クマのプーさん クマのプーさんの概要

クマのプーさん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 13:37 UTC 版)

クマのプーさん
Winnie-the-Pooh
アーネスト・ハワード・シェパードによる1926年のプーの絵
作者 A.A.ミルン
イギリス
アメリカ合衆国
言語 英語
ジャンル 児童文学
シリーズ クマのプーさん
初出情報
初出 第1章-『イヴニング・ニュース』1925年12月24日・クリスマス特集号(挿絵:J. H. ダウド)
イーヨーの誕生日」-『ロイヤルマガジン』1926年8月号、『ニューヨーク・イヴニング・ポスト』1926年10月9日号
刊本情報
刊行 イギリス メシュエン社(Methuen Publishing) 1926年10月14日 挿絵:E.H.シェパード
アメリカ合衆国 ダットン社(E. P. Dutton) 1926年10月21日
シリーズ情報
前作 ぼくたちがとてもちいさかったころ
次作 プー横丁にたった家
日本語訳
訳者 石井桃子
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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1928年には同様の構成をもつ続編『プー横丁にたった家』も発表された。『クマのプーさん』のシリーズはこの二つの物語集と、その前後に発表された二つの童謡集『ぼくたちがとてもちいさかったころ』『ぼくたちは六歳』の計4冊からなっており[1][注釈 1]、挿絵はいずれもE.H.シェパードが手がけている。

A.A.ミルンはこの作品を自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていたテディ・ベアから着想した。この児童小説とそのキャラクターは発表当時からひろく人気を集め、多数の言語に翻訳されて、いまなお世界中で読み継がれている。

1960年代からはディズニーによって一連のくまのプーさんシリーズのアニメーションが作られ、原作の知名度に大きく貢献した。ディズニー版では「Winnie the Pooh」とハイフンが脱落した表記が使われており、日本では「くまのプーさん」の表記が作品・キャラクター双方で用いられている。

成立

「ウィニー・ザ・プー」の名前の元となったカナダマニトバ州ウィニペグから来た熊の「ウィニー」と、元の飼い主のコルバーン中尉

『クマのプーさん』は1926年、作者A.A.ミルンが40代のときに刊行された。ミルンはすでに風刺雑誌『パンチ』の副編集長および同誌で活躍するユーモア作家としてのキャリアを経ており、1924年に子供向けの著作としてはじめて手がけた童謡集『ぼくたちがとてもちいさかったころ』(When We Were Very Young[2]が高い評価を受けていた[3]

この童謡集は当時3歳だった自分の息子クリストファー・ロビン・ミルン英語版のためにつくった童謡をあつめたもので、のちに「プー」となる彼のテディベアも「エドワード・ベア」の名称で「テディ・ベア」という詩のなかで顔を見せている(この詩の初出は『パンチ』1924年2月号)[4][注釈 2]。クリストファーがもう少し成長すると、ミルンは息子のために彼の持つぬいぐるみたちが活躍する物語を構想し、これが『クマのプーさん』のかたちをとった。

ミルン家のテディベアは、もともとベア、テディ、エドワード・ベア、ビッグ・ベアなどさまざまな呼ばれ方がされていたが[6]、これがさらに「ウィニー・ザ・プー」という名称を持つに至ったいきさつは本作品の序文に書かれている。まず「ウィニー」は、当時ロンドン動物園で公開され人気を集めていたカナダマニトバ州ウィニペグから来た雌のクロクマ[注釈 3]ウィニー」にちなんでいる。もともとは女性名であり、物語の冒頭では語り手がクリストファー・ロビンに“But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだが)と問いかけるシーンがある[注釈 4]。「プー」のほうは、もともとはミルン親子がたびたび訪れていたウェスト・サセックスポーリング英語版にいた白鳥につけられていた名前であった。この白鳥の「プー」も『ぼくたちがとても小さかったころ』の中の詩「かがみ」にその名前で登場している[7]

