ラップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 23:45 UTC 版)
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Fa%2Fa2%2FDavey_D_interviews_KRS-One.jpg%2F280px-Davey_D_interviews_KRS-One.jpg)
概要
ラップはインストルメンタルトラックの時間通りに実行されるという点で、スポークン・ワードとは異なる[6]。ラップはしばしばヒップホップ・ミュージックと関連しており、ヒップホップ・ミュージックの主要な要素ではあるが、この現象の起源はヒップホップ文化より先立っている。近代的なラップの最も初期の先駆けは、西アフリカのグリオの伝統である。それは「口頭伝承者」[7] や「賛歌歌手」[7] が、伝承や系譜を広めるか、あるいは「称賛または個人批評」[7] のために恐るべき修辞的な技術を使用していた。
英語ではラップのことを rhyming(ライミング)、spitting (スピッティング)[8]、emceeing / MCing(エムシーイング)[9]とも言う。ラップをする人のことをラッパー (rapper) [出典 2]やMCと言う。
ラップは、メロディをあまり必要とせず[3]、似た言葉や語尾が同じ言葉を繰り返す[3]、韻(ライム)を踏むのが特徴的で[3]、口語に近い抑揚をつけて発声する[3]。曲の拍感覚に合わせる方法(オン・ビート)と合わせない方法(オフ・ビート)がある。レゲエにおけるディージェイが行うトースティングはよく似ているが、抑揚の付け方が異なり、トースティングは独特のメロディを付けることが多いという違いもある[11]。
普通の歌のようにメロディを付けた物[注釈 1] や、トースティングのような抑揚の付け方やメロディの物[注釈 2] でラップと呼ばれる物もある。ラップのスタイルはラッパーがどのような手法を得意としているかにも因ることがある。
ラップ/ヒップホップとハウス・ミュージックを合体させたヒップ・ハウスも存在し、ヒップハウスのグループには、ツイン・ハイプ[12]などがいた。
語源
英語でラップは字義的にはいくつかの意味があり[13]、1つ目は「打つ、叩く」などの擬音語で、トントン、コツコツ、といった物音[13]。2つ目は「叱責、非難、告訴、告発」[13]。3つ目が黒人英語である「おしゃべり」や「軽口言葉」[出典 3]、「会話」という意味で[14]、もとは俗語としてはさまざまな意味に転じたが、そこから「しゃべるような歌」という意味に広がった。今日の英語辞典では3つ目の意味としてほとんど記載されており[13]、「1970年代にアメリカで始まった黒人の音楽でDJなどとともに語るように歌われるダンスミュージック」などといった解説が加えられているものもある[13]。これらの意味から文学などでは「急いで読む」「早口で喋る」などの意味に転用されることもある[13]。
歴史
早口(リズミカル)な言葉を使って相手をやりこめる黒人独持の話術を音楽に取り入れ[出典 4]、1970年代後半に[出典 5]、アメリカニューヨークの黒人DJから生まれた[出典 6]。誕生の場は70年代後半の[出典 7]、ニューヨークでみられたブロック・パーティーである[出典 8]。古くはアフリカン・グリオ(文盲者に口伝で歴史や詩を伝える者達)にそのルーツが見られ、マルコムXやキング牧師といった政治的指導者のスピーチも大きく影響を与えている。モハメド・アリのインタビューなどで見られた言葉遊びによって、より広まったといわれる。レゲエにおけるトースティングにも影響を受けていると考えられており、トースティングがレコードに収録されているインストゥルメンタルに乗せて行うように、DJがプレイするブレイクビーツに乗せて行ったのが初期のラップの形だと考えられている[出典 9]。あらかじめ用意した歌詞(リリック)ではなく、即興で歌詞を作り、歌詞とライムの技術を競うフリースタイルもある。
また、「ラップする者」を意味するラッパー(rapper)は、1979年、ファットバックの「キング・ティムIII」やシュガーヒル・ギャングのシングル「Rapper's Delight」[19] が話題になってから広まった呼称である。人によってはこの呼称を嫌がる者もいる。彼らはRun-D.M.C.が名付けたMC(microphone controller)という呼称を使用する。1981年、ブロンディはシングル「ラプチュア(Rapture)[:en]」の中で間奏部分にラップを取り入れて、ビルボード1位、年間チャート19位のヒットを記録した[20]。グランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」は社会問題についてラップした作品として、話題になった[注釈 3]。1986年にはランDMCがビッグヒットを出して、1989年にはビッグ・ダディ・ケイン、デラ・ソウルらのソウル・ヒットにより、ラップは黄金時代を迎えた。
