ヤロブアム2世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヤロブアム2世の意味・解説 

ヤロブアム2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 18:00 UTC 版)

ヤロブアム2世
יָרָבְעָם
北イスラエル王
在位 紀元前782年頃 - 紀元前753年

死去 紀元前753年
子女 ゼカリヤ
王朝 イエフ朝
父親 ヨアシュ
テンプレートを表示

ヤロブアム2世は、北イスラエル王国の第13代の王で、イエフ(エフー)王朝の第4代目の王である。北イスラエル王国の全盛期を築いた。名前の意味は「民は増す」である。聖書中には、ヤロブアム2世という表現はなく、単にヤロブアム、またはヨアシュの子ヤロブアムと記されている。聖書の中では、列王記下14章23節以下、ホセア書1章1節、アモツ書7章10節等にて言及がある。

治世

治世は41年間でこれは北イスラエル王の中では最長[1]になる。最初は父ヨアシュとの共同統治でイスラエル王国を興隆させ、経済的には繁栄の絶頂であった。

アラムとの戦いに勝って領土を回復し、アラムの首都ダマスコとその北ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、ソロモン時代の領土に匹敵する。

しかし、ヤロブアム2世はヤロブアム1世の偶像礼拝の伝統をやめなかった。預言者ホセアとアモスはこの時代に現れて、ヤロブアムの道徳の腐敗を非難し、神の審判を預言した。

即位年や在位年数から逆算すると紀元前753年頃に死去。

死後

ヤロブアムの子のゼカリヤが即位した。しかし、わずか6ヶ月でシャルムに暗殺され、イエフ(エフー)王朝はイエフから5代で断絶した[2]

脚注

  1. ^ 『列王記』下14:23。第2位のイエフが28年間(同10:36)
  2. ^ もっとも代数でも在位年合計でも北イスラエルで最長の王朝であり、分裂後の4割強の期間を占める。

参考文献

  • 「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤロブアム2世」の関連用語

ヤロブアム2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤロブアム2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤロブアム2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS