モルタル壁の垂れ下がりは1.15メートルあった。ブロック壁とモルタル壁との隙間は平均して約4センチメートルで3階ほど大きくはなかったが[5][45]、モルタル壁そのものに上下約7センチメートル、横方向約10センチメートル、さらに縦約3から5.5センチメートル、横約10センチメートルの「2つの穴」が開いており、その部分からも煙がエレベーターシャフト内に流入した。その結果、7階A南エレベーター出入口からは火災初期で秒間0.5立方メートル、3階天井板崩落後には秒間2立方メートル、総量4.5トン、3,700立方メートルにおよぶ煙がプレイタウンホール内へ噴出した。煙が大量に噴出したA南エレベーターは、火災の初期に従業員がエレベーターを点検するために運転を止めた際に、扉を開けたままの状態にして放置したため、余計に煙の噴出を誘発した[7][177][393][447]

空調ダクトから噴出した煙と熱気

火災延焼階である3階と4階、さらには6階と7階を竪穴で垂直につないでいるプレイタウン事務所前の空調ダクト(リターンダクト)吸入口から大量の煙と熱気流が噴出した[37]。千日デパートでは、自主的に空調ダクト内に防火ダンパーを3か所設置していたが、それらはいずれも火災時に作動せず、3階および4階の吸入口から流入した大量の煙と熱気流を噴出させ、プレイタウン内で多くの犠牲者を発生させる一因となった[177][448]。ダクト吸入口から噴出した煙は、火災初期には秒間1.7立方メートル、中期には秒間最大7立方メートル、総量3トン、2,500立方メートルであった[177][447]。空調ダクトから噴き出した煙は特に高温であり、摂氏300度から500度に達したと推定された。その影響で事務所前のダクト吸入口すぐ横に7段8列で積み上げられていたビールケース(ポリエチレン製)の山が縦一列と最上段がすべて溶け落ち、収納されていたビール瓶も破裂し溶解するほどの勢いだった。この熱気によってプレイタウン事務所前の廊下は、発火寸前の状態だったことも判明した[163][449][450]。プレイタウン各所には、天井付近の下り壁に空調ダクトの吹き出し口が設置されていたが、その部分からも煙が噴出した形跡があり、プレイタウン店内を煙で汚染した要因の一つと考えられている。またトイレの天井に設置されていた吹き出し口からも煙が噴き出した形跡があり、その部分からの煙が開放されていた電気室の外窓へ流れ、エレベーターホールを汚染させる一因になったとの見方もある[450]#千日デパートビルの空調設備

階段防火シャッターの故障および開放

7階プレイタウンに通じていた4つの階段A、B、E、Fのうち、E階段の3階防火シャッターおよび防火戸、同階段6階防火戸と、F階段の2階吹き抜け閉鎖用シャッターが閉鎖されておらず、その部分から大量の煙が流入し7階へ上昇した[451]。E階段3階出入口の防火シャッターは、高さが2.48メートルあるにもかかわらず、火災発生時に65センチメートルしか降ろされていなかった[177][452]。2階F階段の吹き抜け閉鎖用の横引きシャッターに関しては、普段から故障していて閉鎖できない状態にあり、南消防署の査察を受けるたびに修理するようにと改善を指導されていたが、長年放置され火災発生時にもまったく改善されていなかった[452]。ホステス更衣室から避難しようとした従業員が同更衣室西側に直結したE階段非常口を開けたために大量の煙が同更衣室に流入した。更衣室にいた従業員は、E階段の汚染に気付いてすぐに扉を閉めたものの、その間に流入した煙の量は膨大であったと推測され、扉の周囲が激しく煤けていた。E階段から噴出した煙と事務所前の空調ダクトから噴出した煙とが相まってホステス更衣室内にいた人たちには致命的な結果となった[450] [453]。また屋上へ避難しようとしたプレイタウン関係者がF階段電動シャッターを開けたことにより、秒間9立方メートル(最大秒間20立方メートル)、総量12トン、9,700立方メートルにおよぶ煙と有毒ガスおよび熱気流が7階フロアへ大量に流入した[177][447]。F階段電動シャッターを開けた直後に停電が発生し、電動シャッターを再び閉鎖することができなくなったことも災いした[269]。プレイタウンを汚染した煙と熱気流は、その主たるものはF階段と事務所前リターンダクト吸入口から噴出したものによると推定された[393]

なぜプレイタウンで多くの犠牲者が出たのか

火災発生の報知および情報が7階に伝わらず

7階プレイタウン滞在者に対して、火災発生の報知および正確な情報がまったく伝わらず、異常覚知が大幅に遅れ、初期の避難行動を起こす機会を失った[454]。火災発生直後に電気工事作業者の1人が3階の火災報知機を押したが(22時34分ごろ)[455]、それはデパートビル全館に火災発生を知らせる自動火災報知機ではなく、地下1階電気室と1階保安室に火災を知らせる機能しかなかったため、プレイタウンには火災発生の情報がまったく伝わらなかった。それどころか、火災状況の報告を受けた1階保安室がデパート閉店後のプレイタウンに対して持っている唯一の連絡手段「外線電話(一般加入電話)」で連絡すらしなかった[217][216]。このためプレイタウン滞在者は火災発生の正確な情報を素早く受け取り、7階から迅速に避難する機会を失った。消防隊の第一陣は現場到着の際、デパートビル保安係員に対し「上はやっているのか(=プレイタウンは営業しているのか)」と尋ねたところ、保安係員らは何を聞かれているのか意味が理解できず、答えられなかったという[456]。また保安係員らは、なぜプレイタウンに通報しなかったのかと問われ「当然7階では火災に気付いていると思ったから連絡しなかった」「建物内に進入する消防隊を案内するために正面出入口シャッターなどを開放することが真っ先に頭に浮かんだ。火災や煙のことで気が動転していて7階への通報は全く考えられなかった」「千日デパートで火災が発生してもプレイタウンへ通報することにはなっていなかった」などと答えている[98][457]

プレイタウン関係者らは、7階に流れてきた煙について、ある者はエレベーターの故障が原因だと考えた。またある者は地下1階のプレイタウン専用ロビーで小火があったのだろうと考え、以前にも同じことがあったから今回も大丈夫だと判断した[458]。さらには漂っている煙はプレイタウン電気室が火災を起こしているからだと思い込んだ者もいた[232]。調理場にいた従業員らは空調ダクトから噴き出す煙と熱気に対して、ダクトのどこかが火元だろうと考え、訳も分からずダクト吸入口にバケツで水をかけ続けた[458]。ホールにいた客やホステスらの中には「調理場で魚か干物でも焼いているんだろう」「以前、店の営業中にバンドマン控室で殺虫剤を焚いて、その煙がホールに流れてきて騒動になったことがあり、またそれが起こったか」と考えた者さえいた[225][459]

7階に煙が流入したことを関係者らが最初に覚知したのは22時35分から36分ごろであり、大量の黒煙と有毒ガスが流入するまで約7、8分の時間的余裕があった[457]。この間に何らかの方法で火災の正確な情報がプレイタウンに知らされていれば、まったく意味のない無駄な消火活動をしたり、漫然と煙が漂う状況を見過ごしたりすることなく、すぐさま避難行動に移れたと考えられている[456][457]。その時点でまだ稼働していたエレベーター、もしくはB階段でいくらかの避難は可能だった[457]。火災初期に迅速な避難がなされていれば、ホステス更衣室と宿直室に滞在していた11人を除いて、170人程度のプレイタウン滞在者は無事に地上へ避難できていた可能性が高いとされている[460]#共同防火意識の欠落

