千日デパート火災 千日デパートビルについて

千日デパート火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)

千日デパートビルについて

大阪歌舞伎座ビル(後の千日デパートビル)

千日デパートビルは、1932年(昭和7年)9月に竣工した大阪歌舞伎座ビルを1958年(昭和33年)に改築した複合商業ビルである。ビルの構造は鉄骨鉄筋コンクリート屋根構造、地下1階を含む地上7階建てで、屋上に塔屋3階建てを備えていた[99]。建物の所有者は日本ドリーム観光である。建築面積は3,770.21平方メートル、延床面積は2万7,514.64平方メートルである[8][99][注釈 12]。ビルの高さは、地上(GL)から屋上フロア側壁上端までが30.1メートル[100]、屋上塔屋3階までを含めると40.3メートルである[100]。5階から屋上までのビル中央部から西側にかけてのフロアは、その大部分が劇場のエリアで[101]、そのエリアの6階と7階部分は、舞台と客席につき吹き抜け構造になっていた[100]。また劇場エリアの5階部分は客席の床下ピット[100]、屋上部分は舞台と客席の屋根であった[100][102]。ビルの2階から6階までの北西フロアは、D階段とE階段の間に囲まれたL字型のエリアが中二階構造になっており、独立した別フロアを形成していた[103]。本ビルは、火災発生当時(1972年5月)における消防法施行令防火対象物区分では特定防火対象物4項に分類されていた[注釈 13][注釈 14][104]

火災焼失後は約8年の期間、営業再開もされずに外壁には金網が張りめぐらされ野晒し状態のまま放置されていたが[105]、1980年(昭和55年)1月14日に千日デパートビルの取り壊しが決まり、翌2月から解体工事が始まった[70]。翌年4月には解体工事が完了し、千日デパートビルは消滅した。1982年(昭和57年)6月20日、跡地に日本ドリーム観光が新たにエスカールビル(地下2階、地上9階建)を建設する運びとなり、その起工式が執り行われた[106]。そして1984年(昭和59年)1月13日に新しいビルはオープンし、その翌日にプランタンなんばの営業が始まった[107]


千日デパートビルのフロア構成

火災発生当時のフロア構成は以下のとおりである。太字は本件火災に関係するテナントまたは設備を表す。床面積の単位は平方メートルである。

火災発生当時・1972年(昭和47年)5月13日の千日デパートフロア構成[83][108][109][注釈 12]
フロア 床面積 テナント・設備など
塔屋3階 134.00 企業事務所 電気室 クーリングタワーなど
塔屋2階 156.00 企業事務所 エレベーター機械室など
塔屋1階 200.00 売店 園芸店 ペットショップなど計5店舗
屋上 1,290.00 屋上遊園地など
7階 1,780.00 プレイタウン 空き事務所(元メキシコ領事館) 文書保管庫 空調機械室など
6階 3,350.00 遊技場(ゲームセンター) 千土地観光事務所 千日劇場跡(ボウリング場へ改装中) 従業員食堂など
5階 2,049.00 直営均一スーパー(9店舗) 全国の物産と観光センター 美容室 ニチイ商品管理室 ニチイ店員食堂など
4階 3,520.00 ニチイ千日前店 ニチイ事務所 ニチイ商品倉庫 電話交換室 空調機械室など
3階 3,665.00 ニチイ千日前店 店舗(4店舗) 歯科医院 ニチイ従業員更衣室 ニチイ寝具呉服倉庫 空調機械室など
2階 3,714.00 店舗(44店舗) 千日デパート事務所 店舗事務所 テナント店員更衣室など
1階 3,796.64 店舗(63店舗) 外周店舗(19店舗) 出入口(7か所) 保安室 商品荷捌き場など
地下1階 3,860.00 ニチイ地下食品街 食料品店・飲食店(25店舗) 直営催事場(人形館) プレイタウン専用エレベーターホール 出入口(1か所) 電気室 機械室 重油タンクなど
合計 27,514.64 入居テナント数=176店舗(千日デパート直営店舗と企業事務所を含む)

