ヒツジ 歴史

ヒツジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 17:19 UTC 版)

歴史

家畜化の歴史

南アジアの野生種ウリアル

新石器時代から野生の大型ヒツジの狩猟がおこなわれていた形跡がある。家畜化が始まったのは古代メソポタミアで、紀元前7000-6000年ごろの遺跡からは野生ヒツジとは異なる小型のヒツジの骨が大量に出土しており、最古のヒツジの家畜化の証拠と考えられている[注釈 1]

臀部に脂肪を蓄えるヒツジ

家畜化されたヒツジの祖先は、モンゴルからインド西アジア地中海にかけて分布していた4種の野生ヒツジに遡ることができる。中央アジアアルガリ、現在の中近東にいるアジアムフロン、インドのウリアル[注釈 2]、地中海のヨーロッパムフロンがこれにあたる。これら4種は交雑が可能であり、遺伝学的手法によっても現在のヒツジの祖を特定するには至っていないが、いくつかの傍証からアジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている。

ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、脂肪と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用はヤギが優れ、家畜化は1000-2000年程度先行していた。しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される。

羊毛の歴史

毛の利用については、現代[いつ?]のヒツジと最初期のヒツジとでは様相が大きく異なる。

野生のヒツジの毛(フリース)は2層になっている。外側を太く粗く長い「上毛(粗毛、ケンプ)」に覆われ、肌に近い内側に産毛のような短く柔らかく細い「下毛(緬毛、ウール)」がわずかに生えている。最初期のヒツジの緬毛(ウール)は未発達で、利用されていなかった。一方、野生のヒツジは春に上毛(ケンプ)が抜ける(換毛)性質があり、紀元前から人類は、この抜け落ちた上毛(ケンプ)によってフェルトを作っていたらしい[注釈 3]。現在われわれが通常に羊毛(ウール)として親しんでいるのは、主にこの下毛を発達させるように品種改良された家畜用ヒツジの毛である。現代の家畜化されたヒツジは換毛しない。

ギリシアの黄金の羊毛の伝説

家畜化されたヒツジは改良によって、上毛(ケンプ)を退行させる代わりに、ヘアー(適当な訳語がない)と呼ばれる中間毛と緬毛(ウール)を発達させた。紀元前4000年ごろにはヘアータイプやウールタイプのヒツジが分化している。紀元前2000年ごろのバビロニアはウールと穀物と植物油の三大産物によって繁栄した。バビロンの名は「ウールの国」の意味であるとする研究者もいる[4][注釈 4]

1世紀ローマのレリーフ

野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアからエジプトに伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前1500年頃から、地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちにギリシア人によって再発見され、黄金羊伝説となった。このヒツジはローマ時代には柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。ローマ人が着用した衣服はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ、1300年頃のカスティーリャで現在のメリノ種が登場した。

理想的なウールだけを産するメリノ種は毛織物産業を通じてスペインの黄金時代を支えた。メリノ種はスペイン王家が国費を投じて飼育し、数頭が海外の王家へ外交の手段として贈呈される以外は門外不出とされた。これを犯した者は死罪だった。18世紀になるとスペインの戦乱にヨーロッパの列国が介入し、メリノ種が戦利品として持ち去られて流出、羊毛生産におけるスペインの優位性が喪失された。イギリスでは羊毛の織物と蒸気機関を組み合わせた新産業が興った。1796年、南アフリカ経由で13頭のメリノ種がオーストラリアに輸入された。このうちの3頭が現在のオーストラリアのメリノ種の始祖になったと伝えられている。この羊を買い取ったニュー・サウス・ウェールズ州ジョン・マッカーサーはヒツジの改良に努め、オーストラリアの羊毛産業の基礎を築いた[5]

羊皮の歴史

ヒツジの皮の利用は最古のものとしては紀元前2500年頃まで遡ることができるが、羊皮紙としては、紀元前2世紀頃のペルガモン(現在のトルコ)で本格的な加工が始まったとされる。

羊乳の歴史

羊乳はヤギの乳に比べると、脂肪タンパク質に富んでおり、加工に適する。中近東やヨーロッパ大陸では羊乳は伝統的にチーズヨーグルトに加工されており、現在でも多くの乳用種が飼育されている。しかし、より遅く家畜化に成功したウシと比較すると単位面積当たりの収量は劣り、ウシを飼養できる地域ではヒツジの乳利用は主流ではない。