作中のキャラクターのもとになったぬいぐるみたち。後列左からカンガ、プー、イーヨー、前列左からティガー、ピグレット。カンガの子供「ルー」は、ミルン家が所持していたときに紛失してしまっている[8]。また「プー」の挿絵のほうのモデルとなった「グロウラー・ベア」も現存しない[注釈 5]

のちに「プー」となるこのファーネル社製のテディ・ベアは、1921年、クリストファーが1歳のときに誕生日プレゼントとしてハロッズで購入されたものであった[10]。他のキャラクターのうち、ロバのイーヨーは同年のクリスマスプレゼントとして、子豚のピグレットは隣人からプレゼントされてクリストファーに与えられていた[11]。執筆が進むと、ミルンは物語に登場させるために新たにカンガルーの親子カンガとルー、トラの子供ティガーのぬいぐるみをハロッズで購入した。登場キャラクターのうち特定のモデルが存在しないのはフクロウのオウルとウサギのラビットだけである[12]。キャラクターのモデルとなったこれらのぬいぐるみは、ミルンによる「出生証明書」付きで、アメリカ合衆国で長年のあいだ巡回展示が行われたのち、1987年よりニューヨーク公共図書館にて展示保存されている[13][14]

これらのぬいぐるみたちに声と性格を与えたのは、ミルンの妻、すなわちクリストファーの母親、ダフネであった。ぬいぐるみたちと一人遊びをするクリストファーに母親が加わることによって、ぬいぐるみたちに生命が吹き込まれていった。ミルンは自分はこうして生み出されたキャラクターをありのまま描写しただけだと記している[15][16][17]

物語の舞台は、サセックス州に実在する田園地帯アッシュダウンの森英語版をモデルにして描かれている。ミルンは1924年夏、息子が4歳のときに、この地の北のハートフィールド近郊に建てられていた古農家コッチフォード・ファーム[注釈 6]を買い取って別荘とした。そして改修が済んだ1925年以降、毎週末や復活祭、夏季休暇などのたびに妻子と乳母の4人でこの地を訪れており、クリストファーはいつもぬいぐるみたちを連れてきていた[20][21]。作品が有名になって以降、アッシュダウンの森は『プーさん』の愛読者が訪れて物語を追体験する観光地となっている(#文化的遺産参照)。

挿絵

『クマのプーさん』シリーズの挿絵は、ミルンの古巣である『パンチ』の画家E.H.シェパードが手がけている(ただし、シェパードが『パンチ』に描くようになったのはミルンが『パンチ』を抜けてからである)。最初にシェパードがミルンの挿絵を手がけたのは、『ぼくたちがとてもちいさかったころ』の出版に先立ち、そのうちの数編が『パンチ』に掲載されたときで、この際にシェパードが挿絵画家として抜擢されることになった。ミルン自身はもっと名のある画家に頼みたいと思っていたため、当初はこの決定に不満を持っていたが、出来上がった挿絵を見て、自分の作品に挿絵を描いて成功する者はシェパードをおいて他にないと確信したという[22][注釈 7]。実際シェパードの挿絵は、『プーさん』の物語世界と非常に合ったものとして、現在では『不思議の国のアリス』のために描かれたジョン・テニエルの挿絵と並ぶ評価を受けている[24]

『クマのプーさん』出版の際には、シェパードはミルンの家に招かれ、キャラクターのモデルとなったぬいぐるみたちをさまざまな角度から丁寧にスケッチして挿絵の準備をしている。ただし「プー」だけは、ミルン家のテディベアのスケッチも取っていたものの[25]、結局描きなれていた自分の息子グレアム所有のよりずんぐりした体型のテディベア「グロウラー(うなりや)・ベア」のほうをモデルにして描くことになった[26]。「グロウラー」はおそらくシュタイフ社製で、『ぼくたちがまだとてもちいさかったころ』の挿絵のほか、それ以前のシェパードによる『パンチ』寄稿作品にも何度か登場している[27]。シェパードはまたミルンの別荘コッチフォード・ファームにも家族ぐるみで招かれ、この地を散策して物語の舞台のスケッチを取った。これらのシェパードのスケッチの大部分は、1969年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈されている[28]

後年、シェパードは『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の自身の挿絵に彩色をほどこしている。この彩色版は1970年に出版され、その後ひろく使用されるようになった。またシェパードは、もとの挿絵ほどの評価は受けていないものの、1950年代の終わりに絵柄を変えて描いた別の彩色版『プーさん』も手がけている[29]

作品

物語

『クマのプーさん』

『クマのプーさん』(1926年)は前書きと10編のエピソードで構成されている。前書きでは前著『ぼくたちがとても小さかったころ』に触れられるとともに、前述した「ウィニー・ザ・プー」の名の由来や、前作には登場しなかったピグレットについて書かれている。本編の始まりと終わりをはじめ、物語のいくつかの部分で語り手が息子のクリストファー・ロビンに物語を聞かせている場面が挿入されており、これらの場面では「プー」たちは話したり動いたりしない、普通のぬいぐるみとして描かれている。

本編はまず、プーが樹の上の蜜蜂の巣からハチミツを獲ろうとするエピソードからはじまる。プーはクリストファー・ロビンから風船を借り、それに捉まって樹の上まで浮かび上がるが、蜜蜂ではなかったことに気づき、クリストファー・ロビンに鉄砲で風船を撃ってもらい地面にもどってくる。第2章では、プーがラビットの家を訪問してパンをごちそうになるが、お腹が膨れたために出口の穴につっかえてしまい、その穴にはまったまま1週間を過ごすという失敗談が語られる。第3章からは、プーの親友である子豚のピグレットが登場する。この章では、ふたりはプーが雪の中で見つけた謎の足跡をいっしょになって追跡するが、実は自分たちの足跡を追って樹の周りをぐるぐる回っていただけだったことが判明する。プーとピグレットの冒険は第5章でも語られ、ここでは「ヘファランプ[注釈 8]」という謎の生き物を捕まえるために、二人で落とし穴を掘るが、その翌日、穴の底に設置したハチミツの壺の誘惑に耐え切れずに自ら罠にはまってしまったプーがピグレットたちによって発見される。

前後の第4章、第6章では、陰気なロバのイーヨーが話題の中心となる。第4章のイーヨーは自分の尻尾をどこかに無くして気を落としており、プーはあちこち探し回った挙句、それがオウルの家の玄関の鈴ひもになっているのを発見する。第6章のイーヨーは、誕生日であるにもかかわらず誰からも祝われないことで気を落としており、プーは中身をすっかり食べてしまったハチミツの壺を、ピグレットは持ってくる途中で割ってしまった風船をプレゼントするが、イーヨーは壺の中に割れた風船が入ることに喜んでプレゼントに夢中になる(その後、語り手はクリストファー・ロビンが誕生日パーティを開いてあげたことを彼に語る)。第7章では新たなキャラクター、カンガルーの親子のカンガとルーが森にやってきたエピソードが語られる。知らないうちに森に移り住んだ彼らにラビットは反感を持ち、プーとピグレットを説得して、まだ幼いルーを連れ去る計画に参加させる。しかしルーの身代わりになったピグレットがカンガによって水風呂に入れられたり、ラビットが連れ去ってきたルーに情が移ってしまうなどして計画は失敗に終わる。

第8章では、彼らを含めた森の仲間たちを大勢ひきつれて、クリストファー・ロビンが北極(ノース・ポール)探検と称するピクニックに出かけ、そこでプーは「北極」(と称する棒(ポール))を発見しクリストファー・ロビンたちから褒め称えられる。第9章ではプーの大きなさらに活躍が語られる。大雨によって洪水が起こった森のなかで、ピグレットは恐怖に駆られて、投瓶通信で救援を頼み、その瓶をプーが偶然拾う。字が読めないプーは、水の上に浮かべた壺に乗ってクリストファー・ロビンのところまで行き、彼に手紙を読んでもらうことでピグレットの窮地を知る。そしてプーのとっさの機転で、クリストファー・ロビンのこうもり傘を逆さにして舟にすることを思いつき、これに乗ってふたりでピグレットのもとに駆けつける。最後の第10章では、このプーの活躍を讃えるためにクリストファー・ロビンが祝賀会を開き、プーに鉛筆のセットをプレゼントする。そして夕日に向かってプーとピグレットがいっしょに帰っていく様子が語られて幕となる。