特筆すべき点は以下のとおりである。

  • 7階プレイタウンを含む各テナントは、千日デパートからフロアを賃借して賃料と保証金を納めて営業していた「賃貸業者」であるが、地下1階の催事場(人形館)と5階均一スーパーは千日デパートの直営である[99]
  • 千日デパートの管理権原者は、同デパートの店長である[110]。店長は日本ドリーム観光本社の常務取締役の地位にあり、本社総務部長、本社営業企画課長も兼務していた[110]。普段は本社で勤務しており、千日デパート2階に置かれたデパート管理部には週1回程度、短時間顔を出す程度だった[110]。実質的に千日デパートビルの維持管理を統括し、防火管理や設備維持などの業務を担当していたのはデパート管理部次長である[111]。また同デパートビルの防火管理者に選任されていたのはデパート管理部管理課長である[112]。同管理課長は、1967年(昭和42年)3月1日から1968年(昭和43年)10月ごろまでと、1969年(昭和44年)4月30日から本件火災当日まで防火管理者の地位に就き、店長および管理部次長の指揮監督を受け、同ビルの防火管理にあたっていた[110]
  • 千日デパートでは、大阪市消防局・南消防署提出の消防計画書に記載されている防火管理責任組織表に従い、防火管理者を7階を除く各階売場の27管理区域に置き、各設備を9つに区分して防火管理を行うことになっていた[113]。また千日デパートの防火管理規定では、デパートビルに出入りする業者にも当該規定を適用することになっていた[114]
  • 7階プレイタウンは、千日デパートのオーナー会社である日本ドリーム観光が全額出資(資本金100万円)して1963年(昭和38年)6月に設立した千土地観光が経営するアルバイトサロンである[注釈 6][1]。千土地観光は、日本ドリーム観光の風俗営業部門の経営を担っていた[1]。プレイタウンは、千土地観光が経営する風俗店10店舗のうちのひとつであり、親会社(日本ドリーム観光)が経営する千日デパート7階フロアの一部を賃借して営業していた[1]。またそれらの10店舗は、すべて親会社の日本ドリーム観光の資産であり、子会社の千土地観光が各店舗を親会社から賃借して営業していた[1]。つまり7階プレイタウンは、千日デパートにとって「身内のテナント」であるわけだが、なぜかプレイタウンは千日デパートの自衛消防組織および防火管理責任組織からは切り離されており、それらの組織表には組み込まれていなかった[注釈 15][114][115]。千日デパートの防火管理上において7階プレイタウンは、テナントのひとつであるにもかかわらず放置されたも同然の状態に置かれていた。
  • 火災当日1972年(昭和47年)5月13日の時点で、千日デパートは以下の工事を行っていた。
    • ニチイ千日前店の3階と4階の売場では、同月22日から1週間かけて売場改装に伴う大がかりな電気配線増設工事が計画されており、火災発生1週間前の5月6日から準備工事が始まっていた。火災当日も準備工事は行われる予定になっており、数回に分けて工事が進められていた[116][117]。デパート閉店後の夜間も工事を予定しており、21時から翌朝4時まで作業する手筈になっていた[118]。この電気工事は、ニチイ千日前店が千日デパートから賃借している3階と4階の売場改装工事を計画したことから、1972年(昭和47年)3月に日本ドリーム観光から工事の承認を受けた。しかしニチイ千日前店は、実際の工事に際して日時や内容、人員などに関する届をデパート側に提出していなかった。一方で工事を請け負った元請会社の工事監督は、5月6日から同月26日までは夜間工事になることから配慮を願う旨の「入店願い」を書面で提出していた。またこの一連の電気工事に先がけて千日デパート管理部次長からニチイ千日前店店長に対し、防火の要望書が渡されていた[119]。さらに火災前日の12日には、千日デパート側がニチイと工事業者を集めて工事の要望に関して再度話し合っている[119]。特に喫煙については、所定の場所に水を入れた容器を置き、そこで喫煙すること、また吸殻はその容器に捨てるように申し渡していた。[1][116]。また消防設備(消火器)の確保も指示していた。この措置は、自治省消防局長通達「百貨店等における工事現場の防火指導について(1970年消予第985号)」に基づき、南消防署長が千日デパートに対して指導していたことで実施されたものである[120]
    • 6階では千日劇場跡をボウリング場に改装する工事中だった。この工事は1972年4月28日から開始されていたもので、7階で営業する「プレイタウン」の6階拡張営業エリアを4月17日に廃止したうえで実施されていた。日本ドリーム観光・千日デパート管理部は、ボウリング場改装工事を実施するにあたり、同年3月23日に南消防署に相談を行ったうえで4月15日に工事届を提出した。ところが書類の記載に不備があり、同消防署から再提出を指示され、その準備をしていたところに本件火災が発生した。なおニチイ千日前店の工事も同様に南消防署から工事届を提出するように指示されていて、その準備中であった。火災当日は鉄骨の切断や廃材の積み下ろし作業を中心に22時30分までの予定で工事が進められていた。作業現場には鉄骨の溶断に使用するためのアセチレンガスボンベ1本と酸素ボンベ2本(いずれも重量40キログラム)が置かれていた[8][121][122]

千日デパートビルの設備

千日デパートビルの出入口、階段、エレベーター、エスカレーター、空調設備の設置状況は以下のとおりである(おもに火災に関する設備を記述)。

出入口

  • 千日デパートビルの出入口は、1階に合計7か所設けられていた[123]
  • 南東出入口をA、その西隣の出入口をB、南西出入口をC、西側出入口をD、北西出入口をE、北東出入口をFと名付けていた[8]。北東正面入口(Sマークの直下)にはアルファベット名称はない[8]。それぞれの出入口のアルファベット名称は、各階段の呼称に対応している[8]。「B出入口」はプレイタウン専用、「D出入口」はデパート従業員通用口である[8]。地下1階には、E階段東側に隣接した位置に「ミナミ地下街・虹のまち」(現・なんばウォーク)に直結した出入口が1か所設けられていた[124]

階段

  • 千日デパートビルのおもな階段は、全部で6か所設けられていた[8]
  • それぞれの階段はA、B、C、D、E、Fと名付けられており、階段A、Fは1階から屋上まで、階段B、D、Eは地下1階から屋上まで、C階段は1階から4階まで通じていたところ、7階プレイタウンに直接通じている階段はA、B、E、Fの4階段である[8]。各階段のアルファベット名称は、各出入口の呼称に対応している[8]
  • 「B階段」は、プレイタウン専用階段となっており、1階プレイタウン専用出入口(B出入口)と地下1階プレイタウン専用エレベーターホールの間を利用する客と従業員が利用していた。プレイタウンのホステスは、退勤時に限り「B階段」を利用して帰宅するよう推奨されていた。「B階段」の7階出入口は、エレベーターホールに面したクロークの奥に設けられていた[125]。「B階段」は、防火扉(鉄扉)が二重に設けられたバルコニー(附室)付きの特別避難階段である。
  • 「B階段」は、各フロアに出入りするための防火扉が1階を除いて各階に設けられていたが[8]、事実上プレイタウン専用階段になっていたことから7階を除く各階の出入口(2枚ある防火扉)は、常時施錠されていた[126][127]。また階段A、E、Fの7階プレイタウンの各出入口も常時施錠されていた。この措置は、千日デパート側がプレイタウンの客がデパートの売り場を通り抜けて店(プレイタウン)に出入りすることを普段から認めていなかったことによって取り決めがなされていた[114]。また同措置は、基本的に法令および行政の指導によってなされていたものである[128][129]
  • 7階プレイタウンに出入りするには、まず1階プレイタウン専用出入口(B出入口)からB階段を使って地下1階へ降り、プレイタウン専用エレベーターホールから、2基の専用エレベーターを使って7階まで昇る必要があった[130]。そのために1階のB階段には、1階デパートの売場に繋がる防火扉は設けていなかった[注釈 16]

