ムスチスラフ3世
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ムスチスラフ3世 Мстислав Романович |
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キエフ大公 | |
在位 | 1214年 - 1223年 |
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出生 | 1156/62年 |
死去 | 1223年6月2日 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | リューリク家 |
王朝 | リューリク朝 |
父親 | ロマン・ロスチスラヴィチ |
母親 | ノヴゴロド・セヴェルスキー公スヴャトスラフの娘 |
ムスチスラフ3世(ムスチスラフ・ロマノヴィチ)(ロシア語: Мстислав Романович Старый、ウクライナ語: Мстислав Романович Старий、1156/62年 - 1223年6月2日)は、ロマン・ロスチスラヴィチの子。スモレンスクのモノマフ一門(ウラジーミル・モノマフを始めとする家系)の出である。プスコフ公(在位:1180年 - 1195年)、スモレンスク公(在位:1197年 - 1214年)、ベルゴロド公(在位:1206年 - 1207年)、キエフ大公(在位:1214年 - 1223年)。
略歴
1176年、ロストヴェツにおいて、叔父リューリク、兄ヤロポルクと共にポロヴェツ族との戦いに参加し、敗戦している(ロストヴェツの戦い)。これがムスチスラフが政治の舞台に登場した最初の記録である。
1178年、父によって、ムスチスラフ・ロスチスラヴィチと争っていたヴィテプスク公フセスラフ・ヴァシリコヴィチの援軍として派遣され、ノヴゴロドにおけるムスチスラフ・ロスチスラヴィチの主導権を遮断して紛争を収めた。
1185年、ホロール川でのポロヴェツ族との戦いに参加し、戦いを終結に導いた。
1195年、チェルニゴフのオレグ家諸公がヴィテプスクへの遠征軍を組織し、途上でスモレンスクの地を破壊し始めた。ムスチスラフは、叔父のスモレンスク公ダヴィドの命によって迎撃に出た。戦闘は初め優勢だったが、ポロツク公国軍に背後を衝かれ捕虜になった(ルーシ内戦 (1195年 - 1196年))。また、1197年には叔父ダヴィドの死によりスモレンスク公となった。
1214年、従兄弟のムスチスラフ・ムスチスラヴィチがノヴゴロド公となり、ムスチスラフをキエフ大公とした。なおムスチスラフ・ムスチスラヴィチは、次の夏までにガーリチに基盤を築いている。
1223年、モンゴル帝国軍の最初の侵攻の情報がもたらされると、ムスチスラフとムスチスラフ・ムスチスラヴィチは、キエフにて、モンゴル軍に対する諸公との会議を取り持った。しかし、肝心のカルカ河畔の戦いでは川岸の要塞化を怠り、3日で侵略を許した。諸公の連合軍は敗れ、ムスチスラフは捕虜となり処刑された。
子女
- スヴャトスラフ(? - 1239年?) - ノヴゴロド公(1218年 - 1219年)、ポロツク公(1222年 - 1232年)、スモレンスク公(1232年 - 1239年)。
- イジャスラフ[1] - ガーリチ公ウラジーミルの子ともいわれる
- フセヴォロド(? - 1249年) - ノヴゴロド公(1219年 - 1221年)、スモレンスク公(1239年 - 1249年)。
- ロスチスラフ[1] - スモレンスク公ムスチスラフの子ともいわれる
- アガフィヤ(? - 1221年) - 1195年にノヴゴロド公コンスタンチンと結婚
- 娘(名前不明) - トゥーロフ公アンドレイ・イヴァノヴィチと結婚
出典
- ^ a b Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ
参考文献
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「Mstislav III of Kiev」の例文・使い方・用例・文例
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
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