防火責任者らによる避難誘導は行われず

支配人をはじめとする従業員らによる組織的かつ迅速で適切な避難誘導はほとんど行われなかった[454]。従業員らによる避難誘導らしきものは、レジ係などが支配人の指示で行った「火事です。落ち着いて行動してください」「ホステスの皆さんは落ち着いてください」という2回の店内放送と[244][461]、煙が充満したエレベーターホールに殺到した人たちをホールへ押し戻すためにボーイらが発した「こちらには行けない」「下がって」というような制止の言葉[246]、両手を広げて避難者の流れを押し止める手振りだけである[224]。防火管理者であるプレイタウン支配人は、平素より下層階で火災が発生した場合を想定した避難方法や避難経路をまったく考えておらず、客や従業員らに対する避難誘導ができなかった。プレイタウンでは自衛消防組織なるものを作り、防火に対する気構えは見せていたが、それはあくまでもプレイタウン内の火災発生時に迅速に消火活動を行う目的であって、下層階で発生した火災に際して客や従業員らを避難誘導することを念頭に置いたものではなかった[462]。プレイタウンの防火管理者(支配人)は、従業員を対象にした避難訓練をほとんど行っていなかった[463]。火災の前年(1971年)に消火器の使用方法と点検に加えて実施してはいたが、参加者はわずか29人で、全従業員の4分の1にも満たず、訓練の効果は認められなかった[463][464]。避難訓練の際にプレイタウンやデパートビルの避難設備などに関する正確な情報を避難誘導を行うべき従業員らに与えなかったことにより、誤った情報による避難誘導で物置の中へ逃げた人がいたり、煙が大量に溜まって煙突化していたF階段シャッターを開放したり、救助袋の正しい使用方法を避難者が理解できずに墜落死を招いたりして人的被害を拡大させた[465]

唯一の安全な避難階段、有効に使われず

7階プレイタウンは地下1階と屋上を連絡する4つの階段A、B、E、Fに繋がっているが、そのうちの階段A、F出入口については平時においても非常扉が常時施錠されていて使用不可能な状態にあった[466]。7階のA階段出入口は、非常扉の全面に看板を貼り付け、施錠するとともに扉を完全に塞いで使用そのものができない状態になっていた[467][468]。F階段出入口は、非常扉2枚(観音開き。常時施錠)と電動シャッター(常時閉鎖かつ電源切)で構成されていたが[469]、ホールに直結した電動シャッターは全面がビロードの幕で覆われ、ホール側はベニヤ板で囲いがされ塞がれていた[470]。その前にはボックス席が置かれていて非常時に使える状態ではなかった。またE階段出入口については、非常扉がホステス更衣室に直結していることから、デパート営業中にはホステスたちがE階段を利用してデパート売場内へ自由に出入りしていたことが確認されていて[471]、同非常扉の施錠はデパート閉店後(21時)に限られていた。ただし事務所に保管されていた鍵で解錠することは任意でおこなえた[468]。非常時にプレイタウン滞在者が誰でも利用可能な避難階段は、防火扉2枚で遮蔽されたバルコニー付きの特別避難階段「B階段」(特異火災事例の図面を参照)が唯一安全に使用可能な階段だった[420]。B階段は平素から事実上プレイタウン専用の階段になっており、プレイタウンの営業中は地下1階と7階の扉に鍵は掛けられておらず、関係者が自由に使用することができた[3]。またB階段は、地下1階と7階を除いて、同階段各フロア出入口は常時施錠されており、火災発生時に煙や火炎の流入を抑え、B階段内を煙による汚染から防ぐ機能を備えていた[472]

火災の初期に消防隊員の1人がB階段を駆け上がって内部探索をおこなった際に、4階まではまったく煙も炎もなく、難なく昇れたという[473]。ところが5階まで来たとき、上階から黒煙が降り注いできて消防隊員の行く手を遮った。それでもなんとか6階まで行ってみたが、それ以上の進入は不可能だった。それは、B階段からの自力脱出者2人が7階B階段の防火扉2枚を開放したまま脱出したため、7階から噴出した猛煙がB階段にも流れ込んだためである。つまり、7階のB階段出入口の鉄扉2枚が完全に閉まっていた状態なら、B階段はすべての階で安全な状態になっていたと考えられ、刑事裁判においても裁判所は「B階段こそが安全確実に地上へ避難できる唯一の避難階段である」と認定した[420]。ところが7階B階段出入口はクロークの奥にあり、人目に付かないように扉が常に幕で覆われていた。扉の上に誘導灯も備え付けられていないことから、その存在が判らないようになっていた[474]。防火責任者らによって避難誘導もなされなかったことから、B階段から避難できたのはわずか2人だけであり、本件火災において唯一の安全な避難階段が有効に使われなかったことで人的被害が拡大した[474]