エレベーター

  • 千日デパートビルのエレベーターは、全部で8基が設置されていた[131]
  • ビル南東側、塔屋直下の「A階段」周辺に4基が設置されていた[125]。「A階段」の西隣に単独で1基(A南)、A階段の北側正面に3基(東寄りからA1、A2、A3)が横一列に設置されていた。「A南(定員9人)」と「A1(定員13人)」の2基は、地下1階から7階を直通で結ぶ「プレイタウン」専用エレベーターである[131]。「A南」と「A1」は「プレイタウン」直通専用につき、地下1階「プレイタウン」エレベーターホールと7階「プレイタウン」エレベーターホールの2ヵ所以外に各フロアの出入口を設けていない[131]
  • そのほかの塔屋直下の2基「A2(客用・定員10人)」と「A3(客用・定員10人)」は、地下1階から屋上まで通じるデパート専用エレベーターである。それらは、7階だけに出入口を設けていない[131]
  • ビル南西側のC階段周辺に3基のエレベーターB1(客用・定員10人)、B2(客用・定員10人)、B3(商品搬入用)が横一列に設置され(以降、3基まとめてBエレベーターと呼ぶ)、地下1階から4階まで通じていた[131]。それらの3基はデパート専用エレベーターであるが、そのいずれも4階止まりで7階には通じていない[132]
  • ビル北西側のD階段周辺に地下1階から屋上を結ぶデパート従業員専用エレベーター(定員11人)が1基設置されていた(以降Cエレベーターと呼ぶ)[131]。このエレベーターは7階にも出入口があるものの、プレイタウン関係者が利用できる場所に設置されていなかった。

エスカレーター

  • エスカレーターは、ビルのほぼ中央付近に1階から6階までの間に合計8基が設置されていた[131]。地下1階と7階には設置されていなかった[100][133]。1階から4階までの間には、上下方向にエスカレーターが設置されていたが、4階から6階までは上り一方向のみで下り方向の設置はなかった[134]。1階南側の上りエスカレーターを1号、1階北側の下りエスカレーターを2号というように、上り方向を奇数、下り方向を偶数で呼んでいた。5階から6階を結ぶ上りエスカレーター1基については、上り方向のみの単独設置のため「8号」と呼ばれていた[134]

空調設備

  • 千日デパートビルの空調設備は、地下1階と7階に中央方式(単一ダクト調和方式)による空気調和機(以降「空調機」と記す)が各1台ずつ設置され、合計2台で全館(塔屋および一部階の特定エリアを除く)の給気と排気が行われていた[135]
  • 地下1階の「空調機A」は、地下1階から3階までの給排気を(3階は排気のみ)、また7階の「空調機B」は、3階から7階までの給排気を行っていた。なお4階の給気系統および5階の排気系統は設置されていなかった[135]。2台の空調機の稼働は、デパート閉店10分前の20時50分までだった。したがって同ビル7階で23時まで営業していた「プレイタウン」には、20時50分以降の中央方式による給排気は行われていなかった[136]
  • 7階設置の「空調機B」については、おもなダクト系統は4つあり、デパートビル南西側を空調する系統、以下同様に北西側、南東側、北東側とに別れていた[137]。地下1階の「空調機A」のダクト系統については、7階の空調とは関係ないので詳細は省略する。
  • 7階「プレイタウン」の空調に関係しているダクト系統は、「空調機B・給排気系の北東系統」で、特に同系統の排気系ダクト(リターンダクト)がデパートビルの北側3階、同4階、同6階、同7階に1か所ずつ計4か所設置された排気吸入口を垂直につないでいた。7階の排気吸入口は、「プレイタウン」事務所前に設置され、店内の空気を吸入して4階を経由し7階別フロア(E階段西側の空調機械室)に設置された「空調機B」へ戻していた[135]
  • 7階に通じている北東系統の給気ダクトは、7階の空調機Bから配管される際に一旦4階を経由し、5階から7階の各フロアへ空気を送るようになっていた。同様に同系統の排気ダクトも4階を経由してから7階の空調機Bへ戻っていた[135]
  • 北東系排気ダクトの内部には、3か所に防火ダンパーが備えられており、4階排気吸入口の上部および5階と6階のスラブ付近に設置されていた。それらの防火ダンパーは、火災の際には摂氏74度で2か所のヒューズが溶断することでダンパーが作動し、ダクト内部を遮蔽する仕組みになっていた[135]
  • 3階および4階の「ニチイ千日前店」では、独自の空調パッケージによる給気が行われており、3階の北側と南側に各1台ずつ、4階の南側に1台が設置されていた。4階に関してはデパートビルからの給気はなく(排気系統はあり)、ニチイ専用の空調パッケージのみで給気が行われていた。また7階「プレイタウン」にも独自の空調パッケージが1台設置され、ホール内の給気を行っていた。「ニチイ千日前店」と「プレイタウン」の空調は、デパートビル専用のものと、テナント独自設置のものとが混在していた[135]

以上のように千日デパートビルの空調設備の設置状況は、建物の規模が大きく古いこと、また改築や用途変更などの影響によって、非常に複雑なものになっていた[138]