2018年1月8日にNHK-FMラジオ『今日は一日○○三昧』第189回で「今日は一日“RAP”三昧」 が約10時間に亘り放送された[出典 10]。出演は宇多丸(RHYMESTER)、高橋芳朗、DJ YANATAKE(DJ・ディレクター・音楽ライター)、渡辺志保(音楽ライター)、ゲスト:いとうせいこう、Bose(スチャダラパー)、Zeebra、漢 a.k.a. GAMI、BAD HOPで[出典 11]、日米のラップ史40年が紐解かれ、書籍化もされている[出典 12]。まずラップの前段階としてヒップホップがあり、ヒップホップ発祥の地は、ニューヨークウエスト・ブロンクスのモーリスハイツ地区セジウィック通り1520番地で、ここはニューヨーク市の史跡保存局によって公式に「ヒップホップ発祥の地」として認定されているという[出典 13]。ジャマイカからの移民・クール・ハークがここで曲のドラムの間奏部分を繋げてブレイクビーツという技術を発明し[出典 14]、当初は同地区の公営住宅の中の娯楽室で開催されたパーティでそれが演奏され、若者がそれに合わせて踊った[出典 15]。さらに客を煽るため、クール・ハークはMCを雇い、MCがマイクを持ち、ユーモアを交えたりリズミカルな喋りで客を沸かした[出典 16]。これがラップの誕生[出典 17]。クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータが初期のヒップホップDJ三強が技術を改良[出典 18]。当時はあくまでパーティという感覚で音源化するという発想はなく、レコードはなく、パーティの様子を録ったカセットテープが出回った[出典 19]。これに「ラップが今、若者に流行ってるらしいから、レコードを出せば儲かるんじゃない」と発想したソウルシンガー・シルヴィア・ロビンソンが、ラップが出来そうなピザ屋で働いている連中とかを適当に集めて作ったのがシュガーヒル・ギャングで[出典 20]、彼らの1979年9月16日リリースのシングル 「Rapper's Delight」が世界で初めてのヒップホップ/ラップのレコードの大ヒット曲になった[出典 21]。
ヒップホップの起源は前述のように比較的明らかとされ[13]、クール・ハークこと、本名:クライブ・キャンベル発祥である[13]。ジャマイカキングストン生まれのクライブが[13]、家族でアメリカニューヨークのブロンクスに移り住んでからその歴史がスタートした[13]。重要なのはジャマイカキングストンでは巨大なスピーカーが積み上がったサウンド・システム、ソマーセット・レインからスカやレゲエが大音量で流れ、それに合わせて自分の詩などを朗読したり即興の語りを披露したりするスタイルが日常的に行われていたことで[13]、これは、ジャマイカではトースティングと呼ばれる一つの音楽スタイルになっていた[13]。12歳だったクライブの耳には、キングストンの音響システムとトースティングの体験がくっきりと脳裏に残っていた[13]。アメリカ移住後にブロンクスのラジオから流れてくるロックやディスコのDJカズン・ブルージーやウルフマン・ジャックなどにも影響を受けた[13]。クライブ・キャンベルは15歳でブロンクスでハウス・パーティを定期的に開催し、まだ誰にも知られていない存在ながら、DJクール・ハークを名乗り自らDJを始めた[13]。DJクール・ハークのパーティーの評判は次第にブロンクス中に広まり、やがてジャマイカの移民仲間であるコーク・ラ・ロック、DJクラーク・ケントの3人で「ハーキュロイズ」を結成[13]。ジャマイカで体験したサウンドシステムをベースに、曲中のリズム・セッションやパーカッションだけのブレイクの部分を「メリーゴーラウンド」と呼ばれるテクニックで延々と引き延ばした[13]。同じレコードを2枚用意して、ブレイク部分を繰り返し繋ぐ手法[13]。こうしてブレイクが何分も続くことでダンサーたちは興奮し、踊り狂う[13]。1976年頃にこのブレイク部分になると飛び込んできて踊りまくるアクロバティックなダンサーたちをクール・ハークがブレイク・ボーイズ、略してBボーイズと呼んだ。これがブレイクダンス(breakdancing,breakin')の誕生となる[13]。
ヒップホップ/ラップ/ブレイクダンスは全て1970年代に生まれたものであるが、アメリカではラップの先駆曲はコメディアン・ピグミート・マーカムによる1968年の「Here Comes the Judge」と評価されているという[13]。またラップミュージックの基本的リズムパターンを生み出したのはファンクの元祖・ジェームス・ブラウンという見方もある[13]。ブラウンの後継世代によるPファンクは、ブラウンとラップを繋ぐ役割を果たした[13]。ラップミュージックはリズム/ビートの部分で多くをファンクのグループに依っている[13]。デ・ラ・ソウル、スヌープ・ドギー・ドッグ、ドクター・ドレーなど、極めて多くのヒップホップミュージシャンがそのサウンドをカバー/リミックスする[13]。
注釈
出典
- ^ a b c d e ラップ - コトバンク、2023年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e ヒップホップ - コトバンク、2024年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 現代用語の基礎知識84 1984, p. 1033, 中村とうよう「ポピュラー音楽の解説 80年代の音楽」