日本の羊の歴史

日本列島には古来より、旧石器縄文時代のイヌや弥生時代のブタニワトリ古墳時代ウマウシなど家畜を含め様々なものが海を越えて伝わったが、羊の飼育及び利用の記録は乏しい。寒冷な土地も多く防寒用に羊毛が利用される下地はあったが、動物遺体の出土事例も報告されていないことから、ほとんど伝わらなかったものと考えられている。

考古資料では鳥取県鳥取市の青谷上地遺跡において弥生時代のの部材と考えられている木板に頭部に湾曲する二重円弧の角を持つ動物が描かれており、ヒツジもしくはヤギを表現したものとも考えられている[6]

文献史料においては、『魏志倭人伝』(『魏書』東夷伝倭人の条)では弥生時代末期(3世紀前半代)において日本列島にはヒツジがいなかったと記されている[6]

8世紀初頭に成立した『日本書紀』では、推古天皇7年(599年)に、推古天皇に対し百済朝鮮半島南西部)からの朝貢物として駱駝(らくだ)、驢馬(ろば)各1頭、白1羽、そして羊2頭が献上されたという[6]。これが日本国内において、羊について書かれた最初の史料である[7]。西域の動物であるラクダやロバとともに献上されていることから、当時の日本列島では家畜としてのヒツジが存在していなかったとも考えられている[6]

奈良時代天武天皇の時代に関東で活躍した人物に「多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)」という人物がいると伝わり、関連して群馬県安中市羊神社愛知県名古屋市にも同名の羊神社がある)などが残る程度であり、羊自体の存在や飼育記録は確認できない。

8世紀には、奈良県の平城宮跡や三重県の斎宮跡から羊形の硯(すずり)が出土している[8]。8世紀中頃には、正倉院宝物に含まれる「臈纈屏風(ろうけちのびょうぶ)」にヒツジの図像が見られる[8]

日本紀略』によれば、嵯峨天皇の治世の弘仁11年(820年)には、新羅からの朝貢物として鵞鳥2羽、山羊1頭、そして黒羊2頭、白羊4頭が献上されたという[6]。さらに、醍醐天皇の治世の延喜3年(903年)には人が“羊、鵞鳥を献ず”とあり、他の記録も含め何度か日本に羊が上陸した記録はあるが、その後飼育土着された記録はない。故に日本の服飾は長く、主に植物繊維を原料とするものばかりであった。

江戸時代文化2年(1805年)に江戸幕府長崎奉行成瀬正定が羊を輸入し、唐人(中国人)の牧夫を使役して肥前浦上で飼育を試みたが、失敗。

幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯は行動的な学者であったらしく、幕命により蝦夷地まで薬草採集に出向いたりしていた。長伯は幕府医師だけではなく、江戸郊外にあり幕府の薬草園であった広大な巣鴨薬園の総督を兼ねていたが、文化14年(1817年)から薬園内で綿羊を飼育し、羊毛から羅紗織の試作を行った。巣鴨薬園はゆえに当時「綿羊屋敷」と呼ばれていた。

明治期に入るとお雇い外国人によって様々な品種のヒツジが持ち込まれたが、冷涼な気候に適したヒツジは日本の湿潤な環境に馴染まず、多くの品種は定着しなかった。日本政府は牛馬の普及を重視したが、外国人ル・ジャンドルが軍用毛布のため羊毛の自給の必要性を説き、1875年(明治8年)に大久保利通によって下総に牧羊場が新設された。これが日本での本格的なヒツジの飼育の始まりである。

民間では、1876年(明治9年)に蛇沼政恒が岩手県で政府から100余頭の羊と牧野を借りて始めたのが先駆で、以後、数百頭規模の牧場が東日本の各地に開かれた[9]。ただ、生産された羊毛を買い上げるのは軍用の千住製絨所に限られ、品質で劣る日本産羊毛の販売価格は低く、羊肉需要がないこともあって、経営的には成功しなかった[10]。1888年(明治21年)には政府の奨励政策が打ち切りになり、官営の下総牧羊場も閉鎖された[11]

しかし、国内の羊毛製品需要は軍需・民需ともに旺盛で、しだいに羊毛工業が発達した。戦前から戦後間もない時期までの日本にとって毛織物は重要な輸出品だったが、その原料はオーストラリアニュージーランドなどからの輸入に頼っていた。一度は失敗を認めた政府にも、国産羊毛を振興したいという意見が根強くあり、1918年(大正7年)から「副業めん羊」を普及させた。農家が自家の農業副産物を餌にして1頭だけ羊を飼い、主に子供が世話をして家計の足しにするという方法である[12]。副業めん羊は東日本の山間地の養蚕農家の間に広まった[13]