消防用設備の設置状況

千日デパートビルの消防用設備(消火器、消火栓、火災報知機、火報押しボタン、熱式感知器、スプリンクラー、避難器具、放送スピーカー)の設置状況は、以下のとおりである(表中の「-」は設置なしを表す。また「消火栓」括弧内の数値は消防隊専用栓の数を表す。塔屋2階および3階は省略)。

千日デパートの消防用設備設置状況(塔屋2階と塔屋3階を除く)[139][140]
フロア 消火器 消火栓 火災報知機 火報押しボタン 熱式感知器 スプリンクラー 避難器具 放送スピーカー
屋上(塔屋1階) 9 1(1) 5 救助袋1
7階 13 3(2) 3 8 救助袋1 (15)
6階 5 5(3) 3 17 あり 救助袋2 2
5階 13 3(2) 3 3 救助袋1 2
4階 18 6(3) 4 救助袋2 4
3階 24 7(4) 4 救助袋、縄はしご各1 4
2階 23 6(3) 4 縄はしご1 5
1階 23 6(3) 1 4 1 あり 6
地下1階 38 7(4) 1 4 18 あり 3
  • スプリンクラー(散水器)の設置については、基本的にビル全体には設置されていなかったが、一部に例外があり、地下1階と1階のF階段周辺、6階旧千日劇場跡の舞台、楽屋、映写室には設置されていた。これは1958年(昭和33年)のデパートビル改築の際に、当時の大阪府消防法施行条例の基準に従って設置されたものである。また地下1階と1階のF階段出入口周辺に設置されていることについては、右階の階段室に防火区画がないことに対する予防的措置による[141][注釈 17][注釈 18]
  • 避難器具のうちの「救助袋」に関しては、「旧歌舞伎座ビル」時代の1952年(昭和27年)に4階から屋上までの各階に1か所ずつ、移動斜降式救助袋が計5基設置された[65]。その後、1962年(昭和37年)3月15日に3階、4階、6階に各1基ずつ計3基が増設され、ビル全体では合計8基の設置となった。1963年8月17日に4階から屋上の間に設置されていた従来の移動斜降式救助袋は、固定金具を取り付けて「固定式」へと改修された[65]
  • 避難口誘導灯、通路誘導灯、誘導標識については、全館各階フロアの必要な個所に設置されていた[140]
  • 火災報知器(警報ベル)は、地下1階電気室の主受信機に1台、1階デパート保安室の副受信機に1台が設置されていた。全館に鳴動する火災報知器の設置はなかった[140]。1階保安室と地下1階電気室に設置された火災報知機を鳴動させるための「火報押しボタン」は、屋上および塔屋を除き、各階に3個から4個設置されていた[140]
  • 非常放送用の防災アンプは、1階保安室に設置されていた。しかしながら7階プレイタウンだけはビル全体の非常放送システムの対象から外されており、もし全館一斉の非常放送があったとしてもプレイタウンでは聞くことができない状態だった。また、そのシステムの一部は工事中だった[140]
  • 表中のプレイタウン「放送スピーカー(15)」というのは、プレイタウン店内限定の放送設備である[142]
  • 消防隊送水口と採水口が1階にそれぞれ3ずつ備わっていた[114]

防火建築設備の設置状況

千日デパートビルの防火建築設備(防火区画、防火区画シャッター、売場防火扉、避難階段、階段室防火区画)の設置状況は以下のとおりである。

千日デパートの防火区画および売場防火扉(塔屋2階と塔屋3階を除く)[131][140]
フロア 防火区画 防火区画シャッター 売場防火扉 避難階段 階段室防火区画
屋上(塔屋1階) 4 3
7階 1区画 5 5
6階 2区画 5 5
5階 2区画 5 5
4階 3区画 8 3 6 6
3階 4区画 15 2 6 6
2階 3区画 19 6 6
1階 3区画 19 9 8
地下1階 2区画 7 7 6
  • 千日デパートビルには排煙設備、非常用照明装置、非常用進入口、非常用エレベーター、防火戸の熱感知自動閉鎖装置、中央集中管理室の設置は無かった[143]