- ^ a b Lynette Keyes, Cheryl (2004). Rap Music and Street Conciousness. University of Illinois Press. pp. 1
- ^ Edwards 2009, p. x.
- ^ Golus, Carrie (2012). From Def Jam to Super Rich. Twenty First Century Books. pp. 22. ISBN 0761381570
- ^ a b c Charry, Eric (2012). Hip Hop Africa: New African Music in a Globalizing World. Indiana University Press. pp. 79 – 80. ISBN 978-0-253-00575-5
- ^ Duneier, Kasinitz, Murphy (2014). The Urban Ethnography Reader. Oxford University Press. ISBN 0199743576
- ^ Edwards 2009, p. xii.
- ^ ラッパー - コトバンク、2021年3月1日閲覧。
- ^ “Toasting in Reggae, Ska, Dancehall, and Jamaican Music”. liveaboutdotcom (2019年2月20日). 2023年7月28日閲覧。
- ^ Do It to the Crowd by Twin Hype - WhoSampled
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z ヒップホップ! 2013, pp. 33–48, 第2章 ヒップホップの黎明期 -1970年代のブロンクス団地で起爆した漆黒の熱狂
- ^ a b c d e f g h i “生きているから変わる日本語" ら抜き"言葉容認、世に連れて=特集”. 読売新聞大阪夕刊 (読売新聞大阪本社): p. 特集B6. (1995年7月1日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak “1973年8月11日、ラップはニューヨークで生まれた〔前編〕 ――ヒップホップの誕生から、史上初ラップのヒット曲が登場するまで ――『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』より”. NHK出版/note. note (2020年3月4日). 2020年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月11日閲覧。“1973年8月11日、ラップはニューヨークで生まれた〔後編〕 ――「The Message」が歴史を変えた。そして、そのとき日本は?――『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』より”. NHK出版/note. note (2020年3月9日). 2020年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「ラップ史」入門 2018, pp. 13–35, 「第1章 70–80代初頭 」
- 1973年8月11日、ラップはニューヨークで生まれた
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “日本語ラップ広がり見せる 本格派グループ続々 電気グルーヴやスチャダラパー”. 読売新聞東京夕刊 (読売新聞社): p. 芸能A17. (1994年4月28日)
- ^ a b c d e “回顧90/音楽・ポピュラー 大当たり『ポンポコリン』 ユーミンも全記録更新中”. 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 11. (1990年12月22日)
- ^ Rapper's Delight by The Sugarhill Gang - Songfacts
- ^ [1]
- ^ a b c 「ラップ史」入門 2018, pp. 2–5, 「はじめに」
- ^ a b c d e f g h i j 「ラップ史」入門 2018, pp. 36–39, 「第1章 70–80代初頭 」
- 日本語ラップの起源を求めて…
- ^ a b c d e f g h i “FRI Screen&Music ええやん!かんさい 幅広い知識にじむ低音 小林克也バンド 新アルバム 喜寿『ライブやりたい』”. 読売新聞大阪夕刊 (読売新聞大阪本社): p. 3. (2018年4月6日)