救助袋の誤った使用

プレイタウン店内に備え付けられていた唯一の避難器具「救助袋」の正しい使用方法による脱出がおこなわれず、脱出途中に転落して死亡する者が続出した[454]。ホール北東角の窓下に救助袋は備え付けられていたが、猛煙がプレイタウン店内に充満してからしばらくして従業員がキャビネット内に収まっていた救助袋を展張させて地上に投下した[475]。袋の先端が2階のネオンサインに引っ掛かり、それを地上へ降ろすのに時間を要したことから煙に追い立てられた7階滞在者らは我先にと救助袋が設置してある窓に殺到し、袋の入り口を開けない状態で「袋の表面を馬乗りになって後ろ向きに滑り降りる」かたちでの避難が始まってしまった[475]。最初に脱出した男性が運良く地上に降りたために、後に続く人が我先にと袋に跨って降りて行った。しかし、次から次へと救助袋に人が跨ったために、袋は振動で揺さぶられ、摩擦熱に耐えかねて途中で手を放し、ほとんどの脱出者が地上へ墜落していった[476]。自力で降下に成功したのはわずか5人で、その他3人が脱出途中で墜落したところを消防隊が設置したサルベージシートで救われた[475]

プレイタウンの防火管理者は、救助袋を使用した避難訓練を一度もおこなわなかった[65]。また救助袋の正しい使用方法を従業員に一度も指導しておらず、実際の火災発生に際して救助袋が持つ機能を有効に活用できなかった。少なくとも従業員に使用方法を教えておけば、煙が充満した時点ですぐさま救助袋を投下出来ていたはずである。また袋の入り口を開けることも容易にできたと考えられており、正しい使用方法による避難は可能だった[477]。刑事裁判において「救助袋が地上に投下されたのは、窓際へ避難してきた従業員がたまたま救助袋を発見したという偶然の出来事があったからに過ぎない」と裁判所に認定されたことは、避難誘導訓練や消火訓練、従業員に対する適切な指示が為されなかったことの裏付けであるとされた[478]。プレイタウンでは、長年にわたって救助袋の保守管理が為されておらず、大きな穴が数か所開いているなどの破損個所もあることから、消防当局から補修するか新品に交換するように勧告されていたが、その指導を無視したことで安全な避難器具とは言えない状態になっていた[428]。平素から保守メンテナンスが為されていて、従業員に対する訓練と指導もおこなわれていれば、救助袋による避難はさらに有効に機能して犠牲者を少なくできたと考えられている[454]

パニックの発生

プレイタウンの客や従業員らが通常の情報として知っている「唯一の脱出(移動)手段」である2基の専用エレベーターが猛煙の噴出とボーイらの制止によって使用を断念させられ、初期の避難行動が完全に絶たれたことにより、プレイタウンの避難者たちは、火災の正確な情報と避難誘導がほとんどないなかで、どこへ逃げていいのか、どこへ向えばいいのか、誰に従えばいいのかがまったく分からなくなり、ホール内が停電で暗闇になったことも相まって極限のパニック状態に陥っていった[479][480]

