蛤御門とは? わかりやすく解説

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はまぐり‐ごもん【蛤御門】

読み方:はまぐりごもん

京都御所外郭西側にある門。中立売(なかだちうり)御門の南、下立売(しもだちうり)御門の北に位置


蛤御門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 09:03 UTC 版)

門の概観
門に残る弾痕

蛤御門(はまぐりごもん)は、現在の京都御苑外郭九門の一つ。本来の正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。門の形状は高麗門型の筋鉄門である。

解説

御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとされる。いずれの火災時期とするかについては、宝永の大火1708年)後とする説と、天明の大火1788年)後とする説が挙げられている[1]

近年では寛文13年(1673年)の火災後まで遡るとする説や、「開かずの門」は本来は現在の下立売御門であったとする説も挙げられている[1]

元治元年7月19日1864年8月20日)の蛤御門の変では門の周辺が長州藩との激戦地となった。現在でも門柱に命中した弾痕を確認することができる。

なお現在の蛤御門は、明治10年(1877年)から明治16年(1883年)にかけて行われた大内保存および京都御苑整備事業によって移設されたもので、それ以前は現在よりも30メートルほど東の位置に、南を向いて建てられていた。

脚注

  1. ^ a b 蛤御門の命名は元禄以前か 京都御苑、通説遡る新史料 - ウェイバックマシン(2016年6月1日アーカイブ分)(京都新聞、 2016年4月28日記事)。

座標: 北緯35度01分23.24秒 東経135度45分34.47秒 / 北緯35.0231222度 東経135.7595750度 / 35.0231222; 135.7595750


蛤御門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:37 UTC 版)

京都御苑」の記事における「蛤御門」の解説

詳細は「蛤御門」を参照 上記の蛤御門は、元々「新在家御門」といい、開かずの扉であったが、1788年天明の大火の際に初め開門された。この為、「炎で貝が開く」ことの比喩で蛤御門と呼ばれるようになったまた、1864年元治元年)に尊王攘夷派長州藩)と徳川幕府会津藩)の戦いである禁門の変蛤御門の変)が勃発した。現在でもこの戦い傷跡である銃弾の痕が門に残されている。

※この「蛤御門」の解説は、「京都御苑」の解説の一部です。
「蛤御門」を含む「京都御苑」の記事については、「京都御苑」の概要を参照ください。

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