千日デパート火災 民事訴訟

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 14:35 UTC 版)

民事訴訟

千日デパートビル火災では、火災犠牲者遺族や罹災テナントが火災関係各社に対して幾つもの損害賠償請求訴訟を提起した。また、仮処分も多く申請された。本件火災後に提起された民事訴訟や仮処分申請などには、おもに以下のものがあった。

  • 1972年(昭和47年)7月11日、テナント17業者がデパートビル補修のために組まれた足場が「営業妨害に当たる」として、足場を設置した日本ドリーム観光と建設会社を相手取り、営業妨害禁止を求める仮処分を大阪地裁に申請[682]
  • 1972年8月4日、テナント団体「松和会(しょうわかい)」の一部会員が賃借部分の倉庫を日本ドリーム観光が取り壊す恐れが生じたために執行官保管および現状維持の仮処分を申請[683]
  • 1972年10月11日、被害者遺族が「妻の遺体を身元不明者として無断で解剖したのは許せない」として日本ドリーム観光と大阪府を相手取り、慰謝料など損害賠償請求訴訟を提起[684]
  • 1972年11月15日、「千日デパート罹災業者復興対策委員会」メンバーの一部テナント団体が日本ドリーム観光に対して賃借権確認訴訟を提起[685]
  • 1972年12月11日、ニチイが日本ドリーム観光を相手取って賃借権妨害予防に関する仮処分を申請[685]
  • 1973年(昭和48年)1月22日、日本ドリーム観光がニチイに対して損害賠償請求訴訟を提起、反訴でニチイが日本ドリーム観光に対して損害賠償請求訴訟を提起[685]
  • 1973年1月19日、火災被害者2遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(個別訴訟)[686][687]
  • 1973年2月3日、火災被害者2遺族7人が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(個別訴訟)[688][689]
  • 1973年2月19日、「千日デパートビル火災遺族の会」の火災被害者52遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(一次訴訟)[54][690][691]
  • 1973年3月13日、「千日デパートビル火災遺族の会」が千日デパートビルの取り壊しを中止し、ビルの検証を求める証拠保全を申し立て[692]
  • 1973年3月26日、「千日デパートビル火災遺族の会」の火災被害者21遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(二次訴訟)[693]
  • 1973年6月1日、「松和会」が日本ドリーム観光に対して生活費支払い要求の仮処分を申請[694]
  • 1973年10月11日、「松和会」が日本ドリーム観光に対して損害賠償請求訴訟を提起[695]
  • 1974年(昭和49年)9月19日、「松和会」の一部会員が金員の仮払い請求の仮処分を申請[696]
  • 1975年(昭和50年)5月、テナントオーナー2名と業者34名がニチイに対して損害賠償請求と営業再開までの金銭的補償を求めて訴訟を提起[697]
  • 1976年(昭和51年)9月19日、「松和会」の一部会員が金員の仮払い請求の仮処分を申請[696]
  • 1977年(昭和52年)1月18日、「松和会」が大阪地裁に千日デパートビル取り壊し禁止を求める仮処分を申請、これに対し日本ドリーム観光は執行停止を申し立て。さらに「松和会」が現状維持仮処分の執行停止の更正を要求[698]
  • 1980年(昭和55年)9月18日、「松和会」がニチイに対して損害賠償請求訴訟を提起[699]

遺族会統一訴訟は、1975年(昭和50年)12月26日に訴訟提起から約3年という短期間で和解に至り、火災関係各社が91遺族に対して補償総額18億5000万円を支払うことで解決した[700][701][702]。これはテナント訴訟のうちの一つである「松和会訴訟」の中間判決において、千日デパートの所有者であり経営者でもある被告の日本ドリーム観光には「テナントに対する保安管理契約の存在および右契約に基づく債務不履行の責任があった」と認められたことにより、火災被害に対する右同社の責任が明確化したことで、被告である火災関係4社の態度が軟化し、遺族会との間で交渉が大きく前進した結果であった[703]

火災関係各社間の訴訟は、おもに日本ドリーム観光とニチイの間で争われ、お互いが火災発生について保安管理や債務不履行の責任を認めようとせず、相互に相手を訴えるという「訴訟合戦」の様相を呈した[54]。最終的には1988年(昭和63年)4月23日に両社間で和解が成立し、ニチイが日本ドリーム観光に対して「解決金」として16億5000万円を小切手で支払うことで決着した[62]

テナント訴訟は、デパートビル内で営業していたテナントが170店舗ほどあったことから、日本ドリーム観光とニチイを提訴するテナントやテナント団体が多く、被告各社が出火責任および債務不履行による責任を認める態度を示さなかったために各訴訟や交渉は難航し、解決までに最長で17年を要した[704]。テナント訴訟において代表的な「松和会訴訟」では、1975年(昭和50年)3月31日の「中間判決」を経て、1980年(昭和55年)1月14日に原告被告間で即決和解が成立した。日本ドリーム観光は「松和会」各会員に対して仮払金2億5000万円を支払うこと、新ビル入店時の賃借権を旧ビル同様に保証すること、また「松和会」会員は、日本ドリーム観光がおこなう千日デパートビルの取り壊しを認め、新ビル建設に協力することで双方が合意に達した。1981年(昭和56年)1月26日に終局判決で日本ドリーム観光は「松和会」各会員に対して総額8億6万4,050円を賠償することが決まった[705]。その後、1989年(平成元年)7月13日に最終覚書を交わして「松和会」が提起した損害賠償請求訴訟は決着した。「松和会」は、ニチイとの間でも損害賠償請求訴訟を提起した。最終的には1985年(昭和60年)11月29日に和解が成立し、ニチイが「松和会」会員に対して見舞金として1億5000万円を支払うことで決着した[706]








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