冷静に行動できなくなった人たちは、フロア内をあてもなく右往左往し、無駄に体力を消耗した。本件火災でパニックの典型例として挙げられているのは、ホールから6階の旧プレイタウン営業エリアに繋がる旧通路部分(火災発生時には廃止され資材置場になっていた)に避難路を求めた人たちが、ホール西側の資材置場の中に入り込み、その後に袋小路で20数人の人たちが息絶えたことである[481][482]。旧通路部分は、火災発生の2週間前からボウリング場改装工事に伴いベニヤ板で仮閉鎖していた[155]。ところが工事が予想以上に進み、誰も知らないうちにベニヤ板の内側に厚さ27センチメートルの頑丈なブロック塀を積み上げた壁が築かれていた[255]。照明もなく、セメント袋や資材が積まれた幅が1.65メートルしかない狭い空間を「ここは避難路ではない」と直感的に気付いた人もいた[255][483]。だが物置内に誘導された多くの人たちは、通れるはずの通路が塞がれていたことによりパニック状態に陥り、コンクリートブロックの欠片を持って壁を叩いたり、足で蹴ったりして破壊しようとした。頑丈なコンクリートブロック製の壁が壊れるはずもなく、明らかにパニックによる冷静さを欠いた行動であった。そして猛煙と密集状態によって避難者らは行き場を失い、20人弱の人たちが物置の内部とその周辺で力尽きていった[255]。これは従業員の誤った誘導によってもたらされた事態であるが、防火管理者である支配人が工事の進捗状況を把握し、従業員に「壁の情報」を伝えていれば誤った誘導は発生しなかったはずであり[483][484]、責任者らの的確な避難誘導をおこなう統率力の欠如、防災意識の不十分さがパニックを増幅させた側面がある[258][485]

窓際に避難した人たちは、煙と熱気から必死に逃れようと顔を窓から出して救いを求めていた。窒息する寸前の状況下で25メートルの高さに居ながら、あたかも地面がすぐ目の前にあるかのように感じられ、いま飛び降りさえすれば猛煙と熱気から逃れられるという錯覚から、実際に飛び降りてしまった人々が多数いたことは、まさにパニック状態による異常な心理状態がもたらしたものである[258][486]。ビル東側の千日前大劇通に設置されていた千日前商店街アーケードは、屋根の高さが12.3メートルで頂点はビル3階付近にあった。地面に比べればアーケードの屋根は近く感じられた。屋根を覆っている半透明のプラスチック板は照明の影響で7階からは白く見え、地面を目立たなくしていたという。その影響で猛煙と熱気に追い立てられた避難者は、アーケード屋根に飛び降りれば何とかなるという期待感で飛び降りることに戸惑いを感じなかったのではないかと推測されている[258]。火災に気付いて現場に集まった群衆は、飛び降りようとする人たちに向かって飛び降りる行動を思いとどまるように地上から叫んでいた。消防隊員もハンドマイクで7階へ向かって呼び掛けた。しかし7階で必死に救助を待つ避難者たちにその声はまったく届いていなかった。それら善意の呼びかけは、怒号や歓声のように感じた避難者もいて「実に腹立たしく感じた」と生還した人が証言している[258]。死を目前にしたパニック状態は、正常な判断力を奪うと同時に五感をも狂わせるのである。またプレイタウン内の死亡者の中に、死因が「胸部腹部圧迫による窒息死」という者が3人いた。これはパニック状態になってホール内を逃げ惑う避難者らに押しつぶされたか、または転んだ時に踏みつけられたかによる状況で死亡したと考えられている。このように極限のパニック状況がゆえに避難者から冷静な判断力が失われた結果、プレイタウンのフロア内または飛び降りなどで多数の死亡者が出ることに繋がった[258][485]

一方で、自力脱出に成功した人たちや消防隊のはしご車に救出された人たちは、比較的冷静に行動しパニックに陥らなかったことで生存することに繋がった。B階段を使って脱出に成功したクローク係とホステスの計2人のように、あらかじめ避難に必要な情報を持っていたことは重要であり、非常事態発生時に生き延びる確率が上がると考えられた[487]。体力や運動神経の機敏さも重要であると考えられ、ダイビングの経験を生かしてアーケードのワイヤー目がけて飛び降りて助かった男性客などはその典型例である[488]。無駄な行動や合理性を欠いた行動を慎むことは特に重要であり、消防隊のはしご車で救出された人たちは、飛び降りや物置のブロック塀破壊などの行為に走らず、冷静に我慢して窓際で救助を待ったことで助かる確率が高まった。またバンドマンたちのようにリーダーの指示に従い、無駄な行動を行わず小部屋に待機していたことにより生存につなげられたことは、統率の取れたリーダーの下で行動することの重要性を示すものである[489]。いち早く窓際に移動した人たちは、空間(間取り)を熟知していたことで救出される確率を高めた。これらはボーイなどの従業員に多かった[258][490]