1957年(昭和32年)には統計上で94万頭、実数ではおそらく100万頭を超える数が日本国内で飼育されるようになった。しかし、その後は海外から安価に羊肉及び羊毛が入ってきたことや、化学繊維が普及したため、国産羊毛の需要が急減し、24年後の1981年(昭和56年)になると、国内の羊の飼育数は、100分の1程度の約1万頭にまで激減した。その後、肉利用を目的とした羊の飼育が再び増加し、1991年(平成3年)には3万頭を超える数まで増加した。その8割はサフォーク種である[7]


注釈

  1. ^ これとは別に、紀元前11000年ごろのイラクや紀元前7000-5000年頃のインドの遺跡からも小さい羊の骨や痕跡が出土しているが、単に子羊の骨であるなど、家畜化の証拠としては疑問がもたれている。
  2. ^ ウリアルはアジアムフロンの亜種とする説もある。
  3. ^ 紀元前の中国、ドイツ、北アジアにその痕跡があるが、はっきりしたことはよく分かっていない。
  4. ^ 一般的には「バビロン」は“神の門”を意味するとか、創世記に登場するバベルの塔の逸話に因む“混乱”の意であるとかといった説が主流であるが、最古期の語源は言語が解読されておらず不明とされている。

出典

  1. ^ http://jlta.lin.gr.jp/report/detail_project/pdf/150.PDF めん羊の採食特性を活用した草地の造成と維持管理に関する調査
  2. ^ 毛が伸び放題のヒツジを救出、30キロ分刈り取る 豪州”. CNN. 2021年2月25日閲覧。
  3. ^ シロサイと仲良くなったヒツジ - YouTube ナショナルジオグラフィック
  4. ^ 「品種改良の世界史」,2010,正田陽一編,悠書館,ISBN 978-4-903487-40-3
  5. ^ 「オセアニアを知る事典」平凡社 p279 1990年8月21日初版第1刷
  6. ^ a b c d e 賀来(2015)、p.106
  7. ^ a b 日本のめん羊事情”. 公益社団法人 畜産技術協会 (1991年12月). 2020年11月28日閲覧。
  8. ^ a b 賀来(2015)、p.115
  9. ^ 小林忠太郎「民営牧羊経営の成立と崩壊」、『日本畜産の経済構造』16 - 18頁。
  10. ^ 小林忠太郎「民営牧羊経営の成立と崩壊」、『日本畜産の経済構造』20 - 21頁。
  11. ^ 小林忠太郎「民営牧羊経営の成立と崩壊」、『日本畜産の経済構造』24頁。
  12. ^ 小林忠太郎「民営牧羊経営の成立と崩壊」、『日本畜産の経済構造』31- 32頁。
  13. ^ 小林忠太郎「民営牧羊経営の成立と崩壊」、『日本畜産の経済構造』32- 36頁。
  14. ^ a b FAO Brouse date production-Live animals-sheep”. Fao.org. 2012年12月30日閲覧。
  15. ^ 「オセアニアを知る事典」平凡社 p240 1990年8月21日初版第1刷
  16. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/ranking/sheep.html キッズ外務省:羊の頭数の多い国 日本国外務省 2012年12月30日閲覧
  17. ^ 日本のめん羊事情”. 公益社団法人畜産技術協会 (1991年12月). 2014年3月22日閲覧。
  18. ^ a b http://www.nytimes.com/2006/03/29/dining/29mutt.html Apple Jr., R.W. . "Much Ado About Mutton, but Not in These Parts". ニューヨーク・タイムズ、(2006年3月29日)2012年12月30日閲覧
  19. ^ a b 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 三輪睿太郎監訳 朝倉書店  2004年9月10日 第2版第1刷 p.666
  20. ^ コトバンク
  21. ^ 「メッカ」p157 野町和嘉 岩波書店 2002年9月20日第1刷
  22. ^ Asa-Jo「羊が一匹、羊が二匹…」日本人が羊を数えても眠れない理由が判明した!
  23. ^ トレイルズ 「道」と歩くことの哲学 著者:ROBERT MOOR
  24. ^ Bellwether species 掲載サイト:Encyclopedia.com
  25. ^ 羊一頭、史上最高額の5200万円で落札 英国”. CNN. 2020年9月3日閲覧。





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