- ^ a b c d e f g h i j k 内本順一 (2018年). “小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド インタビュー ~驚きの新作、オリジナルメンバーでのLIVEを語る。”. Billboard JAPAN. 阪神コンテンツリンク. 2018年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。秦野邦彦 (2018年3月29日). “小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド 『最後の晩餐』に至るまで”. 音楽ナタリー. ナターシャ. 2022年9月13日閲覧。“小林克也さんがご来店♪”. SAPPORO BEER OTOAJITO. J-WAVE (2018年3月24日). 2022年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。“コンピレーションの傑作『スネークマン・ショー』、お聴きになりますか? ……まさか!?”. OKMusic. オウケイウェイヴ (2016年5月25日). 2017年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。帆苅智之 (2018年3月16日). “小林 克也&ザ・ナンバーワン・バンド アルバムより完全生産限定盤付属の特集本「鯛器晩成」の中身を一部公開!”. うたまっぷNEWS. うたまっぷ. 2020年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月13日閲覧。バナナ・ドリーム : 小林克也 & ナンバーワンバンド - HMV&BOOKS online、“小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド『うわさのカム・トゥ・ハワイ』”. SPEEDSTAR ONLINE. 2008年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月28日閲覧。“Music Unlimited”. ソニー. 2014年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月28日閲覧。“小林克也&ザ・ナンバーワンバンド鯛!最後の晩餐ライブ!!”. 中国放送. 2023年7月28日閲覧。、平山雄一『弱虫のロック論 GOOD CRITIC』角川書店、2013年、p.148、『SWITCH』VOL.30(スイッチ・パブリッシング、2012年7月)p.19 - 21
- ^ a b c d e f g h i j k l m n ヒップホップ! 2013, pp. 134–158, 第6章 日本のヒップホップ -黄色魔術楽団からR指定までの長い道のり
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本語ラップ 2017, pp. 13–49
- ^ a b 四方宏明 (2016年10月17日). “ピコ太郎からたどる「お笑いテクノ」の歴史”. All About. 2016年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日本語ラップ 2017, pp. 231–234
- ^ “いとうせいこう : "業界くん物語" 制作の経緯”. YouTube. ニートtokyo (2020年1月2日). 2022年9月17日閲覧。
- ^ 輪島裕介 (2012年8月). “カタコト歌謡の近代第3回 トニー谷のインチキ英語は戦後アメリカニズムのB面だった”. アルテス電子版. アルテスパブリッシング. 2016年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月22日閲覧。
- ^ 泉山真奈美 (2013年9月4日). “歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~第97回 Rapper’s Delight(1979/全米No.36,全英No.3)/ シュガーヒル・ギャング(1973-2007)”. WORD-WISE WEB. 三省堂. 2019年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月22日閲覧。
- ^ 日本語ラップ 2017, pp. 5–11
- ^ “佐野元春は早すぎたB-BOYだった? 名盤『VISITORS』のラップが古びない理由”. Real Sound (2014年12月17日). 2021年3月1日閲覧。「OPUSコラム第23回 佐野元春」 [リンク切れ] - 『bounce』256号、2004年、2020年12月23日閲覧。
- ^ “宇多田ヒカル、Perfumeとコラボ 吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」大人気”. J-CASTニュース (株式会社ジェイ・キャスト). (2008年4月22日) 2023年7月28日閲覧。
- ^ “いとうせいこう : HIPHOPとの出会い〜1980年のFEN〜”. YouTube. ニートtokyo (2019年12月29日). 2022年9月17日閲覧。
- ^ 鈴木旭 (2022年2月26日). “フリースタイル「ラップ×お笑い」が根づいた理由 タモリ、ジャリズム、ジョイマン…ラップネタの変遷”. Yahoo!ニュース (ヤフー株式会社) 2022年9月17日閲覧。
- ^ 「ラップ史」入門 2018, pp. 63–79, 「第2章 80年代中期–後期 」
- 〔そのとき、日本は?〕 模索するオリジネイターたち ゲスト:いとうせいこう