多量の煙と有毒ガスの影響

7階プレイタウンで死亡していた96人のうち93人の死因は一酸化炭素中毒によるものだった。下層階の火災で発生した多量の煙のうちの約20パーセントが7階に流入した。ビル火災に際して発生した煙は、最上階から先に充満していくことが知られており、同風俗店はビル最上階の7階で営業していたことから本件火災においても同様の現象が起こったと考えられている。煙の拡散は水平方向で秒速1メートル程度だが、垂直方向では秒速5メートルに達することから7階が煙で充満するまでの時間は僅かであった。プレイタウンでは22時49分ごろにフロアが停電しており、猛煙の充満も加わり視界が全く効かない状態になった。完全な暗闇では、その場を良く知っている人でも1秒あたり70センチメートル、知らない人に至っては30センチメートルしか移動できないという。したがって火災覚知と避難の遅れ、煙の充満および停電による視界不良とが重なったことにより7階プレイタウン滞在者の人的被害が拡大した。

火災によって発生した多量の煙の中に含まれる成分は、一酸化炭素ばかりではなく、有毒ガスも含まれている場合が多い。大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部が大阪大学法医学部に依頼して遺体を解剖して調べた結果、犠牲者の血液中の全ヘモグロビン量に対して一酸化炭素と結合した「一酸化炭素ヘモグロビン」の占める割合は50パーセント程度であり、これは一般的なヘモグロビン飽和量の致死量60パーセントを下回る量であった。このため、本件では2階ないし4階で燃えた化繊商品(化学繊維商品)や新建材から発生した大量の有毒ガスも死亡原因に影響したと考えられている。通常の一酸化炭素中毒では、一酸化炭素の致死濃度は空気中で0.1パーセントとされるところ、ビル火災においては一酸化炭素濃度が10パーセントにも達するので、本件火災の致死限界時間は10分以内だったと分析された。猛煙による酸素欠乏、燃焼物から発生した多量の一酸化炭素や有毒ガスが窒息や刺激を伴って複合的に作用した結果による悲劇だった。

ニチイ千日前店の3階および4階で取扱っていた商品は、衣料品を中心に約5万点にのぼり、3階で肌着、くつ下、寝具、呉服などの40パーセント、4階でブラウス、スカート、生地などの41パーセントが化繊もしくは化繊が混合した商品だった。また3階の一部の専門店と2階の専門店街で取り扱っていた商品も化繊やプラスティック、ビニールなどの石油系高分子材料を使った物が多く、有毒ガスの発生源になったと見られている。服飾などの繊維商品に使われていた材料は、ポリアミド系繊維、ポリエステル系繊維、アクリル系繊維、アセテート繊維、レーヨンなどが、また日用品などの商品では、プラスチック、セルロイド、ポリウレタン、塩化ビニールなどがあったとみられ、特にポリアミド系繊維やポリエステル系繊維、プラスチックやビニール類が燃焼した際に発生するシアン化水素(青酸ガス)の毒性が最も強いとされ、多量に吸い込めば数分で死に至ることから、本件火災ではそれらの影響も考えられた。

