SA-FRC 47 mm対戦車砲搭載 駆逐豆戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 02:11 UTC 版)
「カーデン・ロイド豆戦車」の記事における「SA-FRC 47 mm対戦車砲搭載 駆逐豆戦車」の解説
1929年、ベルギー軍は、6両のカーデン・ロイド Mk.VIを取得した。 1930年代初頭、ベルギー軍は対戦車能力のアップグレードを検討しており、豆戦車コンセプトの人気により、カーデンロイド Mk.VIは、完全に機械化された対戦車能力を開発する最初の試みの基礎として選ばれた。 1931年、砲の牽引実験をした後、砲を牽引するよりも車体に搭載した方が良いという、より統合されたアプローチが選択され、カーデンロイド Mk.VIの最重武装バージョンとなった。なお、イタリアにも、「セモヴェンテ L3 da 47/32」という、同様の試作車両がある。フランスにも、「ルノー UE 57」という、6ポンド(57 mm)砲を搭載した、より強力な試作車両がある。また、ヴィッカース社でも、短砲身のヴィッカース QF 47 mm 騎砲を、車体前部右側に備えた、軽自走砲のバリエーションを用意していた。 1931年、2両が試作車両に改造された。1つはFRC(Fonderie Royale de Canons=王立砲兵工廠) ハースタル M1931 47 mm対戦車砲を、もう1つはFRC 76 mm低速歩兵砲を、車体前部に固定式で搭載した。76 mm装備のバージョンは、砲を発射する際に途方もない反動を経験し、発射後の激しい揺れと不安定さをプラットフォームにもたらした。 その結果、76 mmのプロトタイプは47 mm装備の戦車駆逐車バージョンに作り変えられた。しかし、戦車駆逐車バージョンも満足のいくものとは見なされなかった。47 mm対戦車砲を発射することによる反動は、76 mmバージョンよりも小さかったが、3トンの車両にはまだ大きすぎた。2人の乗員で砲を操作することは労働集約的すぎると考えられ、弾薬貯蔵庫は小さすぎた。そして、薄い(4-9 mm厚)装甲の後方跳ね上げ式の正面シールドを除いて、乗組員は完全に露出していた。主砲の重量が加わったことも小型エンジンに過負荷をかけ、車両全体の消耗が高すぎるとみなされた。最高速度は48 km/hであった にもかかわらず、この実験はベルギー軍に貴重な経験を齎した。それはT-13戦車駆逐車とT-15軽戦車の成功で頂点に達し、その生産は1935年に始まった。 6両製造された試作駆逐豆戦車も運用され、精鋭のシャスール・アルデネ山岳師団によって配備された後、山岳地帯では役に立たないと見なされ、すぐに国境警備隊の「Cyclistes Frontière/Grenswielrijders」に引き継がれた。 1940年5月にベルギーの戦いが始まったとき、それらはまだ使用されており、ドイツ軍の侵攻の日である5月10日の朝に、ヴィヴェーグニスとリクシェの間のムーズ(マース)川の西岸の、固定された待ち伏せ位置からではあったが、それらがいくつかの弾丸を発砲したことが知られている。
※この「SA-FRC 47 mm対戦車砲搭載 駆逐豆戦車」の解説は、「カーデン・ロイド豆戦車」の解説の一部です。
「SA-FRC 47 mm対戦車砲搭載 駆逐豆戦車」を含む「カーデン・ロイド豆戦車」の記事については、「カーデン・ロイド豆戦車」の概要を参照ください。
- SA-FRC 47 mm対戦車砲搭載 駆逐豆戦車のページへのリンク