- ^ a b 大石始 (2009年11月27日). “いとうせいこう インタビュー”. e-days「イーデイズ」. p. 2. 2010年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月28日閲覧。
- ^ “開拓者たちのマイルール 藤原ヒロシ×いとうせいこう対談”. CINRA.NET. 株式会社 CINRA (2013年11月11日). 2022年10月5日閲覧。
- ^ a b “日本語ロックの可能性拡大 (アングル・あんぐる)”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 21. (1989年10月26日)
- ^ 「ラップ史」入門 2018, pp. 42–62, 「第2章 80年代中期–後期 」
- 第二世代がラップを革新する
- ^ a b c d 青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.13 [バックナンバー] ドゥ・ザ・ライト・シング 今、この映画はどう響くか、社会が抱える差別をあぶり出し、「No!」を突きつける 黒人監督の道を切り拓いてきたスパイク・リーというカルチャー、スパイク・リー「ドゥ・ザ・ライト・シング」に教わったヒップホップの魅力、ドゥ・ザ・ライト・シング〜無関心のままじゃヤバイんだよ、そろそろ真剣になろうぜ、4K UHD BLU-RAY レビュー『ドゥ・ザ・ライト・シング』スパイク・リー監督【世界4K-Hakken伝】
- ^ 村尾泰郎「90年代ポップカルチャーの発端 ミニシアターから生まれた新たな映画の楽しみ方」『昭和40年男』2020年9月号、クレタパブリッシング、78-81頁。
- ^ a b “ことば:ヒップホップ”. 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (2018年3月24日)
- ^ 「ラップ史」入門 2018, pp. 125–159, 「第3章 80年代–90年代初頭 」
- 〔そのとき、日本は?〕 英語のフロウを日本語で再構築するために ゲスト:Bose、Zeebra
- ^ “来日したビリー・ジョエルに聞くプレスリーやディーンがルーツ”. 読売新聞東京夕刊 (読売新聞社): p. 芸能A9頁. (1991年1月14日)
- ^ a b “〔ポップスNOW〕『古いのに新しい』ジョン・ピザレり、七弦ギター弾き語り”. 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1996年6月24日)
- ^ a b Shigeto Kawahara "Half rhymes in Japanese rap lyrics and knowledge of similarity"『Journal of East Asian Linguistics』Volume 16, Number 2(2007年6月)掲載、2010年6月9日閲覧。
- ^ 菊地成孔『CDは株券ではない』2005年、ぴあ、ISBN 978-4835615639、P11 - 17
- ^ 猪俣孝『ラップのことば』P-Vine Books、2010年、ISBN 978-4860203825
- ^ 『中村とうようの収集百珍』75.豊年斎梅坊主 など
- ^ “テレ朝ラップバトル番組の「終わる理由」 Zeebraが語った「難しいところ」と新番組への思い”. J-CAST ニュース (2020年7月1日). 2022年5月6日閲覧。
出典(リンク)
- ^ [1][2][3]
- ^ [10][3]
- ^ [14][13]
- ^ [1][2][3][14][15][16][17]
- ^ [1][2][3][14][15][16][17][18]
- ^ [1][2][3][14][15][16][17][18]
- ^ [1][2][3][14][15][16][17][18]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][21]
- ^ [15][21]
- ^ [15][21]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][16]
- ^ [15][22]
- ^ [15][22]
- ^ [15][22]
- ^ [15][22][23][24][25]
- ^ [23][24]
- ^ [15][22]
- ^ [15][22]
- ^ [23][26]
- ^ [15][22][23][24][26][27]
- ^ [15][22][23][24]
- ^ [15][24][26]
- ^ [26][25]
- ^ [15][24][26]
- ^ [15][24][26][30]
- ^ [14][17][18]
- ^ [15][24][31][32]
- ^ [3][15][16]
- ^ [15][16][18]
- ^ [15][22][34]
- ^ [15][22][35]
- ^ [15][26][36][37][38]
- ^ [15][17][31][42]
- ^ [15][28][46]
- ^ [17][28]
- ^ [17][28]
ラップと同じ種類の言葉
- ラップのページへのリンク