アガフィヤ・ムスチスラヴナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 08:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アガフィヤ・ムスチスラヴナ(ロシア語: Агафья Мстиславна、? - 1220年1月24日)はスモレンスク公ムスチスラフの娘である。なおアガフィヤは修道名である。
1196年、ウラジーミル大公フセヴォロドの長男・コンスタンチンと結婚した。当時コンスタンチンは10歳であったが、成年するとウラジーミル大公位を獲得し、アガフィヤもまたウラジーミル大公妃となった。コンスタンチンとの間には3人の息子が生まれた。しかし1218年にコンスタンチンは死亡し、その後にアガフィヤは修道女となった。アガフィヤは1220年に死亡し、ロストフの生神女就寝大聖堂(ru)に埋葬された。
子
参考文献
- Агафия, дочь князя Мстислава // Русский биографический словарь : в 25-ти томах. — СПб.—М., 1896—1918.
- Агафья Мстиславна // Славянская энциклопедия : А-М. — Олма-Пресс, 2001. — С. 11.
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