京都御苑
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概要
京都市の中心部に位置し、東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に区切られた区域。東西約700m、南北約1300mの範囲で、総面積は92ヘクタール。その内、環境省が管理する国民公園である京都御苑は65ヘクタールである[1]。江戸時代から遺る9ヶ所の外周御門と6ヶ所の切り通しを持つ。
明治の東京奠都の際、公家町として御所を囲んでいた公家屋敷の大半が引越し廃れてしまったため、その荒廃ぶりを悲しんだ明治天皇の命により緑化を行い住民憩いの場とした[2]。約140あった宮家と公家の邸宅が撤去されて皇宮付属地として整備され、戦後、国民公園となった[3]。
現在は京都御所、京都仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、2005年4月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外は環境省が管理している。
多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、京都仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所の他、一般社団法人国民公園協会が管理を行うグラウンドやテニスコートに各休憩所、資料館、レストラン、カフェ、土産店、大型駐車場などもあり、市民の憩いの場になっている。
歴史
京都御苑の歴史は明治時代に始まるが、御苑の中心をなす京都御所の禁裏としての歴史は平安時代の土御門内裏(東洞院土御門内裏)にまでさかのぼることができる[4]。その後、歴代の天皇がここを御所としたのは、明徳3年(1392年)に南北朝が合一した際、土御門内裏が正式な御所として確認されて以降、明治に至るまでである[4]。この間の500数十年、建物は何度も火災で焼失するなど幾多の盛衰があり、特に室町時代から戦国時代にかけては見る影もなく荒れ果てた[4]。
これらの修築、再建を始めたのは上洛してきた織田信長で、この時代に内裏はかなり大規模な建造が行われたようである[4]。続く豊臣秀吉の時代には修造のみならず内裏周辺の整備にも力が入れられた[4]。天正年間、秀吉は大規模な都市改造の一環として堂上公家をあまねく禁裏(御所)周辺に移住させた。ただし、近年の研究では公家の集住政策は織田信長から引き継いだもので京都の改造とは直接的な関係はないこと、新家の設立による土地不足や経済的な問題によって全ての堂上公家がこの地域に住めた訳ではなかったことも指摘されている[5]。
このように、市内の町々に混在していた多くの公家屋敷が禁裏御所を中心に集められて公家町を形成し[4]、江戸時代には御料など所領の策定がなされて、仙洞御所や女院御所など、殿舎が充実するに至ったが[4]、現在の京都御苑と比べるとまだ随分と狭いものだった[6]。その後、これら公家町の拡張整備のきっかけとなったのが京都の中心部を焼失させた宝永5年の大火(1708年)である[6][7]。この火災によって内裏をはじめとした諸御所や公家屋敷78軒のみならず、大名屋敷24軒のほか、禁裏役人の役屋敷などをことごとく焼失した[6]。大火後の復興にあたり、丸太町通以北、烏丸通以東に食い込んでいた町家区域を立ち退かせて、その跡地を公卿らに分与し、現在の京都御苑の原型となるような区画が整えられた[6]。ただし、四方の大通りに面して9つの門を配し、それらを石垣でつないで周囲に巡らせた、現在見られるような整然とした矩形に整備されるのは明治に入ってからになる[6]。
明治になると明治天皇に従って多くの公家が東京へ移り、華族制度の発足と共に全ての華族の東京移住が義務付けられたことで、公家屋敷はもぬけの殻となり、京都御所周辺は急速に荒廃していった。この状況を憂慮した岩倉具視は、旧慣保存のためにもなることを理由に明治10年(1877年)、御所の保存を建議した。これを受けて京都府は御所を囲む火除け地を確保することを目的に、軒を連ねる旧公家屋敷の空家の撤去と跡地の整備を開始した。これが京都御苑の始まりである。
当初は周囲の土塁と堀を整備するにとどまったが、その後も整備は徐々に進められ、明治16年(1883年)に御苑の管理が京都府から宮内省に移管され後も続けられた。大正天皇の大礼が京都御所で行われることになると整備は急進展を見せ、建礼門前大通に大規模な改修工事が施されてほぼ現在の姿になった。
戦後、宮内省が解体されると、昭和24年(1949年)には厚生省の管理運営のもと御苑は国民公園となった。
昭和34年(1959年)、新たに「京都御苑」の町名が設置された[8]。市街地において屈指の広さをもつこの新しい住所(区画)によって一線を画された町は上京区で23町[9]、中京区で14町[10]にのぼる[8]。
昭和46年(1971年)に各省庁で環境や公害に関係する部署を統合して環境庁が創設されることになると、厚生省の大臣官房国立公園部も環境庁に移ることになり、これに伴い御苑も同庁の所轄となった。これが環境省に引き継がれて今日に至っている。