ビルの内装材に使われる「新建材」も有毒ガスの発生源になったと考えられている。千日デパートビルは商業ビルであることから、燃焼階では装飾などに利用するために新建材を使用していた。新建材とは、合板や木材片をフェノール樹脂(ベークライト)や尿素樹脂(ユリア樹脂)などで固めたもの、あるいはセメントや石粉、ガラス繊維などをプラスチックで固めた建材のことで、建築の内装材として幅広く使われている。これらの材料は高分子材料なので燃焼には大量の酸素を必要とするが、酸素が不足して不完全燃焼を起こすと一酸化炭素、アルデヒド、メタン、炭酸ガス、アセトンなどの有毒ガスを大量に出す。燃焼温度は木材に比べて高くて燃えにくい。摂氏400度から500度に達しないと勢いよく燃えずに燻り続けることから、400度以下の低温では多量の煙と有毒ガスが発生する特徴がある。その量は木材よりも10倍多いといわれている。本件火災当時の新建材は不燃処理や防炎処理が進んでおらず、法律による規制も不十分だったことから、人的被害拡大の一因となった。本件の教訓を活かして火災に強い不燃材の研究開発、防火建材や防火内装材の対する研究開発が進むきっかけとなった。現行の法令では、建物の用途と条件によって防炎性能を必要とする品目を定めている[485][491][492][493]

停電の影響

前項目「多量の煙と有毒ガスの影響」で記したとおり、7階プレイタウンは下層階で発生した火災の影響によって店内に多量の煙が流入し、同階滞在者の視界を遮って避難行動に支障を来したことも被害拡大の一因であるが、停電によって店内の照明が一斉に消え、プレイタウン滞在者を完全な暗闇の中に置くことになったことも避難行動に致命的な支障を与えたと考えられている。

プレイタウン店内の照明が停電によって消えたのは22時49分である[494][495]。3階で火災を発見した工事作業者が3階西側設置の火災報知機を22時34分に押したことで地下1階電気室と1階保安室が火災発生を検知した。入浴中だった当直のデパート電気係は、すぐさま電気室内設置の受変電設備(受電電圧2万2,000V、設備容量合計3相4,500KVA)の配電盤開閉器を操作して3階と4階の電源をすべて遮断したが、このときは限定的な電源の遮断であり、7階の照明や右同階動力系の電源供給に支障はなかった。このあと、火災が延焼拡大したことからデパート電気係が受電用開閉器を操作してデパートビル全館の電源を遮断したのは23時10分であった[496]

22時49分のプレイタウン店内の一斉停電は、人為的に行われたものではなく、火災の延焼による電気系ケーブルの焼損で発生した短絡(ショート)の影響であった。大阪市消防局が火災後にデパートビルの電気系統を調査したところ、7階プレイタウンに関係する一般電灯回路は2系統あるところ、地下1階電気室の低圧配電盤内で両系統のヒューズが溶断していた。そのほかA1エレベーターと7階F階段電動シャッターの開閉に用いる動力系の1系統が同配電盤内でヒューズが溶断していた。さらには7階に通じる非常灯用の回路系も同じく溶断していた[497]。7階プレイタウンにも電気室があり、その中に電灯用と動力用の配電盤が設置されていたが、それらのヒューズも溶断していた[498]。右配電盤で人為的な電源遮断は確認されず、電灯用と動力系の各電源は通電状態になっていた。なお本件ビルには、非常用照明は備え付けられていなかった[497]。7階プレイタウンの電灯回路2系統は、4階より上の各階と共通であり、それらの各階に対して電源を供給していたことから、4階の火災拡大に伴い、金属パイプの中に通された電源ケーブルが焼損して短絡(ショート)が発生したことで異常電流が流れ、ヒューズが溶断したことで7階で停電が発生した。そのヒューズが溶断した瞬間がまさに「22時49分」だった[494][495][499]

同様に動力系回路についてもプレイタウンに供給されていた系統は「一般動力No.1系統」と呼ばれ、同ビルの主要な動力源であるエレベーターやエスカレーター、電動シャッターなどの大半に電力を供給していたものであり、それはビル全体を網羅していた。7階F階段電動シャッターも同系統からの電源供給に頼っていたところ、22時48分に屋上へ避難しようとした支配人らがボーイに指示して同シャッターを電動で開けさせたが、結果として猛煙の流入をフロア内に招いてしまった。その後に同シャッターを閉鎖できなくなったことで被害が拡大したものであるが、その根本原因も火災によって「一般動力No.1系統」の電気ケーブルが焼損したことによって短絡が発生し停電した影響によるものである[500][501]。なおA南エレベーターとプレイタウン独自の空調パッケージの電源は「一般動力No.2系統」という別系統からの供給であり、この系統は主に地下1階と1階外周店舗、7階に共通する系統で、このエリアは火災による直接的な延焼被害を受けなかったので、電気ケーブルの焼損はなく、配電盤のヒューズは溶断しなかったことから火災後も通電可能な状態となっていた(ただし水損の影響は考慮しない)[502]