『プー横丁にたった家』

『プー横丁にたった家』(1928年)は、『クマのプーさん』と同じく前書きにあたる文章と10編のエピソードから構成されている。前書きにあたる部分は「コントラディクション[注釈 9][注釈 10]」と題されており、本文では今作で物語が終わりになることが示唆されている。今作では『クマのプーさん』とは異なり、語り手とクリストファー・ロビンが語り合う場面は描かれていない。表題の『プー横丁にたった家』は、本編の最初のエピソードに由来している。この章では雪の降る寒い日に、プーとピグレットはイーヨーのために「プー横丁」と名付けた場所に家を建ててやろうとするが、その家を建てるために使った材料は、イーヨーがすでに自分で建てた家であった。しかし「プー横丁」のほうが場所柄がよかったために、イーヨーは不審に思いながらも満足する。

今作の第2章からは、新たなキャラクターとして虎の子供のティガーが登場する。夜中にプーの家の前に迷い込んできたティガーに、プーはなにか食べ物を与えようとするが、自分のハチミツをあげても、森の仲間たちを訪ね歩いていろいろなものを与えてもどれもティガーの気に入らない。しかし最後に幼いルーが食べていた麦芽エキスが好物だったと判明する。第4章では、ティガーは見得をはってルーとともに木の上に登ったところ降りられなくなってしまう。2匹はクリストファー・ロビンの機転によって、みんなで広げた彼の上着の上に着地することで助けられるが、イーヨーはティガーの下敷きになってしまう。第6章では、イーヨーは川を流れてきて、ティガーから跳ね飛ばされて川に落ちたと主張する。言い合いになった彼らに対して、クリストファー・ロビンはプーが発明した「プー棒投げ」という棒流し遊びをみんなですることを提案し、この遊びを通じて事態は丸く収められる。しかしこのようなティガーの「はねっかえり」な態度が目に余ったラビットは第7章において、彼の態度を正すために、プーたちといっしょに森の中に誘い込んでそこにティガーを置き去りにするという計画をたてる。しかしその過程で自分たちが森の中で迷子になってしまい、ラビットは逆にティガーによって助け出されることになる。

今作ではまた前作とつながりのあるエピソードが第3章に置かれている。ここではプーとピグレットは、前作中で「ヘファランプ」を捉えるために自分たちで掘った落とし穴の中に誤って落ちてしまう。ピグレットは穴の外から声をかけてきたクリストファー・ロビンを「ヘファランプ」と勘違いしておびえ、そのために恥じ入るが、しかし行方不明になっていたラビットの親戚(カブトムシ)をプーの背中に発見して面目を保つ。後半の第8章はピグレットのより大きな活躍が語られている。ここではプーとピグレットは、オウルの家を訪問中、大風によってその家が倒壊したために家の中に閉じ込められてしまう。しかしピグレットは、プーに鼓舞されながらひもを伝って郵便受けから脱出し、プーたちのために救援を呼ぶことに成功する。続く第9章では、家をなくしてしまったオウルのために皆で新しい家を探すが、イーヨーがピグレットの家を空き家と勘違いして報告しにくると、ピグレットは勇気を出してオウルにその家を譲り、以降はプーといっしょの家に住むことに決める。

一方、中盤の第5章には、クリストファー・ロビンが成長しつつあることを示唆するエピソードが置かれている。ここでは森の仲間たちは、クリストファー・ロビンの家の前に張られていた謎の張り紙に困惑するが、後日正しく綴られた張り紙が貼られたことによって、クリストファー・ロビンが午前中勉強をしに出かけているのだということが判明する。やがてクリストファー・ロビンとの別れが近づいていることを感じ取った森の仲間たちは、第10章において会議を開き、クリストファー・ロビンにあてた別れの挨拶として「決議文」を作って彼に渡し、そして彼がそれを読んでいる間に次々と立ち去っていく。残されたプーとクリストファー・ロビンは連れ立って魔法の場所である「ギャレオンくぼ地」に行き、そこでクリストファー・ロビンはプーに世の中の様々なことを話しあう。騎士の話に引かれたプーは、彼に頼んで自分を騎士に叙してもらう。それからクリストファー・ロビンはプーに、自分はもう「なにもしない」をすることができなくなってしまったと告げる。そしてこの場所で再会することを誓いあうと、ふたりはまたどこかへと出かけていく。