隣接する二つの神社
京都御苑に隣接して西に護王神社、東に梨木神社が鎮座している[11]。護王神社には平安京最初の天皇である桓武天皇の忠臣和気清麻呂、梨木神社には幕末期の京都で過ごした最後の帝である孝明天皇の重臣三条実万がそれぞれ祭神として祀られており、いずれも京都御苑の保存が決まったのちの明治18、9年に至って、現社地に遷座あるいは建立されたものである[11]。御所の保存に尽力した岩倉具視は、自身の最晩年には、御苑内の旧仙洞御所跡に桓武天皇を祀る平安神宮を建立する考えを持っていたとされ、岩倉の没後も宮内省の官辺はこの構想の下、平安神宮に近侍する形で二つの神社を建立する発想があったものと思われる[11]。結果的に平安神宮はより広い敷地が確保できた岡崎の地に建立され(明治28年)、梨木・護王の両神社が御苑の東西に残った。大正4年(1915年)、両神社は京都御所において執り行われた「大正天皇即位の礼」の祝賀の一環としてそれぞれ祭神を一柱加えた(梨木:三条実美、護王:和気広虫)[11]。一方、桓武天皇と孝明天皇を祭神に祀る平安神宮は、毎年の例祭において二基の神輿(鳳輦)を岡崎から京都御所の建礼門まで神幸させて、祭典を執り行っている(参照時代祭)。
中山邸跡
- 中山邸跡 - 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)、中山邸において皇子・祐宮(さちのみや、のちの明治天皇)を産んだ中山家の産屋と明治天皇の幼少時代の名前「祐宮」にちなんだ井戸「祐井」(さちのい)が現在も遺構として残っている。
- ^ 『国民公園 京都御苑』(環境省京都御苑管理事務所が作成しているパンフレットより、平成24年10月改定)
- ^ 意外に知らない御苑のこと 御所との違いを知っていますか 上京区役所、上京ふれあいネット「カミング」
- ^ 京都御苑概要 環境省
- ^ a b c d e f g 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、196-198頁。
- ^ 登谷伸宏『近世の公家社会と京都 集住のかたちと都市社会』(思文閣出版、2015年) ISBN 978-4-7842-1795-3
- ^ a b c d e 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、169-174頁。
- ^ 冷泉為人「江戸時代の京都・公家町における災害と復興」『京都の歴史災害』吉越昭久・片平博文編、思文閣、2012年、96頁。
- ^ a b 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、194-195頁。
- ^ 春日町、堀松町、五丁目町、桜鶴円町、鷹司町、龍前町、広橋殿町、観三橘町、梅屋町、今出川町、玄武町、新北小路町、常盤井殿町、革堂之内町、大原口町、大原口突抜町、真如堂突抜町、真如堂前町、染殿町、東桜町、荒神町、松陰町、信富町
- ^ 下御霊前町、石屋町、毘沙門町、昆布屋町、舟屋町、桝屋町、桑原町、四丁目、鍵屋町、坂本町、関東屋町、三本木町、光り堂町、大倉町
- ^ a b c d 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、278-283頁。
- ^ “公家邸跡の庭園”. 環境省. 2022年5月24日閲覧。
- ^ “歴史にふれる:京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会”. 京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会]. 2022年6月14日閲覧。
- ^ “江戸時代からの外周御門 京都御苑 環境省”. 環境省. 2022年4月1日閲覧。
- ^ 堂岡實「閑院宮邸跡建物改修工事」(『京都御苑ニュース』83号、2004年9月、財団法人国民公園協会京都御苑)
- ^ 京都御苑 御苑案内図(閑院宮邸跡) https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/2_guide/map2_kaningu.html
- ^ 『京都大辞典』(淡交社、昭和59年)
- ^ “京都御苑 県井の山吹”. 京都旅屋. 2024年2月5日閲覧。
- ^ 「天皇陛下がハゼの論文発表 魚類学者として33本目」 日本経済新聞ニュースサイト(2019年4月5日)2019年4月9日閲覧。
- ^ 国民公園協会京都御苑編『京都御苑の自然 観察ガイドブック』国民公園協会京都御苑、2010
- ^ 京都御苑のサイクルロード - ウェイバックマシン(2007年9月29日アーカイブ分)
- ^ 放置自転車:京都御苑が駐輪場!?市営地下鉄の利用者放置 環境省「条例基づき撤去を」 毎日新聞 2012年9月2日
- ^ 二条城の概要 二条城
- ^ 第3回「京都御苑ずきの御近所さん」葵祭行列保存会会長京都橘大学名誉教授 猪熊兼勝様 環境省、2016年7月29日
固有名詞の分類
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