7階に通じていた非常灯回路2系統のヒューズも地下電気室の配電盤内で溶断していた。この電気系統は、平時は専用の変圧器で受電し全館へ給電されているが、非常時などに常用電源が切れると自動的に蓄電池(容量360Ah、電圧104V)からの電源供給に切り替わる仕組みになっていた[496]。プレイタウンには「誘導灯」が7個設置されていたが(そのうちの一つは救助袋用の誘導灯)、6個のうちの一つは蓄電池内蔵のもので、電源供給が切れても一定時間は点灯し続ける機能を持っていた。火災鎮火後に同フロアへ警察や消防当局が現場検証に入ったときには、蓄電池内蔵の誘導灯1つはまだ点灯していた。それは14日昼過ぎまでは点灯していたという[476][503]。残りの5個については、非常灯回路に単独で接続する仕様で、蓄電池は内蔵されていなかった。もしも電気室設置の蓄電池から電源供給が為されていれば、それら5個の誘導灯も現場検証時に点灯しているはずであるが、実際には消えていた。そのことから7階プレイタウンの非常灯回路は、火災の影響によって電灯と動力系のヒューズが配電盤内で溶断したのと同じ時期にケーブルが損傷して短絡した結果、電源の供給が止まったと考えられ、電源供給が途絶えて誘導灯が消えたことでプレイタウン滞在者の避難に悪影響を及ぼした可能性もある。ただし、誘導灯は全てが天井や梁などの高い位置に設置されていたことから、仮に火災時に点灯していても猛煙の影響で避難者には視認できなかったと考えられており、誘導灯を低い位置に設置する必要性が検討されるきっかけになった[504][505]

その他の要因

そのほかの要因としては、プレイタウンは酒場ということで、客やホステスの中にはアルコールの影響により正常な判断ができなかったり、避難行動が緩慢になったりしたケースもあったと考えられた[506][507]。実際、男性客1人が客席で頬杖をつき、座ったまま死亡していた[342]

プレイタウンのホールや従業員スペースに面していた外窓が、室高に対して上方に位置しておらず、それによって天井に溜まった煙が窓付近へ下降してきたと同時に下方からの給気も得られなかったことから、避難者に致命的なダメージを与えたと考えられた。もしも同外窓が上方に開口部を持ち、大きさが適度であれば、避難や救助活動が有効に行われ、人的被害が軽減された可能性がある[508]

消防隊の救出活動においては、火災現場が大阪でも有数の繁華街であり、しかも土曜夜であったことから群衆の集まり(推計3,000人)や周辺道路の交通渋滞に巻き込まれたこと、さらには千日前通の違法駐車車両の影響により、はしご車の部署が困難な状況だったことから、人命救出活動に遅れを生じさせた[509]。東消防本署・はしご車分隊は、アーケード直上の東側窓にはしごを伸長したが、伸長途中のはしごに女性2人が断続的に落下してきたために、その度に遺体の収容作業をおこなう必要が生じ、救出活動開始が6分間遅れた[510]。消防隊は人命救出活動をおこなうために7階窓やB階段から内部進入を試みて救助者を探索しようとしたが、延焼階窓から噴出する濃煙と熱気により活動が阻止されたことも影響した[511]。またデパートビル東側の商店街アーケードおよびビル北東正面入口前に設置されていた「虹のまち」へ通じる地下街出入口の存在が、はしご車の部署と円滑な救出活動の妨げになったことも要因の一つとして挙げられる[512][513][514]








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