京都御苑
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旧九条家茶室「拾翠亭」
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桂宮邸跡
外周御門と蛤御門
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9ヶ所に建つ江戸時代から遺る公家町からの京都御苑の外周御門・「高麗門」( 堺町御門、下立売御門、蛤御門、中立売御門、乾御門、今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門の9門全て現存)[14]と京都御苑を囲む石垣が往時の公家町の広さが偲ばれる。
上記の蛤御門は、元々「新在家御門」といい、開かずの扉であったが、1788年の天明の大火の際に初めて開門された。この為、「炎で貝が開く」ことの比喩で蛤御門と呼ばれるようになった。
また、1864年(元治元年)に尊王攘夷派(長州藩)と徳川幕府(会津藩)の戦いである蛤御門の変(禁門の変)が勃発した。現在でもこの戦いの傷跡である銃弾の痕がこの高麗門に残されている。
建造物・遺構
御所・京都仙洞御所および京都大宮御所以外にも、京都御苑には公家の邸宅をはじめとする遺構が数多く残されている。9ヶ所の京都御苑外周門の他に宮家のものとしては南西部に閑院宮家の邸宅が保存されている。北部には桂宮邸跡の邸宅の築地塀と表門と勅使門が残る(内部の建物群は二条城の本丸に移築保存されている)。
閑院宮邸跡収納展示館
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閑院宮載仁親王が明治10年(1877年)に東京に移住するまでの邸宅であるとされているが、現在の建物との関連性は詳しく分かっていない。明治16年(1883年)5月に閑院宮邸内に宮内省京都市庁舎の建設がはじめられ、同年12月には現在の形態に近いものが完成した。その後、所管を宮内省から厚生省、環境省と移しながら現在に至る。
建物は、中央の中庭を四つの棟で囲む平面構成となっている。東棟は正面入母屋造千鳥破風の車寄せ玄関がある。南棟は資料展示室・収蔵室になり、南側全体に庇を付けた大きな瓦屋葺きの反り屋根を持つ。西棟はレクチャーホールで北棟が事務棟となっている[15]。小規模での修繕が繰り返されてきたが、建物全体の破損や狂いが大きくなってきたため、平成15年(2003年)に全体の修復整備を行うこととなった。外観は建設当時の状態の保存をはかりつつ、後補の不必要な部分や内部の模様替え部分を撤去・整備する方針で行われた。平成18年(2006年)3月に完成し、現在の姿となった。
京都御苑の自然や歴史を学ぶことのできる収納展示室があり、庭園を見ることもできる[16]。
猿ヶ辻
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京都御所の東北角、御所の鬼門にあたるところに御幣を担ぐ山王権現日吉社の猿が浮き彫りにされている。また、角が直角ではなく一部をへこませている。文久3年(1863年)、尊攘派の公家・姉小路公知が暗殺された場所でもある(朔平門外の変)[17]。
その他の遺構
上記の建造物以外には以下のようなものがある。
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- 縣井・県井(あがたい) -京都御苑の北西に位置し五摂家のひとつ、一条家の邸宅跡に遺る井戸。 宮内庁京都事務所の西側に位置している。
明治天皇の皇后となった一条美子(はるこ:昭憲皇太后)のうぶ湯に用いられたと伝えられており、古くから名水とされてきた。
併記して、地方官吏に任命されたいと願う人々は、この井戸で身を清めてから社に祈願し、宮中に参内したと伝わる[18]。
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- 厳島神社 - 五摂家の一つである九条家の鎮守社で、安芸宮島の厳島神社から勧請されたと伝わる。同じく旧九条家の遺構・茶室「拾翠亭」が隣に残る。また、九条家の庭園にある大池は九条池と呼ばれ、池を囲む庭園は保存されており、かつての摂家であった最高位の公家の生活を今に偲ぶことができる。
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- 二条御所(二条古城)石垣 - 足利将軍の「花の御所」と呼ばれた往時から城の僅か石垣が遺り復元され当御苑内「京都御苑」及び「元離宮二条城」に両設し遺構を伝えている。
- 出水の小川
- 学習院跡 - 幕末の京都に公家の教育機関として設けられた「京都学習院」の跡。京都御所の東側にある建春門近くに「学習院跡」の石碑と案内板がある。
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- 近衛家跡 - 江戸時代に近衛家は、烏丸今出川の京都御苑内にあった。その場所は、同志社大学今出川キャンパスの向かいに位置する。築地塀や建物はないが、池を囲む庭園は保存されており、九条家址の九条池に対し近衛池とよばれている。池の周囲には、有名なしだれ桜である「近衛桜」があり、御花見シーズンには市民でにぎわう。