防火シャッターおよび防火扉

  • 1階の各出入口と各外周部には電動式防火シャッターが、また各階段の各フロアに通じる出入口には、一部を除いて電動式または半電動式防火シャッターまたは手動式防火扉(鉄扉)が備えつけられていた(1階F階段出入口を除く)[126][144]
  • 「A階段」は、地下1階から6階までの各階フロア出入口に電動式防火シャッター(4階は半電動式=開放は電動、閉鎖は手動自重降下)およびくぐり戸が設置され、7階にのみ手動式防火扉2枚(片開き鉄扉。プレイタウン側、空き事務所側に各1枚ずつ)が設置されていた。屋上出入口は手動式ガラス戸である[145]
  • 「B階段」は、1階のプレイタウン出入口(B出入口)には簡易手動式シャッターが備わり、1階B階段昇り口は「木製扉」である。その他の各階フロア出入口は、すべて手動式防火扉2枚(階段室、附室共に片開き鉄扉)が設置されていた。屋上のB階段出入口は片開き鉄扉であるが「常時使用不可」になっていた[145]
  • 「C階段」は、すべてのフロア出入口がくぐり戸付きの半電動式防火シャッターである[145]
  • 「D階段」は、すべてのフロア出入口が防火扉(手動式両開き鉄扉)である[145]
  • 「E階段」は、基本的に各階フロア出入口に半電動式防火シャッターと防火扉(手動式両開き鉄扉)の両方が設置されていたが、5階から屋上までの各階フロア出入口に防火シャッターは設置されておらず、防火扉(屋上は片開き鉄扉)のみの設置だった[146]
  • 「F階段」は、地下1階および1階には防火シャッターも防火扉もなく完全開放状態である。2階はフロア出入口にくぐり戸付きの半電動式防火シャッターが設置されていたが、吹き抜け閉鎖用の手動式横引シャッターも設置されていた。3階以上の各階フロア出入口に半電動式防火シャッターと防火扉(手動式両開き鉄扉。6階のみ片開き)が設置されていた(屋上出入口は片開き鉄扉のみ)[126][145]
  • 千日デパートビル内の各防火シャッターと各防火扉の閉鎖および施錠管理については、基本的に千日デパート管理部(保安係)が担当していたが、一部に例外があり、3階と4階についてはニチイ千日前店が階段A、C、E、Fの出入口の防火シャッターおよび防火扉の閉鎖を退社時に担当していた(ただし3階Aと3階Fはデパート管理部が閉鎖)[144][147]。また6階については千土地観光がE階段出入口を退社時に閉鎖し、7階のE階段出入口の閉鎖(21時デパート閉店時)をプレイタウンが担当することになっており[注釈 19][146]、主要な管理権原者は、自社が営業しているフロアの階段出入口の防火シャッターと防火扉の閉鎖管理をデパート側から任されていた[147]
  • エスカレーター開口部については、3階から4階を結ぶ2基(4階部分)、4階と5階を結ぶ1基(5階部分)、5階と6階を結ぶ1基(6階部分)には、手動スライド式の防火カバーシャッターが設置されていた[126][146]。また1階から3階までのエスカレーター開口部には防火カバーシャッターの設置がなかった[146]
  • エスカレーター開口部の防火カバーシャッターの閉鎖管理は、カバーシャッターが備えつけられている4階から6階のエスカレーターについて、4階部分の閉鎖をニチイ千日前店が、5階から6階までの閉鎖を千日デパート管理部(保安係)が閉店時に行う取り決めになっていた[126][146]
  • 表中の7階「避難階段5」とは、階段A、B、D、E、Fのことであり、プレイタウン関係者が直接使うことができる階段はA、B、E、Fの4階段で、D階段は使うことができない位置に設置されていた[148]

防火区画シャッターおよび防火扉(売場内)

  • 地下1階から4階までは、売場内を防火区画基準1,500平方メートルごとに閉鎖できる防火区画シャッター(手動式)と防火扉(3階と4階)が設置されていた[149]
  • 1階から3階までのエスカレーター周りには、エスカレーター開口部の四方を防火シャッター(手動式)により閉鎖できる防火区画が設定されていた[150]
  • 売場内の防火区画シャッターは、一部を除いて基本的に「手動巻き上げ式」ということもあり、普段から閉店後においても閉鎖されていなかった[151]
  • 3階北側の東西方向に設置されていた4枚の防火区画シャッターは、ヒューズ式自動降下シャッター(摂氏80度以上の熱で自動降下)であった[152]
  • 2階F階段の横引きシャッター(階段吹き抜け閉鎖用)は、1965年(昭和40年)に故障したまま修理をせずに放置されており、平素から戸袋に収納されたままでデパート閉店時に使用していなかった[131]

千日デパートビルの保安管理

千日デパートの保安管理は、デパート管理部に属する保安係が担当していた。保安係は、21時のデパート閉店後から1階出入口および外周部のドアと防火シャッターを閉め、約2時間かけて全館(7階プレイタウンを除く)の客の絞り出しと巡回(7階プレイタウンを除く)、防火シャッターや各扉の閉鎖確認(プレイタウン専用のB階段部分を除く)、火気の点検を行っていた[114][153]。夜間の巡回は、23時30分から翌午前1時30分までと、5時30分から7時30分まで、それぞれ2時間にわたってデパートビル全館を巡回(この時間帯は7階プレイタウンも巡回対象)していた[114]。また午前2時30分に地下1階から2階までを対象にした1時間の巡回も行っていた。すなわち保安係による夜間巡回は、一晩に合計4回行われていたことになる[114]

保安係の勤務体系は、基本的に24時間勤務で14人の人員で業務を担っていた。そのうちの2人は日勤勤務者で、残りの12人を2班6人に分け、各班が24時間交代(勤務時間は9時30分から翌朝9時30分まで)で隔日勤務に就いていた[114]。火災当日の5月13日は、勤務予定5人の保安係員のうち1人が欠勤しており4人体制で勤務を行っていた[注釈 20]。火災当日のデパートビル当直者は、保安係4人のほかに電気係と気罐係の2人も勤務に就いており、地下1階に待機していた[114][153]。なお、各テナントの宿直は、日本ドリーム観光との間で交わしている賃貸借契約の約定ならびに千日デパート管理部の規則により、基本的には認められていなかった。デパート閉店後の残業は、デパート管理部への届け出制になっていたが、ニチイ千日前店だけは例外で、23時までの残業は届け出なしに行うことが認められていた[153]。また7階プレイタウンも宿直に関しては例外扱いで、閉店後のプレイタウン店内に独自の宿直員を置くことが認められていた[114]


