ラフマニノフ:スケルツォ(メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」より)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ラフマニノフ:スケルツォ(メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」より) | Scherzo (Mendelssohn: A Midsummer Night's Dream) |
作品解説
メンデルスゾーンの劇音楽《真夏の夜の夢》をピアノ独奏曲に編曲された作品。ラフマニノフ自身がピアニストであったため、コンサートのレパートリー(通常はアンコール)としてこよなく愛し、演奏していたようだ。
曲の構成は8分の3拍子のト短調、アレグロ・ヴィヴァーチェで書かれている。メンデルスゾーンの細かいスケール的なメロディー、16分音符中心の休みのない急がしいスケルツォであるが、ラフマニノフはピアノ小品ながら、原曲のオーケストレーションを感じさせ、ダイナミクスや装飾、和声感、技巧をこらした作品に編曲されている。
ボロディン:スケルツォ 変イ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ボロディン:スケルツォ 変イ長調 | Scherzo | 作曲年: 1885年 出版年: 1885年 初版出版地/出版社: Bessel |
作品解説
ボロディンは、グリンカのロシア民族主義の精神を受け継いだ、ロシア国民楽派の「五人組」の一員である。そして、他の4人(バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー=コルサコフ)があまり向かい合うことのなかった交響曲の分野に積極的に取り組んだ作曲家である。そのことを冠して、チャイコフスキーとともに、ロシアにおける交響曲の創始者として捉えられることもある。貴族の私生児として生まれたボロディンは、ピアノ、チェロ、フルートに加え、医学と科学も学んでいる。とりわけ、化学の研究のために派遣されたイタリアとスイスにおいて、19世紀ロマン派を代表する作曲家の作品に触れ、徐々に傾倒していったことが、作曲活動にとって1つの転機となったと考えられている。そして、亡くなるまで化学者としての活動と作曲家としての活動を両立させた稀有な音楽家として知られている。
この作品は、晩年の作曲活動の円熟期、1885年に52歳の年で作曲された。同年に、サンクト・ペテルブルクから出版されている。当初はオーケストラ作品として構想された作品を、ボロディン自身がピアノ・ソロのために編曲したものである。ボロディンの死後、グラズノフ(1865-1936)が《小組曲 作品1》をオーケストレーションした際に、この作品もオーケストレーションを行い、組曲のフィナーレとして置かれた。アレグロ・ヴィヴァーチェの8分の12拍子で音楽が運ばれ、3部形式の形をとっている。また、フラット系とシャープ系のいずれかに偏ることのない調号の変化が見られる。尚、この作品は、リストが非常に好んだとされている。
Scherzo
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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レーガー:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1906年 |
ロッシーニ:スケルツォ イ短調 | Scherzo | 作曲年: 1843年 |
ロパルツ:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1916年 出版年: 1917年 初版出版地/出版社: Durand |
フランセ:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1932年 出版年: 1935年 初版出版地/出版社: Schott |
エスプラ:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1909年 |
スカルコッタス:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1939?-40年 |
セーヴェルー:スケルツォ | Scherzo | |
ヴィークルンド:スケルツォ ヘ短調 | Scherzo | |
ボロディン:スケルツォ 変ロ短調 | Scherzo | 作曲年: 1852年 |
ボロディン:スケルツォ ホ長調 | Scherzo | 作曲年: 1861年 |
ギロー:スケルツォ | Scherzo | |
バツェヴィチ:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1934年 |
マギン:スケルツォ | Scherzo | |
カリンニコフ:スケルツォ ヘ長調 | Scherzo | 作曲年: 1888-89年 |
シベリウス:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1888?年 |
ムソルグスキー:スケルツォ 嬰ハ短調 | Scherzo | 作曲年: 1858年 |
ムソルグスキー:スケルツォ 変ロ長調 | Scherzo | 作曲年: 1858年 |
ストラヴィンスキー:スケルツォ | Scherzo | 作曲年: 1902年 出版年: 1974年 初版出版地/出版社: Faber |
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