自然
京都御苑内には500種以上の植物がある。苑内には約5万本の樹木が生育しており、多くは明治以降に植栽されたものである。マツ、ケヤキ、シイ・カシ類、イチョウなどのほか、ウメ、モモ、サクラ、サルスベリなどの花の咲く木も多く、これら多彩な樹々が御苑の風格と四季の彩りをなしている。また、スミレ、タンポポどの草花やキノコ類も多く見られる。キノコ類は400種以上が確認されており、一年を通じて観察できる。
苑内には動物も多く見られる。野鳥の観測地として知られ、100種以上の野鳥が確認され、そのうち約20種は苑内で繁殖されている。代表的な鳥としてはアオバト、ビンズイ、トラツグミ、ゴイサギなどがあげられる。昆虫類も多く見られ、チョウ類55種、トンボ類26種、セミ類8種などが確認できる。
苑内には、自然に親しむ場所として「母と子の森」「トンボ池」「出水の小川」などが整備されているほか、「母と子の森」内の「森の文庫」では植物や生物など自然についての本が置かれたり、閑院宮邸跡の収納展示室で自然や歴史について解説とともに学ぶこともできる。
仙洞御所の池には魚類が生息している。ハゼ類の研究者として知られる上皇明仁は、ここで採取したヨシノボリの遺伝子解析により、ビワヨシノボリとシマヒレヨシノボリの交雑種であることを明らかにした論文を2019年発表した[19]。
こうした環境が京都市内の中心部にあることで、散策や花見のほか、バードウォッチングや自然観察会などに多くの人が訪れる場となっている[20]。
- ^ 『国民公園 京都御苑』(環境省京都御苑管理事務所が作成しているパンフレットより、平成24年10月改定)
- ^ 意外に知らない御苑のこと 御所との違いを知っていますか 上京区役所、上京ふれあいネット「カミング」
- ^ 京都御苑概要 環境省
- ^ a b c d e f g 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、196-198頁。
- ^ 登谷伸宏『近世の公家社会と京都 集住のかたちと都市社会』(思文閣出版、2015年) ISBN 978-4-7842-1795-3
- ^ a b c d e 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、169-174頁。
- ^ 冷泉為人「江戸時代の京都・公家町における災害と復興」『京都の歴史災害』吉越昭久・片平博文編、思文閣、2012年、96頁。
- ^ a b 川嶋将生・鎌田道隆『京都 町名ものがたり』京都新聞社、1979年、194-195頁。
- ^ 春日町、堀松町、五丁目町、桜鶴円町、鷹司町、龍前町、広橋殿町、観三橘町、梅屋町、今出川町、玄武町、新北小路町、常盤井殿町、革堂之内町、大原口町、大原口突抜町、真如堂突抜町、真如堂前町、染殿町、東桜町、荒神町、松陰町、信富町
- ^ 下御霊前町、石屋町、毘沙門町、昆布屋町、舟屋町、桝屋町、桑原町、四丁目、鍵屋町、坂本町、関東屋町、三本木町、光り堂町、大倉町
- ^ a b c d 岡田精司『京の社』塙書房、2000年、278-283頁。
- ^ “公家邸跡の庭園”. 環境省. 2022年5月24日閲覧。
- ^ “歴史にふれる:京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会”. 京都御苑 | 一般財団法人国民公園協会]. 2022年6月14日閲覧。
- ^ “江戸時代からの外周御門 京都御苑 環境省”. 環境省. 2022年4月1日閲覧。
- ^ 堂岡實「閑院宮邸跡建物改修工事」(『京都御苑ニュース』83号、2004年9月、財団法人国民公園協会京都御苑)
- ^ 京都御苑 御苑案内図(閑院宮邸跡) https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/2_guide/map2_kaningu.html
- ^ 『京都大辞典』(淡交社、昭和59年)
- ^ “京都御苑 県井の山吹”. 京都旅屋. 2024年2月5日閲覧。
- ^ 「天皇陛下がハゼの論文発表 魚類学者として33本目」 日本経済新聞ニュースサイト(2019年4月5日)2019年4月9日閲覧。
- ^ 国民公園協会京都御苑編『京都御苑の自然 観察ガイドブック』国民公園協会京都御苑、2010
- ^ 京都御苑のサイクルロード - ウェイバックマシン(2007年9月29日アーカイブ分)
- ^ 放置自転車:京都御苑が駐輪場!?市営地下鉄の利用者放置 環境省「条例基づき撤去を」 毎日新聞 2012年9月2日
- ^ 二条城の概要 二条城
- ^ 第3回「京都御苑ずきの御近所さん」葵祭行列保存会会長京都橘大学名誉教授 猪熊兼勝様 環境省、2016年7月29日
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