注釈

  1. ^ 火災当時はデパートの敷地が二つの住所に跨っていて、東寄り4分の3が三番町一番地、西寄り4分の1が四番町一番地であった。現在の住所は大阪府大阪市中央区千日前2丁目10番1号。
  2. ^ 防火管理者らの業務上過失致死傷罪を裁いた刑事訴訟第一審判決の判決理由のなかで、大阪地裁は「本件火災は、工事監督が3階東側を歩いている際に煙草を吸い、その煙草若しくはこれに点火する際に用いたマッチの火が原因となって発生した疑いが濃厚であるが、工事監督の行動を証拠上確定することは出来ず、火災の原因は不明と言わざるを得ない」と述べたことによる。また大阪高等裁判所で開かれた控訴審判決の判決理由においても火災原因は不明とされた。
  3. ^ 大阪地裁第3民事部に対して大阪市消防局が回答文書を示し、1973年(昭和48年)9月28日付けの大阪市消防局・南消防署署長作成「火災原因決定意見書」で「火災原因は不明である」との決定が下された。大阪地検は、重過失失火などの容疑で書類送検した電気工事監督を不起訴処分としたことで、火災原因については「不明」と決定した。
  4. ^ 大阪府警察本部の検証結果では「本件火災は、3階で電気工事に携わっていた工事監督がタバコを吸う際に点火したマッチの擦り軸を火が消えていないままの状態で商品の布団の上に投げ捨てたことによって発生した(煙草の不始末)」と断定し工事監督を書類送検したが、証拠不十分などの理由により、被疑者を起訴するには至らなかった。
  5. ^ 内訳は、プレイタウン関係者47人、消防隊員27人、警察官6人、通行人1人である。
  6. ^ a b c d e 素人の女性がアルバイト感覚で客を接待する大衆サロンのこと。キャバクラの元祖。昭和30年代から40年代に掛けて、主に関西で流行った。別名アルサロとも呼ばれる。
  7. ^ a b c 死亡者数ベースにおいて最大のビル火災である。2022年時点でも最大である。
  8. ^ a b 日本国内で近現代に発災した建物火災全体では、1943年の布袋座火災で死者208人を出した被害が最大である。
  9. ^ 事件名、公文書、学術書、出版物においては「千日デパートビル火災」と呼ぶのが一般的である。
  10. ^ a b c 7階プレイタウンへ大量の煙が流入してきた22時42分から43分ごろにA1エレベーターで地下1階から7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人は、7階エレベーターホールに充満した煙に驚き、同エレベーターで地下1階へ脱出した状況が確認されているが、この2人についてはプレイタウン滞在者に含めていない。
  11. ^ 企業としては1996年にマイカルに社名変更、2011年にイオンリテールに吸収されて解散。店舗ブランドとしては1990年にサティに転換し消滅。
  12. ^ a b 千日デパートビルの延べ床面積は、資料によって数値が異なる。例えば大阪地裁の認定では2万7,514.64平方メートル、大阪高裁認定では2万6,227平方メートル、また大阪市消防局の調べでは2万5,923.81平方メートルなどとしている。これは屋上の床面積(塔屋1階と同一フロアのうち、外部を指す)を含めているか、また1階および2階床面積の解釈上の違いによって生じているものである。当記事では屋上の床面積を含めた大阪地裁の数値を使用している。資料によっては大阪市消防局の数値を四捨五入して2万6,500平方メートルとしているものもある。
  13. ^ 本件火災発生当時(1972年5月)の消防法施行令・別表1に定める防火対象物区分では、いわゆる「雑居ビル」「複合用途」という概念は明確にされておらず、当時の「16項」が規定していた用途とは「前各項(1から15項まで)に掲げる防火対象物以外の防火対象物で、その一部が前各項に掲げる防火対象物の用途のいずれかに該当する用途に供されているもの」であり、これはすなわち「店舗と住居を兼ねた建物」を念頭に置いたものであった。したがって千日デパートビルは、特定防火対象物「4項(=百貨店、マーケットその他の物品販売業を営む店舗又は展示場)」に分類されていた。
  14. ^ 現行(2022年)の消防法令に照らした場合、千日デパートビルは「16項(イ)=複合用途防火対象物のうち、その一部が劇場・集会場等、酒場・風俗店等、飲食店、百貨店・スーパーマーケット、旅館・ホテル、病院・養介護施設・保育園等、サウナにおいて、これらの防火対象物の用途に使われているもの」に相当するが、本件火災発生当時(1972年5月)の16項は「(イ)と(ロ)」に区分されていなかった。区分されたのは1972年12月の消防法施行令の改正からである。(ロ)とは「(イ)で掲げた複合用途防火対象物以外の複合用途防火対象物」のことである。
  15. ^ 南消防署提出の消防計画書による。消防計画書は毎年1回更新されていたが、1971年(昭和46年)5月更新の時点では7階プレイタウンは、千日デパートの自衛消防組織および防火管理責任組織に組み込まれていなかった。
  16. ^ プレイタウン1階専用出入口(B出入口)に直結したB階段昇り口には、木製扉が設けられていて、プレイタウン閉店時には同店従業員が7階B階段出入口と同時に同扉を施錠していた。
  17. ^ 1958年(昭和33年)当時は、全国共通の消防法施行令は制定されておらず、地方自治体が独自に定めた施行条例の基準で設置されていた。消防法施行令の制定は1961年(昭和36年)からである。
  18. ^ 6階旧千日劇場跡は、ボウリング場改装工事中であり、火災時にスプリンクラーの機能が残っていたかどうかは不明である。ただし大阪市消防局の検証では、スプリンクラーヘッドから水が噴射された形跡はあったとされる。
  19. ^ 基本的には常時閉鎖状態だったが、一部のホステスは、普段からE階段出入口を任意に解錠してデパートの売場内に出入りしていたと証言している。火災当日の同扉の施錠は、21時閉店後の巡回時にデパート保安係員によってE階段側から為されていた。
  20. ^ 保安係員1班6人のうちの1人は、年休を取るために必ず休む決まりになっており、通常の夜間勤務は実質5人体制であった。
