蛤仔難三十六社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 08:00 UTC 版)
クバラン族は古くは「蛤仔難三十六社」と称されていた(実際には70以上の社が存在した)。当初は蘭陽渓を境界とし、北側を「西勢番」、南側は「東勢番」と称していた。当時の主要な集落としては打馬煙社、抵美簡社、奇立丹社、抵美福社、流流社、武暖社、歪仔歪社、新仔羅罕社、利沢簡社、加礼宛社、奇武荖社などが記録に残っている。 クバラン族が史書に最初に登場するのは1632年、当時淡水を占拠していたスペイン人による1隻の商船が暴風雨に拠り「蛤仔難」平原に漂着したという記録である。具体的な記録は1650年にオランダ人により記録された39社の人口統計資料が残されている。
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