キャラクター

石井桃子訳で原著と名称が違うものは括弧内にカナ表記で併記している。ディズニー版の設定などに関してはディズニー版くまのプーさんのキャラクター一覧を参照。

クリストファー・ロビン、ラビット、オウル以外のキャラクターはぬいぐるみという設定で、挿絵でも体表が体毛ではなく布地のようにのっぺりと描かれている。

くまのプーさん(Winnie-the-Pooh)
のんびりやのテディベア。好物はハチミツで、家にハチミツを入れたを溜め込んでおり、11時の「ちょっとひとくち」の時間を楽しみにしている。頭はあまり良くなく、字の読み書きもあまりできないが、詩をつくるのが好きで自作の詩をよく口ずさむ。
家の表札には「サンダースさん」と、以前住んでいたとされる人の名前が書かれている。サンダースが本名と書かれたものがあるが誤訳。
ピグレット(コブタ/コプタ、Piglet/Piglit)[31]
プーの親友で、体が小さくて気の弱い子豚。好物はドングリ。森のまんなかにあるブナの木の、そのまんなかにある家に住んでいる。家の近くに"TRESPASSERS WILL BE PROSECUTED"(直訳すると「侵入者は訴追される」で、「通り抜け禁止」の意)と書かれた立札から字が脱落して"TRESPASSERS W"となったものが立っており、ピグレット自身はこれが自分の祖父の名前"Trespassers William"(直訳すると「侵入者のウィリアム」、石井桃子による日本語訳では「トオリヌケ キンジロウ」)だと思っている。
イーヨー (Eeyore)
暗くてひねくれもののロバ。周りのものに処世訓をたれるのを好む。森のすみの湿っぽい場所にいたが、プーとピグレットによって新たに家が建て直されてからは「プー横丁」と名づけられた場所に住むようになる。アザミが好物。
ティガー(Tigger)
ラビットと親友で、ある日突然森にやってきたの子供。きかん気(はねっかえり)が強く森の仲間の一部から少し厄介がられている。体は大きいが実際はルーと同じくらい幼く、ルーといっしょにカンガに面倒を見られることになる。麦芽エキスが好物。
ラビット(Rabbit)
ティガーと親友で、砂地の土手の穴に住んでいる利口者のウサギ。計画をたてたり指図したりすることを好む。様々な種類の動物からなるたくさんの親戚がいる。
カンガ(Kanga)とルー(Roo)
いつの間にか森に住みつくようになったカンガルーの母子。
子供のルーはまだ幼く、やんちゃな性格。
母親のカンガはのちにティガーの面倒もいっしょに見るようになる。
クリストファー・ロビン(Christopher Robin)
森のはずれの高台に住んでいる少年。字の読み書きができ、いつも名案を思いつくので森の仲間たちからたよりにされている。彼自身も特にプーのことを気にかけてよく面倒をみている。
オウル(フクロ/クフロ、Owl/Wol)[31]
百エーカーの森に住んでいるフクロウ。難しい言葉を好んで話す。難しい字の読み書きが(ある程度)できるので森の仲間たちから尊敬されている。