  21. ^ a b c d 大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べによれば、7階プレイタウンの救助袋は、旧歌舞伎座ビル時代の1952年(昭和27年)に4階から屋上までの各階に設置された計5つの救助袋のうちの一つである。また南消防署の調べによる設置年は、1958年12月の千日デパート開業時を基準としており、警察との間で解釈の違いがある。救助袋の納入業者によれば、1963年以前は年に数回の保守点検を行っていたが、1963年に入ってから日本ドリーム観光側から契約を解除されて以降の保守点検については、新しい業者の責任であるので不知だという。展張時の長さについては、南消防署の調べでは30.21メートル、大阪府警捜査一課・南署特別捜査本部の調べでは31.35メートル、報道機関によっては四捨五入して32メートルとするところもある。
  22. ^ プレイタウン店内に備わっていた懐中電灯の場所と本数=電気室3、クローク2、レジ・リスト2、事務所3。合計10本。
  23. ^ 中核派、革マル派、約620人によって行われた。「沖縄返還改策粉砕」「沖縄派兵反対」を主張し、集会を開いた後、20時からミナミ周辺をデモ行進した。
  24. ^ 右時刻は、刑事裁判において大阪地方裁判所が認定したものである。工事作業員の一人が駐車場へ車を取りに出掛けた際、3階の作業現場を離れた時刻は「22時25分」で、駐車場の駐車カードに記入した時刻は「22時35分」である。千日デパートから駐車場までの所要時間が徒歩で「9分25秒」掛かることから「出火推定時刻22時27分」を基に作業員らの行動も加味して導き出された。他の工事作業員2人の証言では、それぞれ22時35分また37分に火災を発見したとされるが、それらは個人の感覚的なものであり、いずれの時刻も認定から除外された。大阪市消防局の当初の調査では「22時30分ごろ」としていた。
  25. ^ 火災当時、消火器の使用方法は製造メーカーにより異なっていた。千日デパートで使用していた主な消火器は、旧式の「二重瓶式消火器」だった。
  26. ^ a b c 電気工事関係者は合計6人であるが、工事作業者の1人は22時25分ごろに駐車場へ車を取りに出掛けており、火災発見時にはデパートビルの中にいなかった。
  27. ^ バンドリーダーの証言によれば「3曲目の曲」とは、アイ・ジョージと志摩ちなみのデュエット曲「赤いグラス(1965年リリース。同タイトルの映画主題歌1966年)」であった。同曲の演奏中にプレイタウン店内へ煙が流れてきたという。
  28. ^ 1967年(昭和42年)10月16日1時33分ごろ、地下1階プレイタウン専用エレベーターホールに設置してあったソファーの一部がタバコの不始末により燃焼したものである。損害はソファー1個分のみで大事には至らなかった。
  29. ^ プレイタウン店内で従業員による放送が確認されているのは2回である。
  30. ^ 7階A階段の鍵はプレイタウン事務所内に保管されており、実際のところクローク内には無かった。またA階段の屋上の鍵は、1階保安室に単独キーがあるのみでプレイタウンでは保管していなかった。ただしA階段屋上の出入口はガラス扉なので、屋上へ避難しようと思えば扉のガラスを破ること自体は可能だった。
  31. ^ E階段に関しては、プレイタウン事務所内には階段出入口の他に屋上出入口の鍵が保管されており、屋上への避難も可能だったが、E階段は完全に煙で汚染されていたため、屋上へはおろか、更衣室直結の非常扉から先へ進むことすらできなかった。
  32. ^ 6階の旧千日劇場跡にスロープで繋がる幅約10メートルの連絡通路。プレイタウンが6階でも営業していた時に使用していた。火災発生の数日前まで、通路部分に壁も無くスロープも存在していた。
  33. ^ F階段の屋上の鍵は、プレイタウン事務所内に保管されておらず、1階保安室に単独キーがあるだけだった。従って仮にF階段が煙で汚染されていなくても避難者らは屋上に脱出することはできなかった。
  34. ^ a b これは発表時点での速報値であり、のちに訂正されている。
  35. ^ 初七日法要には遺族や被害者の参列は一人も無かった。理由は主催者の手違いにより遺族側へ連絡をおこなわなかったためである。
  36. ^ 通報者は、供述により千日デパート保安係の保安係長だと確認された。
  37. ^ 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に南署を廃止し、浪速署を発足させた。
  38. ^ a b 1989年(平成元年)2月13日、南区と東区が合区され中央区が発足したのを機に東署を中央署に改めた。
  39. ^ 火災現場に出場したが、南消防本署に残留。消火活動には参加していない。
  40. ^ 東雲PR分隊は、火災現場に出場したが待機命令により活動はせずに引き揚げた。
  41. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留警備にあたった。
  42. ^ 火災現場に出場後、活動はせずに東消防本署にて残留。
  43. ^ 負傷者搬送に投入された救急隊(計12隊)=南、西、天王寺、東、港、福島、西成、阿倍野、生野、大正、都島、浪速
  44. ^ 遺体搬送に投入された救急隊(計7隊)=東、福島、西成、西、大正、港、南
  45. ^ 15日未明にデパートビル6階で発生した再燃火災(小火)により消火活動が再開されたことから、後に鎮火日時は15日17時30分に訂正された。
  46. ^ 14日10時55分までの総放水量。ただし泉尾TR分隊の放水量は不明なので、その分は計算に含めていない。15日未明に発生した6階小火に対する消火および防御に使用した放水量は含まない。
  47. ^ a b c 現中央消防署管内
  48. ^ a b c 現浪速消防本署
  49. ^ a b c 現浪速消防署管内
  50. ^ 現中央消防本署
  51. ^ 一部の資料ではデパート滞在者を「210人」としているが、警察と消防で情報を照合し、綿密な追跡調査をおこなった結果、客2人を新たに加えたもので「212人」が正しい数値である。
