ヤロポルク2世とは? わかりやすく解説

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ヤロポルク2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 09:36 UTC 版)

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ヤロポルク2世
Ярополкъ II Володимеричь
キエフ大公
在位 1132年 - 1139年

出生 1082年
死去 1139年2月18日
配偶者 ヘレナ
子女 ヴァシリコ(?)
王家 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 ウラジーミル・モノマフ
母親 ギータ・オブ・ウェセックス
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ヤロポルク2世古ルーシ語:Ярополкъ Володимеричь, 1082年 - 1139年2月18日)は、スモレンスク公ペレヤスラヴリ公を経てキエフ大公(在位:1132年 - 1139年)。ウラジーミル・モノマフの子。母親はアングロ・サクソンイングランド王ハロルド2世の娘ギータ

生涯

1132年に兄ムスチスラフ1世の跡を継ぎ、キエフ大公位に就く。

ヤロポルク2世の治世は不安定であったといわれる。というのも、モノマフ一門の間で不和が生じていたうえ、チェルニゴフ地域を拠点としていた大伯父スヴャトスラフの一門がこれに拍車をかけたからである。当時の原則に照らせば、この大伯父の家門もまた、大公位を主張することができたからである。ポロツク公国も、この混乱に乗じて復興された。

先代:
ダヴィド
スモレンスク公
1097年 - 1113年
スヴャトスラフと共治)
次代:
ヴャチェスラフ1世
先代:
スヴャトスラフ
ペレヤスラヴリ公
1114年 - 1132年
次代:
フセヴォロド
先代:
ムスチスラフ1世
キエフ大公
20代
1132年 - 1139年
次代:
ヴャチェスラフ1世




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