注釈

  1. ^ ただし、後述するように童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』にはまだ「プー」の名前は登場しない。また童謡集『さあ僕たちは六歳』では詩や挿絵の随所にプーや関連キャラクターが登場するものの、それらに限った本というわけではない。以下本項目では『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の二つの物語集を中心に、「プー」と関連キャラクターに関係する限りにおいて2冊の童謡集についても適宜触れる。
  2. ^ 詩行の中には登場しないが、『ぼくたちがとても小さかったころ』のシェパードによる挿絵では「おやすみのお祈り」「かいだんをはんぶんのぼったところ」にもミルン家のテディベアが描かれている。ただし後述するように、挿絵のモデルとなったぬいぐるみ自体はミルン家所有のものとは別のものである[5]
  3. ^ 『クマのプーさん』の序文ではウィニーのいる所について「北極グマのところ」と記述があるが、これはミルンがウィニーをホッキョクグマと勘違いしているのではなく(ちゃんとウィニーを「茶色い毛」とも書いている)、ウィニーのいたロンドン動物園のマッピン・テラス(the Mappin terraces、現在はベア・マウンテンに改称)((シュケヴィッチ2007)p.150註3)という区域には、サムとバーバラというホッキョクグマが先にいて、この2頭はマッピン・テラス完成時のニュース(『ザ・ガーディアン』1914年5月26日付)で名前があげられるような存在だった((シュケヴィッチ2007)p.64-65)ため。
    つまり「北極グマのウィニーのいる場所」ではなく、俗称が「北極グマのところ」という場所にウィニーがいるという事。
  4. ^ 石井桃子の訳では省略されている。
  5. ^ E.H.シェパードの息子グレアムの所有物であった「グロウラー・ベア」は、後にその娘ミネットの手に渡っている。彼女は戦争中も疎開先のカナダに「グロウラー」を連れて行っていたが、このぬいぐるみはある日、モントリオールの公園で野犬に噛み裂かれてずたずたになってしまった[9]
  6. ^ コッチフォード・ファームは、ミルンの息子クリストファーが手放したのち、ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズが買い取って自宅として使っていた[18]。ブライアンは1969年にこの家のプールで自殺しており[19]、その後はまた人手にわたり個人に所有されている[18]
  7. ^ A.A.ミルンはシェパードに贈った『クマのプーさん』の中に、自分が死んだら2枚の挿絵(ピグレットがタンポポの綿を吹いている場面と、プーとピグレットが夕日に向かって歩いていく場面)で墓石を飾ってほしい、という内容の戯詩を書きこんでいる。この本は1990年、クリスティーズのオークションで16500ポンドで落札された[23]
  8. ^ Heffalumpはミルンの造語。響きから象 (Elephant) を連想させる[30]。石井桃子訳では「ゾゾ」[31]
  9. ^ 「イントロダクション」の反対語としてオウルが教えてくれたと記されている。実際には「矛盾」を意味する言葉である。
  10. ^ 石井桃子の日本語訳では1942年発行『プー横丁にたつた家』では「へまがき(=旧仮名遣いの「まへがき」のアナグラム)」、2000年発行『プー横丁にたった家』における最終訳では「ご解消(=「ご紹介」の反対語)」となっている[31]。森絵都訳の『プー通りの家』では「うしろがき(=「まえがき」の反対語)[32]」、阿川佐和子訳の『プーの細道にたった家』では「んじょぶ(=「じょぶん」の反対語)[33]」である。
  11. ^ 当初「熊」の表記は漢字だった。
  12. ^ 当初は「つ」を大書きしていた。
  13. ^ 犬養毅の息子一家。
  14. ^ イギリス帰りの西園寺公一が犬養家に贈った本。
  15. ^ このとき片仮名表記の「クマ」に変更された。
  16. ^ 但し、ウォルト・ディズニー・カンパニーが制作した同社版くまのプーさんは引き続き著作権の保護期間が継続している[63]

出典

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  2. ^ 小田島雄志、小田島若子訳 『クリストファー・ロビンのうた』 晶文社、1978年。『クマのプーさん全集』(岩波書店、1997年)にも所収。
  3. ^ 石井訳『クマのプーさん』 244-245頁(訳者解説)。
  4. ^ 安達 (2002), 49頁。
  5. ^ 安達 (2002), 44-47頁。
  6. ^ 安達 (2002), 53頁。
  7. ^ 安達 (2002), 59-61頁。
  8. ^ スウェイト (2000), 192頁。
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  10. ^ 安達 (2002), 35頁。
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  12. ^ 安達 (2002), 133頁。
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