  52. ^ プレイタウンには絶えず客や従業員が出入りしていたので、滞在者の人数にはある程度の変動がある。したがって7階で火災被害に巻き込まれた者を7階滞在者とする。
  53. ^ 6階ボウリング場改装工事に携わっていた作業員の1人は、火災発生時に廃材の積み込み作業で路上にいたところ、デパートビルの窓から煙が噴き出しているのを確認し仲間に知らせるためにCエレベーターで6階へ昇った。6階到着後、煙に巻かれたため直ちにエレベーターで脱出している状況が確認されているが、その作業者はビル滞在者に含めない。ボウリング場改装工事に携わっていた作業者は10人ほどいたが、火災発生時、6階に滞在していたのは6人である。一部の資料では7人滞在していたとするものも存在する。
  54. ^ a b 3階ないし4階に残業で滞在していたニチイ千日前店の従業員4人については、22時ごろに退館しているが、火災のおおよその発火時刻と前後することからデパートビル滞在者に含めている。
  55. ^ 1階滞在者のうち、保安係員2人は火災発生時刻のころは、まだ館内巡回中(事務所関係の巡回)だった。
  56. ^ a b 1階プレイタウン関係者10人については、客の呼び込みや送迎のためにデパートビル南側路上もしくはプレイタウン入口または地下1階ロビーにいたものであるが、火災発生時刻(22時27分)から7階に煙が充満してきた時刻(22時43分)の間に各々が2基の専用エレベータで7階との間を往復しているので、それらの者はデパートビル滞在者に含める。客については、出入り状況と素性が正確に把握できないことから火災に巻き込まれなかった場合は滞在者に含めない。
  57. ^ 2人とも当夜の宿直員である。2人は火災発生時に館内の風呂場(地階)で入浴中だった。
  58. ^ a b 7階窓からの飛降りまたは救助袋からの転落による墜落死22人の詳細な死因は、脳挫滅1人(男性)、脳挫傷12人(男性5人、女性7人)、頚椎骨折3人(女性3人)、骨盤骨折2人(女性2人)、胸腔内臓器破裂2人(女性2人)、外傷性ショック2人(女性2人)である。ただし墜落死した者のうち、誰がどの死因に該当するかは各資料には明記されておらず、不明である。
  59. ^ a b エレベーターを使って自力脱出に成功した人について、多くの資料はプレイタウン滞在者のホステス1人としている。A1エレベーターで7階へ昇ってきた男性客1人とホステス1人の計2人については、7階へ着いたときに、ちょうど煙が7階エレベーターホールに充満しているのを目の当たりにした。そこへプレイタウン滞在者のホステス1人が慌てて同エレベーターに乗り込んできて、3人はそのまま一緒に地下1階へ避難したものである。なお客1名はビル滞在者に含めていない。
  60. ^ ホステス1人以外にもプレイタウン関係者でエレベーターで往復した者もいたと思われるが、火災による煙で店内が騒ぎになった後のみ特筆する。
  61. ^ 検察審査会法第32条=検察官の公訴を提起しない処分の当否に関し、検察審査会議の議決があったときは、同一事件について更に審査の申立てをすることはできない。
  62. ^ 1967年3月、5月、10月に相次いで異なる管理権原者である「ニチイ千日前店」と「プレイタウン」が千日デパート内で営業を始めたが、その時点で1963年に提出された消防計画の内容からは実態が大きく変わっていた。火災発生当日に至るまで法令で定められた共同防火管理に基づく3者共同の消防計画が策定されなかったことは、現に存在している事実に反していたことになる。
  63. ^ 22時44分ごろ、第一出場の消防隊は消火活動を行うために内部進入を試みたが、その際に千日デパートビル北東正面入口と北西入口のシャッターを開放した。その結果、大量の空気をビル内部へ流入させることに繋がり、火勢が一気に強まって火災の延焼はさらに進んだ。そのことで7階プレイタウンにより一層の煙と有毒ガスが流入するに至った。本件火災の状況ならびに燃焼実験の結果から、煙を排出するために強制送風を実施することは必ずしも良い結果をもたらさないと結論付けられた。
  64. ^ 法令が改正された場合、新しい法令規定の適用を必ず受ける消防用設備、という意味。自動火災報知設備は、そのうちの一つ。
  65. ^ 11月6日に北陸トンネル火災が発生しているが、当該火災は鉄道車両の火災事故なので、ビル火災がテーマの当記事では考慮に加えなかった
  66. ^ 大洋デパート火災の死者数については、火災発生当日で100人、その後48時間経過した時点で3人増え、合計103人となった。ところが火災発生から7年経過した1980年12月16日に火災による一酸化炭素中毒の影響で国立熊本病院に長期入院していた負傷者1人が死亡したことにより、最終的に死者は104人となった。多くの資料はこの「7年後の死者1人」を計上していない。
  67. ^ 負傷者数については、資料によってその数は区々であるが、警察庁発行の「昭和49年度版・警察白書」によれば、最終的な負傷者数は「124人」となっている。なお大洋デパートの防火管理者や火元責任者らに対する刑事裁判においては、裁判所が認定した負傷者数は「67人」であった。これは被告らの過失によって負傷させられた客および従業員の人数なので消防隊員や消防団員などの負傷は含まれておらず、全体の負傷者数とは異なっている。
  68. ^ a b c 現行の法令が規定する「特定防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能1時間を有するものをいう。
  69. ^ a b c 現行の法令が規定する「防火設備」に該当する防火戸のこと。遮炎性能20分を有するものをいう。
  70. ^ 1972年6月4日夜に被疑者は勾留期限切れにより処分保留で釈放された。自供を裏付ける直接的な証拠が無く、物証の代わりとなる科学鑑定もまとまらず、期限内に起訴できなかったことによる措置。
  71. ^ 建設計画時または建設中における新ビルの仮称は「新千日デパートビル」であった。

出典

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